一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

舟を降りてから



 泣こうが笑おうが、全身の力を振り絞って叫ぼうとも、町田瑠唯、君だけは今回なにをしたってかまわない。

 十六年ぶりの優勝だという。そんなに経っていたんだ。最古参となった君でさえ、たしかチーム歴十三年。前回の優勝を味わった選手は、チーム内にはいない。
 準優勝チーム、優勝候補の一角チーム、プレーオフ進出チーム……。たしかに長かった。
 今年もデンソーは強かった。シャンソンも強かった。手に汗握った。OG 名選手たちは、会場のどこかで観ていたのだろうか。それとも仕事の手を休めて、テレビの前で叫んでいたのだろうか。

 君との必殺速攻コンビで、レッドウェーブの特色である「走るバスケ」を作りあげた篠崎澪さんは、東北地方にあってお母さんになったそうだ。少し先輩の山本千夏さんと篠原恵さんの東京成徳コンビは、どこで観ていたろう。山本はスリーポイント日本一の座をなん年も譲らなかった。篠原は平均サイズ小型のレッドウェーブにあって、JX の渡嘉敷やデンソーの高田ら日本代表の大型選手たちにつねに対応した。
 それよりなにより、レッドウェーブひと筋でチームの顔とまで目された三谷藍さんは、どこで観ていたろうか。「黄金期を知る選手は今や三谷一人です」と、現役後半には実況放送のたびに云われたもんだった。日本国中に名選手を輩出した「花の78年組」だ。レッドウェーブでは矢野良子さんや船引まゆみさんも、たしか78年組だった。船引さんは今や、自身と後輩の町田瑠唯との母校である札幌山の手のコーチだ。
 あの時もあの時も、今一歩で達成できなかった快挙を、後輩たちがついにやってのけた。かつての名選手たちの脳裡に蘇った場面は、だれ一人として同じ場面ではなかったことだろう。


 札幌山の手高校三年生、町田瑠唯主将という少女が登場したとき、もう一度バスケを観ようかという気になった。なん十年ぶりかのことだ。老人になってからの趣味は、無邪気で多少浮世離れした分野がちょうど好いと思った。少女は翌年、富士通レッドウェーブに入団した。
 ホームコートである川崎市とどろきアリーナへはなん度も通った。拙宅からは鉄道とバスを乗り継いでの小旅行だった。階段下の喫煙所では、町田瑠唯のお父上と喫煙仲間となったこともあった。小田急沿線では、座間へも秦野へも赴いた。埼玉スーパーアリーナというのはこれほど巨大な施設かと魂消たこともあった。新潟アルビレックスとのアウェー試合を観戦に、長岡へ一泊旅行したこともある。長岡市と聴いて見くびって赴いたら、合併前は隣の栃尾市だった町に会場があり、バスに一時間乗って山越えした。
 世間と急速にご縁がなくなり、出不精となった私には、どれもちょうど好い小旅行だった。

 ふいの疫病騒ぎで、老人は足は止めざるをえなくなった。身を護らねばならぬし、人さまにご迷惑をおかけしてもならない。コートサイドやベンチ裏から間近で観たい選手たちもあったが、次つぎと引退していった。
 やがて疫病騒ぎは収まったものの、コートまで出掛ける趣味は復活しなかった。乗合舟から自分だけ降りてしまった気分がした。
 二年経った。金銀の紙吹雪を浴び、トロフィーを頭上に差し上げる選手たちの姿を、間近に観ることはできなかった。かつての名選手たちは、会場のどこかで観ていたのだろうか。

毒舌人生相談

1976 .10.および1977.7.初版刊行。

 今東光『極道辻説法』と続篇との二巻が、手許にある。『週刊プレイボーイ』に長年連載された人生相談コーナーの集大成だ。投稿者も読者も、主として若者男子だろう。職場や人生設計から、宗教や文学から、恋愛や性まで、幅広い諸問題についての応答が繰り広げられる。この齢になって読めば気恥かしくなるほどに初心で生硬な、直球質問が続く。不安と不満、好奇心と冒険心、それに天を衝くばかりの性欲狂乱だ。大僧正が独壇場の一喝で取り捌いてゆく。
 「馬鹿野郎、そんなことで悩んでるじゃねえ! さっさと○○しちまえっ」
 といった小気味好さだ。一例――。

 十七歳)和尚、助けてくれ。近所に住む同級生の A 子を以前から好きなんだが、ある日その家から水音がするので裏へ回ってみると、風呂場の窓から彼女の裸体が見えてしまった。家へ飛んで帰って猛然とオナニーした。好きというより、襲って犯したい気にまでなってしまった。翌日学校で会っても、眼を合せられなかった。
 打明けるべきだろうか。想像しながらオナニーに耽っているべきだろうか?
 大僧正)「犯したい」だって? どこへどう突っこむかも判らねえくせしやがって。「おまえの裸を観たよ」なんぞと云おうものなら、変態・痴漢扱いされて口もきいてもらえなくなるのがオチだ。黙って家で、朝に晩にマスかいていればいい。それから受験勉強に精を出せばいいだろうが。いいか、告白なんぞ絶対にするな。

 半世紀後の今日、回答はどうなっているのだろうか。曰く / 性欲はだれにだって、女性にだって平等にある生命力の源泉だ。/ 性欲と恋愛とは違う。/ 健全な男女交際。/ どうしても我慢できなくなったら、相手を精一杯尊重して、飽くまでも合意で。
 などということにでもなるのだろうか。いや、私の想像すらが、時代からそうとうズレているにちがいない。まったく見当もつかない。

 ところで、幅広い話題のうちには「人物論」という目次立てがあって、著者が直接出逢った人びとについての印象や短評が、これまた小気味好く点描されてある。芥川龍之介葛西善蔵があり、川端康成坂口安吾があり、三島由紀夫江藤淳がある。かと思えば、大山倍達赤尾敏児玉誉士夫まである。世にある論説にも評伝にも記されたことのない、出色の着眼がふんだんに含まれていると、私には感じられる。
 なにぶん半世紀前の本であるし、それでいて今でも今東光を記憶する人もあろうから、このさい古書肆に出そうかといくども思い立っては、思い留まってきた。今朝もまた思い立ち、思案したあげくに、やっぱり出さぬことにする。
 近所の彼女に告白するかどうかと、迷っているわけではない。

生きておれば

 
 西、建屋がわ。

 午前中から起きている。目覚し時計を六時間設定したものの、三時間睡眠だった。
 睡眠中に二度ほど催して小用に立つのがつねだ。習慣化しているから、すぐに再就眠する。寝床が気持好い。ところが今朝にかぎって、再睡眠する気にならず、躰も妙に軽い。快適だ。このまま起きてしまえということかな、と勝手な判断。

 陽射しの好い日だ。ビタミン D 形成のための三十分日光浴に好適だ。陽だまりへ出て煙草を喫っても、缶珈琲を飲んでもいい。視あげるべき桜樹こそ姿を消したけれども。
 せっかくだから、少しでも暮しの作業を進めようか。草むしりだ。玄関から門扉までのわずかな距離の左右両側を選んだ。長年にわたり古い鉢に閉じこめられて、極限的窮屈に喘いできた君子蘭を一気に解放してやるべく、株分けして東西に地植えしてやったあたりである。君子蘭の葉陰で、園芸用語で云う半日蔭を愉しんでいる連中がある。また君子蘭を支柱代りに利用して絡みつきながら、ついには君子蘭の上にまで伸びて覆いかぶさっている連中もある。
 なかには目下可憐な花を着けているものもあるが、咲いてからかなりの日数が経っているから、すでに最低限の役割は済ませたことだろう。このさい君子蘭を身軽にしてやることにした。

 またこの一画は、敷地内の大派閥たるドクダミとシダ類の本籍地だ。ここなん年も私は眼の仇にしてきた。かつてとは比較にならぬほど、おとなしくなってくれた。が、この陽気となれば、出て来るわ出て来るわ。放置すれば梅雨のころには、ドクダミとシダの草叢と化してしまう。
 出鼻を挫くというか、目立つものだけでもここで叩いておけば、最盛期を迎えても頑強さがだいぶ違う。幼葉は眼こぼししたってかまわない。手応えは昨年確認済みだ。

 
 東、ブロック塀がわ。

 勇んでで着手したものの、やはり寝不足だったか。軽く眼が回る。心臓に軽い痛みが走る。針で刺されるほどではない。ホチキスの針を踏んづけてしまったていどで、しばしば訪れる痛みだ。鎖骨下あたりの血管コースを指圧しているうちに、すぐに治まる。いつものことだ。
 とはいえ油断はできない。作業時間は四十五分を超えた。三十分日光浴の意は達したということにして、切上げた。

 君子蘭は気分好さそうだ。先祖返りか野生化か、葉の形が園芸植物であったころに比べると、ずいぶん変った。命に自信が芽生えたように観てとれる。花芽を挙げてくる気配なんぞは微塵もない。
 人間の眼を愉しませることなんぞ、考えなくてかまわない。生きてさえおれば、それでよろしい。

暮しのビタミン



 一日に必要なビタミン類一式を、総合的に摂取できる飲料だと謳ってある。体質によっても体格によっても、必須量など人それぞれだろうに。「平均すれば」「少なくとも」など、なんらかの根拠があっての広告コピーだろう。
 雲形のような瓢箪のような、液体がこぼれた染みのようにも見える独特の図形に、筆記体のローマ字でブランド名が白抜きされてある。幼い時分から眼にしてきたロゴだ。その時代には瓶詰のオレンジジュースの商品名と思い込んでいた。コーラなどというものを、まだ一度も視たことがなかった時分だ。子どもたちにとって憧れの飲料といえば、三ツ矢サイダーバヤリースオレンジだった。

 コインランドリーの入口脇に、飲料の自販機が立っている。洗濯なり乾燥なりの仕上りを待つあいだに、どうです一杯、ついでに小銭への両替もできますぜ、と云わんばかりだ。両替の必要はないけれども、たいていの場合は利用している。洗濯機を回す三十分でスーパーその他での買物を済ませて、いったん家に収めてからふたたび入店する。乾燥機を回す三十分を待つあいだはランドリーの隅に腰掛けて、雑誌を読んで過したりする。そのときに自販機のお世話になる。
 珈琲か紅茶であれば、スーパーにもっと安い商品がある。自販機でしか視かけない商品を選ぶことになる。今日は「一日分のマルチビタミン」という商品名が気に入った。
 たしかビタミンという成分は、大量摂取したところで翌日に持越すことはできぬらしい。欠乏を後日補うということもできぬらしい。その日その日の小まめな補充以外に手がないということだ。
 欠乏したところで、空腹で倒れたり、すぐさま眼を回したり体調を崩したりはしないから、ついつい無頓着に過している。けれども考えてみれば、人体なんぞというものはずいぶんか弱い、世話の焼けるものだ。

 
 圧巻の洗濯機三台回し――。豪快に乾燥機二台回し――。
 圧巻の豪快のと、独り悦に入っている場合ではない。いかに怠け、ものぐさを重ねてきたかの証左だ。この季節だから、いくらか助かってはきた。いよいよ汗ばむ衣類が増える季節を迎える。体裁上も精神衛生上も、それどころか健康管理上でさえ、かくてはならじ。洗濯乾燥各一台、週末ごとに晴ればれと、というかつての習慣を復活させねばならない。
 洗濯物にたいして、なんのこれしき、いざ取りかかれば雑作もなく、アッという間の軽作業、という見くびりが災いしてきたにちがいない。

 母の看病と父の介護とが重なった時期があって、連日たいへんな汚れ物の量だった。物干し台で干し物をしたり、それを取込んだりする時間すら惜しかった。老人たちが寝静まった深夜か明けがたに、コインランドリーへと通うことを覚えた。洗濯した日もあったし、家で洗濯を済ませて乾燥機だけの日もあった。
 両親ともが他界して独りになった直後、まるで待っていたかのように、老朽洗濯機が故障して水漏れが止らなくなった。新品に換えるのは、気が進まなかった。経済的問題もさることながら、身の回りに機械が増えることが、鬱陶しかったのだ。
 コインランドリー通いを止めなかったわけだが、独り暮しの暢気さから、汚れ物を溜めて、まとめて洗濯するという悪癖が生じてしまった。まとめて一挙に片づけたほうが、そりゃあ経済的だろうさ。けれど健康的と申せるかどうか。
 洗濯は、暮しのビタミン補給みたいなもんかと、ちょいと思ってみた。

ギリギリの抵抗



 他人事ではない気がしている。

 京都大学での滝川事件を境に、同大出身の俊英たちはファシズムの急速な膨張気配に対する危機感を深めた。昭和八年のことだ。東京では、日本共産党の理論的指導者の一部と目されていた佐野学・鍋山貞親の両名が、獄中にあって懺悔とも自己批判ともとれる転向声明を公表してしまい、それまで歯を食いしばって活動してきた全国の学生や勤労青年たちが、激しい動揺に見舞われた年である。
 中井正一を中心とする京都の俊英たちは、ファシズム監視と文化防衛とに目処を置いた同人雑誌『世界文化』を発行した。中井が発行していた『美・批評』の発展拡大版との位置づけだった。同人各個の専攻分野に関する、最新の海外情報を紹介し論考した。
 中井(美学)、久野収(哲学)、真下真一(哲学)、武谷三男(物理学)、和田洋一(ドイツ文学)ら十六人の同人のほか、同人外からの寄稿もあった。戦後それぞれの分野で著名となった人が多い。時節がらほぼ全員が、似ても似つかぬペンネ―ムを用いている。筆名誰だれがじつは誰だれかということは、今日すべて明らかになっている。

 飽くまでも学問の独立を尊重し、文化防衛を旨とする雑誌だった。たとえば日本共産党機関誌のような政府批判・軍部批判を旨としてはいない。京都の若手が採った戦術はもっと多様で柔軟だった。淀川長治が映画評を寄せたりもしている。といっても特色は、ヨーロッパの統一戦線ほかファシズムへの抵抗の実状を紹介した点などにあった。
 二年九か月、第三十四号まで刊行された。その間の日本ファシズムの膨張は凄まじく、たとえ文化情報誌の体裁を前面に出したところで、同人たちは治安維持法容疑で次つぎと検挙されていった。


 『世界文化』同人たちが、想定読者を知識青年層に限らず、一般庶民にまで拡大しようと企てたのが、週刊タブロイド新聞『土曜日』である。一同手分けして歩き回り、京都市内の喫茶店その他に置かれたという。欧米や中国の映画に関する記事も眼を惹くし、アンドレ・ジイドをはじめ反ファシズムの姿勢を示す文学者の紹介も特徴的だ。注目すべき社会現象の裏の闇についての、解りやすい解説もある。

 京都の若手たちの意図はこうだったろう。ファシズムの中枢・元凶に直接正対したのでは、国家権力と正面衝突してしまう。力をもって踏み潰されてしまう。ところで庶民がファシズムに足を盗られて巻込まれてしまう第一の原因は、視野の狭窄だ。情報の片寄りであり、世界の実状に対する無知だ。細部を知ることこそが抵抗力になる。自分らに今できるのは、より広い世界情報を提供することだ。そのためにこそ、各人の専攻研究分野が役立つ。
 時あたかも、数人の若者が下宿に集ってヒソヒソ噺をしただけで、官憲から眼をつけられた時代だ。その時代の息苦しい京都市内の光景を、後年野間宏は小説『暗い絵』に描いた。
 事態を明快にすべく、ここは乱暴に、薄っぺらく指標化してしまおう。京都の俊英たちによる実行は、非政治的・非暴力的にして文化防衛的・学問尊重的な、「知」による抵抗だった。

 抵抗の一次資料がここにある。が、私にはもはやこれらを活用するすべがない。どこかにこれら貴重資料を役立てられる読者があることを、切に願う。『復刻版 世界文化』『復刻版 土曜日』を古書肆に出す。
 活動当事者の一人和田洋一による、戦後になってからの回想文『灰色のユーモア――私の昭和史ノォト』は、わが若き日にはすでに伝説の名著扱いで、入手しにくい本だった。そうした状況から、他の関連文章をも増補するかたちで『私の昭和史――『世界文化』のころ』が出し直された。『灰色のユーモア』全文が再録されてある。両著とも手許にあるので、このさい古書肆に出す。
 さらに、同志社大学人文科学研究所編『戦時下抵抗の研究』(全二巻)がある。研究グループが対象を手分けして分担執筆した体裁で、思想の科学研究会による有名な『共同研究 転向』の小型版といったおもむきだ。『世界文化』グループのみならず、他の自由主義者たちやキリスト教信仰者たちによる、ファシズムへの抵抗の痕跡を丹念に掘起してある。このさい古書肆に出す。

今晩のお奨めは



 「ところで、今晩のお奨めはというと?」
 「かき揚げ天で~す。タネは人参に、ブロッコリーの茎に、キャベツの葉脈」

 芝居を観なくなってなん年にもなる。映画はもっと前から観なくなっている。寄席を覗いてみることも、長らくしていない。むろんテレビも、自宅では観る機会がない。
 役者も歌手も芸人も、近年人気が急上昇してきた人たちについては、名も顔も知らない。意識的に情報を拒否しているわけではない。知りたいとは思っている。ただ優先順位が低くて、手が回らないだけだ。たまさか教えられても、すぐに忘れてしまう。

 文化を享受もしくは消費することなど、私ごときには分不相応な贅沢だと思っている。ただし文化・文明の恩恵には、今後も遠慮なく浴してゆきたい。社会インフラを利用させていただくし、町内会に混ぜてもらって回覧板も回していただきたい。だいいち日本語で用が足りるようになっていること自体が、文化の恩恵だ。
 国民にあまねく平等に行き渡らせるを旨とする文化・文明は恩恵だが、私が希望・選択して手に入れる文化は享受であり消費であると考える。そして文化の享受や消費を、ことのほか大切な問題と考えて、半生を生きてきた。将来の自分の血肉となってゆくもの、いわば自分への投資と考えてきた。
 だがもはや自分が、世間に対してもどなたさまに対しても、お役に立つ人間ではありえなくなり果てたからには、この投資は無駄である。今さら「私」なんぞを磨いたり豊かにしてみたところで、甲斐がない。

 それでも時おり寂しくなって、ユーチューブで『伯山ティービィー』や『ヨネスケちゃんねる』を覗いてみることもある。「あなたどなた?」という場合も多いが、私でも知ってる芸人さんも次つぎ登場する。「マァーすっかり偉くなられて」「オヤオヤずいぶんお齢をめされて」の連続である。
 そんなだから、これは相当ズレた時代感覚と思われるが、手抜きの自炊生活にあって少しは手のかかる作業なんぞをしているさいに、ふと口を衝いて出る独り言が、ヨネスケさんの『突撃!隣の晩ごはん』だったりする。「奥さん、今晩のお奨めは?」


 大腸の最終コーナーである S 字結腸が異様に間伸びしてしまって、捻れ絡まって内容物を通せんぼする腸捻転で、入退院を繰返した時期があった。五年前から四年前にかけての一年間だ。四回目の入院中に、それまでの内科処置をとうとう諦めて切除手術を受けることとなり、外科病棟へと院内引越しさせられた。
 外科の患者は、容態を診ながら待たされるのが仕事だ。患部が、さらには躰全体のメカニズムが、どうなった時が手術適期か。検査・観察されながら、ただひたすら待たされる。潮時というべきか、ココダッという日が来て、手術場へ搬送されてしまえば、処置は呆気なく、その日のうちに済んでしまう。

 術後の集中治療室で要注意観察の患者でいた一夜、なるべく躰を運動させたほうが術後回復が早いと指導された。そんなこと云われたって、上半身も下半身も幅の広いベルトで固定されているうえに、もう慣れっこになった腕への点滴のほかに、鼻からも口からも、腹からは二本、それに尿道からも肛門からも管が出ていて、それぞれ計器や排泄袋に繋がっている。運動なんぞできるはずがないのだ。
 ベテランの看護師さんに訊いてみたら、術後の肉体にとっては、足の指を動かすだけでもたいした運動なのだという。なるほど踵からアキレス腱まで固定されてはあるが、指だけはなんとか動かせそうだ。筋肉だけではない、意識や神経の運動ということなのだろう。私はさように理解した。

 術後の一夜は眠らなかった。仰向けでベッドに括りつけられた状態で、足の指を曲げ伸ばしして過した。始めは左右同じ動きだったが、飽きてきて、左右互い違いの曲げ伸ばしにした。それにも飽きて、足指ジャンケンを始めた。
 曲げ伸ばしの二拍子であれば、左右同時でも互い違いでも可能だ。ところがジャンケンとなると、左右同時はできても互い違いはできない。新発見だった。人間の意識なんぞというものは、ずいぶん無能なもんだと思い知った気がした。同時に、二進法と三進法とでは、数学的面倒に雲泥の差が生じるのだろうとも考えた。
 夜通しかけて、足指の曲げ伸ばしを一万回以上もしたのは、後にも先にもこの一夜だけだ。

 術後の様子見期間も、ただひたすら待つのが仕事だった。二十日ぶりにそろりそろりと食事再開し、消化臓器の動きを確認し、小水を検査し、ガスの通りと食物の通りを待つだけだった。
 病棟廊下とエレベーターホールと階段の長さを眼分量で計り、一周回がなんメートルと見当をつけた。午前午後に各一キロづつ歩くことにした。
 「術後の数値は、申し分ないですね。血圧も悪くない。入院前の生活が良かったのでしょうね。おそらくは食生活だと思いますが」
 外科医の診断に、してやったりの思いがした。
 「ほう、手術にむけて体重を落したのが好かったのでしょうか」
 いささか得意の表情が出てしまったのだろうか。即座に釘を刺されてしまった。
 「低いとはけっして申しません。安定してるというまでです」
 ギャフンッ、という思いだった。

 高血圧症患者に、理想の食事などというものはない。塩分過多はよろしくないという基本があるばかりだ。世に云う高級品・高額品ほど、塩分もしくはそれに代るものを含んでいる。つまり私にとっては、月並で粗末な食材を念入りに、少量づつ多品目摂取する以外に対処法がない。
 深夜の独り台所についての、ささやかな自己弁護である。

ただいま逃避中



 あいも変らぬ保存惣菜を補充した。デスク周りには鬱陶しい案件が山積しているために、台所へ逃避した格好だ。

 熱を通す惣菜の場合は、途中随所で「冷ます」だの「蒸らす」だのといった工程が欠かせぬから、二品三品同時に作るとなれば、どうしたって夜鍋作業だ。「ラジオ深夜便」を BGM 代りにうたた寝することになる。タイマー電子音をいく度も聴くこととなる。
 火を止めて、全体かつ最終の冷ましに入ったときには、ついタイマーをかけずに長めのうたた寝をしてしまった。眼醒めたら外が明るくなっていた。「ラジオ深夜便」は了って「マイあさ!」に変っていた。惣菜たちは好い按配に、器に移せるほど冷めていたが、流しは洗剤用と水用とにふた山分けした洗いもので一杯だ。まずは腕まくりである。

 空模様に恵まれた日曜日となれば、絶好の外出日和だ。池袋まで出て済ませてしまいたい用件がある。それに若者諸君との古本屋巡りに向けて、下見に歩いてみたいコースもある。だがいかんせん、圧倒的な寝不足だ。体力気力ともに万全とはほど遠い。途中で気分でも悪くなっては不愉快だし、人さまにもご迷惑をおかけする。ここは自重か。
 ならば溜っている洗濯物を一気に片づけるべく、コインランドリーへでも出向こうか。いやいや、二十四時間営業のセルフサービス店に、選りにも選ってこんな陽気のこんな時間に赴くのは愚の骨頂だ。客のまばらな深夜に行けばよろしいのだ。
 いっそこのままひと眠りして、すべては眠り足りた後のこととしようか。いやいや、眼醒めたときにも好天が続いているとの保証はない。今すぐに、この条件下で片づけられる雑用はないものか。

 
 昨日作業の続きを、一段落まで進めておくことにした。建屋西側の、コインパーキングとの境界塀ぎわだ。フキの群落地帯である。昨日作業と本日作業とが、かつては一回分の作業範囲だった。眼に見えての体力減退である。

 狭い範囲ではあるが、問題の多い箇所だ。排水溝を覆うコンクリート蓋に破損がある。暮しに不便はないものの、いつの日か補修しなければならない。
 ネズミモチの切株もある。二番根と三番根とをなんとか切断したものの、一番の太根は建屋の下へともぐり伸びていて、私の手には負えない。今のところヒコバエを芽吹いてくる気配を見せてはいないが、油断ができない。依然要注視の相手だ。
 母の時代には、ここが空き鉢類の置き場だった。名残の植木鉢が今も多数重ねられ、横たえられてある。割鉢と再利用可能鉢とを仕分けて、それぞれの始末をつけなければならない。
 さらに加えて、西側から塀越しに、ペットボトルだの空缶だのが放りこまれる事例が跡を絶たない。数ある利用者のなかには、心ない人もある。かつてと較べれは、数はずいぶん減った。ひところはボトルや缶のみならず、弁当の殻が割箸やお手拭きまでそっくりレジ袋に詰められて、放りこまれた例もあった。本日もミネラルウォーターのペットボトル(フタつき)と珈琲空缶と単三乾電池、各一個をゲット!


 昨日の山と今朝の山と、草山がふたつ。この場で枯れさせるか、他の枯草山と合体させるか、後のちの埋め戻し計画との兼合いで、思案のしどころだ。作業が一時間となったので、ひとまず切上げた。すぐに決めなくてもよいことだ。

 うがい手洗い、除菌消毒。さて今度こそ、少し眠らねばならぬところだろうが、あまりの好天に、迷いが生じ、心乱れる。この気持は、正対すべき問題から顔を背け、逃避していることと、おそらく関係がある。