一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

道理

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廣津和郎様、永らくご逗留中

 晩年の広津和郎は、松川裁判が不当裁判ではないかとの疑いを抱き、検証・批判に全力を注ぎました。
 刑法議論をしたのではありません。あくまでも文士らしく、第一審・第二審の判決文や裁判記録の微細な矛盾をも見逃さずに、克明に読込むことをとおして、捜査陣や検察側の隠れた心理をあぶり出していったのでした。助動詞・助詞の意図まで読み取ろうとする、凄まじいまでの吟味です。

 検証・批判は雑誌『中央公論』に、じつに十年以上も連載されました。
 松川裁判は、次第に世論の注目を集めるにいたり、冤罪ではとの疑いを抱く人が、増えてゆきました。
 最終的には、第一審で死刑を含む重刑判決を受けた、二十人近くの被告たち全員の、無罪判決が確定しました。

 この時期の広津和郎は、通風が悪化して独りでは歩けないほどの体調でしたが、松川の被告のためになるならと、講演要請も揮毫要請も、けっして断りませんでした。
 拙宅逗留中の書と、まったく同じ文言の書を、他所でも観たことがあります。求められるまゝに、何枚も書いたものでしょう。うちの一枚が、拙宅にご逗留中です。

素足

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 とある文学賞の選考作業を分担中で、応募作品を毎日読んで過している。不正・情実を避けるべく、作者の個人情報など一切伏せられたものを、読んでいる。中年の書き手と思しき作品も混じるが、ほとんどが若い作者らしく、学生作品も多そうだ。
 今春、定年退職したばかりで、それまで二十三年ほど、文学青年・芸術青年の話し相手という仕事に従事してきたから、お若い作者の作品に対しては、ある種の勘が働く。傾向の推移も、ほんの少々は承知している。

 たぶん十年は経っていない、こゝ七八年の傾向として、広い意味での同性愛ものがめっきり増えた。男性作者も女性作者も、同様である。当初は、文字どおりカミングアウトの悩みや、同性同士の恋愛や同棲生活や、失恋や破局など、単純率直なものが多かった。漫画やライトノヴェルの世界で、ボーイズラブが人気を博す傾向と連動していたろう。またメディアで、性的少数者の人権問題や、社会制度の改変要求が取沙汰される機会が増えたこととも、関連していよう。

 しかしもはやそう単純では作品を形成できぬようになってきている。先天的両性具有や両性愛者。恋愛感情はあっても性関係を結べない無性欲症候群。身だしなみや衣服のみ異性嗜好で本人の心持は並みの場合。性転換手術後の難問。まだまだある。そこへ被虐嗜好・暴力嗜好の問題がからみ、さらに幼少期の体験による心の傷問題がからむ。まことに多彩化していて、書き手としては手付かずの領域が豊富と見えることだろう。

 ご多分に漏れず、場面設定のみ身勝手に拝借して作品の彩りとしようというような、審美的興味本位のものも当初は目立った。しかし現在では、小手先の嘘やご都合主義は通用しないし、だいいち深刻に悩む人たちに失礼だ、という局面になってきてはいる。
 新語や隠語もどんどん産み出されるし、従来語の意味変容も眼につく。

 世代格差だろうが、私の耳に刺さるのは、「オカマ」である。本来は、肛門性交をする人、という意味だ。そこから男娼を指した。現今の炊飯器ではなく、鉄釜を火に掛けて飯を炊いていた時代、洗い終った釜は土間や陽当りに伏せて置かれた。そこから、尻を上に向ける奴ら、という連想でできた隠語である。
 女装者であれ、ダンサー・歌手であれ、接客業者であれ、素人の同性愛者であれ、混同されれば、
 「失礼ねっ、オカマと一緒にしないでよ!」
 と、烈火のごとく怒って当然の言葉だった。

 それまで公然と口にするのを憚る気分が働く言葉だった「オカマ」を、逆用してメディアに登場したのは、おすぎとピーコのご両人だったと思う。
 「あたしらどうせ、オカマだからさぁ」と、ご両人が笑いを取るのはご自由。
 だからといって、「あなたたちはオカマでしょう?」と、他人が云うのは失礼この上ない。これが私の世代の言語感覚だ。
 ご両人より先輩のカルーセル麻紀さんだと、内心不快ながら、時流を逆手にとって、いわばカギカッコ付きで「オカマ」と口にされていることだろう。

 ではそれ以前は、どう称されたか。風俗研究家や歴史家の資質皆無ゆえ調べたこともないが、子どものころ、「シスターボーイ」とは耳にした。美輪明宏さんらはお若いころ、そう称ばれたのではないだろうか。(間違っていたらご免なさい。)「オトコオンナ」「オンナオトコ」同様、やゝ蔑みもしくは揶揄のニュアンスを帯びていたと思う。
 「ブルーボーイ」という語もあったそうだが、これは旧いゲイボーイさんから教わったことで、私自身は耳にしていない。

 私の時代は「ゲイボーイ」さんである。英単語のGayだろうが、「芸」への連想が働くので、ショウビジネスや接客業界での語というニュアンスがあった。「ニューハーフ」という語が登場したのは、だいぶ後になってからだ。
 ただ今の「男の娘」「女装っ子」などは、牧歌的で逆に可愛い。

 昭和末の不良としては、ゲイボーイさんたちとは、ずいぶん親しくさせていただいた。サムネの彼女は、現在のお仕事・お立場もあろうから、名も源氏名も伏せるが、山口県の旅館の末っ子。お兄ちゃんたちから「変な弟」といじめられて家出。名古屋で水商売に足を踏みこんだ。
 ――ボロアパートの鍵を買う金もなくてさぁ、拾った針金をドアノブにぐるぐる巻きして出るんだよね。盗られるモンなんてなーんにもないのにさぁ。へべれけで帰ってくると、この針金がほどけないんだわぁ。指痛くってさぁ。なんでこんなに、ぐるぐる巻きしちゃったんだろうって、悔むのよ。不思議だねえ。翌日はまた、ぐるぐる巻きして出るのよ。盗られるモンなんて……。
 ――お父ちゃんお母ちゃんの、ドデカイお墓を建てたのよ。お兄ちゃんたちが誰一人、できゃしなかった立派なお墓なんだから。

 彼女とは六本木で出逢ったが、都内ゲイクラブのダンサー・ホステスの人気ランキングなど、猫の目のように変る。極端に云えば、月ごとに変った。
 瞬間最大風速というか、とある時期、彼女はたしかに、東京でナンバーワンのゲイボーイだった。みずからお気に入りだった写真パネルが一枚、私の手元に残った。
 そんな彼女なら、一度会ってみたいって?
 お引止めはいたしませんが、素足・洗い髪で、身長一八〇センチですぜ。

 

手付かず

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 梅雨時分に一度したきり、草むしりを怠っていた。猛暑とその直後の長雨もあって。玄関周りの狭い空間は草ぼうぼう。建屋とブロック塀の間あいだのわずかな通路も草ぼうぼう。ガスメーター検針のご婦人にも、お気の毒してしまった。などと書いたのが、二週間前。その後もさらに、さぼっていた。

 今日がゴミ出しの朝なので、昨日おっとり刀さながらに、十五分草むしり、のつもりが事態は予想以上に深刻で、三十分草むしりに格上げ。ついでに、たった一本のネズミモチ徒長枝も剪定した。
 モチの木仲間のうちでも、ネズミモチは実を付けるので、鳥が食うから、どこかから種が運ばれてくる。拙宅にも、実生の訪問樹がいく株も生えた。気が付くたびに、幼木のうちに始末してきた。

 ただ二本だけ黙認した。一本は塀ぎわの一株で、隣家との目隠しに好都合かと放置していたのだが、これが元気よく伸長し過ぎ、二十年もするうちに、並の剪定では始末のつかぬ厄介者となり、先年ついに処分した、これが案に相違して大ごとで、こんなに根深く根強いものかと、手を焼いた。
 仕方なく、掘り起しを断念し、伐り倒した。今も切株は残り、薬を使ってはいるが、それでもヒコバエが生えてくる。
 もう一本は玄関脇で、ま、門番みたいで悪くないかと黙認した。こちらは日常眼に付きやすい場所なので、まめな剪定を欠かすことなく、現在に至っている。

 こういうしぶとい奴だから、街路樹には向かない。野放図な繁殖力で、ご近所迷惑になる。公園や並木にあるモチの木は、カナメモチなど、実を付けぬ、行儀の好い連中である。

 さて昨日、抜いた草々、剪った枝は、すぐ袋詰めせずに、一日積んでおく。少しでも水分を飛ばして、シナシナさせるためだ。新鮮パキパキの状態ではかさばるばかりで、おまけに力も強いから、根っこや枝が、内側からゴミ袋を突破ったりする。

 で、今朝は袋詰め。青臭いというのか生臭いというのか、植物が死にゆく独特の匂い。たった一日寝かせただけだから、虫類はいない。日程の都合で、四五日も寝かせようものなら、植物死骸地の顔役ダンゴムシをはじめとする、さまざまな虫たちが、最良の環境を見つけたとばかりに、集ってしまう。虫たちもろともゴミ袋に詰めてしまうのは、気が進まないから、余計な気遣いをする破目になる。
 今日はその気遣いは無用だ。さっさと詰める。

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 で、ゴミ回収時刻には、間に合った。生ゴミと生活ゴミは、四十五リットル袋の五分の一に過ぎない。五分の四と、三十リットル三袋は、植物廃棄物である。一人家族なんぞというものはこんなものだと、改めて思う。
 ただし一段落したのは、玄関周りのみ。ガス検針のご婦人に気兼ねなく歩いていただくための、塀ぎわの通路は、まだ手付かずだ。

カメラ目線

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平野謙(1907~1978)


 ペット愛玩動画を覗いていて、気にかかる瞬間がある。
 腹を空かせた子猫が、乳を欲しがっている。必死なその姿が可愛いと、哺乳瓶を遠ざけてみたりする。そっちじゃないと、わざわざカメラレンズの方に向き直らせて、やり直させたりする。
 怪我をして痛がっていたり、シャンプーのとき水を怖がっていたりした子猫を、早く手当てしてやればいゝものを、また早く拭うなり布に包むなりしてやればいゝものを、まず傷口を、怖がる顔を、カメラレンズに向けさせようとする。
 あゝ、またあれだな、と思う。

 交通事故現場や小火騒ぎの現場で、咄嗟に駈寄って介抱したり、消火しようとする人もあるが、周囲を取巻き、スマホをとり出して撮影し始める人もある。
 「バカヤロー、撮ってんじゃねえよ。110番と119番、すぐっ」
 あっ、と我に返って通報したりする。
 あゝ、またあれだな、と思う。

 人生が、なぁんて大仰な云いかたは鼻白むが、日々の暮しにあって、じかに暮すことと、暮していると自分に思い込ませることとの、均衡が崩れてきている。暮しなのか「暮し」という演技なのか、境目が曖昧になってきているのではないだろうか。
 多分、圧倒的大量の、自分に関係ないはずの情報を身に帯びて生活し続けるうちに、そうなってきたのだろう。

 先駆けとして、文学のほうではおよそ百年ちょっと前から、この問題が取沙汰され始めた。文士たちはこう考えた。人間の偽らざる素顔を、人生の真相を描き出さねばならない。それこそが江戸時代の遊興娯楽文学から脱皮した近代文学だ、と。
 作品に嘘があってはいけない。となると、もっともありのままを、もっとも切実に知っているのは、自分自身と身辺に実際に起きたことだ。それを書いて、文士(芸術家)となった。しかし他人(読者)を面白がらせるような材料が、身辺にそうそうあるもんじゃない。

 文士たちは、普通なら人前にさらけ出すのを憚るような私的嗜好や性癖にも、臆面もなく筆を染めた。社会通念・一般常識に反するような生き方も、実行して見せた。そして書いた。読者は面白がった。こんな奴も、世間にはあるのだと。
 文士のプライドは高かったが、家庭生活は崩壊した。崩壊もやむなし、それどころか、崩壊してようやく一人前とすら考えた。無意識のうちに、「文士」を演じていたのだ。世間からは「破滅型」と称ばれた。
 心の支えになっていたことのひとつは、お手本にした西洋の大文豪たち。バルザックスタンダールフローベール、揃いも揃って家庭的には不幸者か、さもなければ独身者だ。

 プライドは大切だが、個人の暮しを破壊する筋合いではないと、演技のカラクリに意識的たろうとした文士もあった。それはそれでジレンマを抱えた苦しい道のりだったが、かろうじて作風を維持し、やがて一道を拓いた。「調和型」だ。
 「破滅型」の伝統は、近松秋江から葛西善藏へ、やがて太宰治へと引継がれた。「調和型」の伝統は、志賀直哉から瀧井孝作へ、やがて尾崎一雄へと引継がれた。

 昭和時代に、この問題を理論的に整理したのは、伊藤整中村光夫平野謙といった文芸批評家たちだ。入門篇となれば、平野謙『芸術と実生活』に収録された評論「私小説の二律背反」だろうか。

 どちらの道も厳しい。となれば破滅型でも調和型でもなく、作品の真実味は私生活の真実とは別の、創られた真実だと、初めから自覚して文学する時代になった。芸術に没頭するあまり、暮しを崩壊させてしまうなど本末転倒。そう考えて、当事者であるよりは観察者・表現者たらんとした文学が、主流となって久しい。
 いつの間にか、人生とは愚直に生きるものではなく、生きたつもりになって観察しておけばよいものと早合点されるようになった。愚直なものは、観察の対象でしかなくなった。この風潮は、むろん文学のみに限られたものではなく、世の中全体の空気と足並みを揃えている。

 不運にして交通事故に遭った人などは、観察しておけばいゝ。まず写メだっ。
 …………。

二万年

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YouTubeチャンネル「もちまる日記」様の一場面を、無断で拝借しました。

 「あの人は数字を持っている」てな云いかたがされる。放送や出版や広告関連の業界人がたが、起用する出演者や執筆者たちに関して云う。あの人の名前が出さえすれば、あの人の作品でさえあれば、あの人が出演しさえすれば、この程度の反響が見込める。この程度の売行きが確実だ。このくらいの視聴率が約束される、という意味らしい。

 暇つぶしにユーチューブを散歩していると、子猫の動画にちょくちょくお眼にかかる。可愛らしいサムネに惹かれて覗かせてもらうと、脇に続編のご案内が出ている。また「あなたにお勧めの候補」が案内される。ついついそれも覗いてしまおうものなら、次から次へと、子猫動画ばかりを勧められる破目になる。
 べつだん迷惑ではないけれども、世の中にこれほど多くの、愛猫家ユーチューバーがいらっしゃるのかと、感心させられる。

 飼主家族の一員となって久しい爺さん猫・婆さん猫よりも、子猫のほうが圧倒的に人気があると見える。
 親にはぐれてミャーミャー鳴いていた、生後間もない幼猫を、視るに視かねて連れ帰って世話する動画が定番だ。水路で溺れそうだったとか、カラスに襲われたらしく怪我してうずくまっていたとか、事情はあれこれある。ノミや寄生虫にやられて瀕死状態だったとか、先天的疾患をもっていたとか、子猫たちの宿命も一様でない。
 臨月の母猫を保護して、お産させた場合もあり、子猫を何匹もお披露目にやって来て、飼主に世話を頼んでみずからはいずれかへ姿を消した母猫もある。

 動画化される場面は似たり寄ったりだ。まず温めてやる。シリンジか哺乳瓶でミルクを与える。獣医に検査・診断を仰ぐ。日々の体重を測定して、日誌を付け成長過程を動画に撮る。眼が見えるようになったら、玩具であやしてやる。トイレ教育する。歯が生えてきたら離乳食教育する。そのあたりで、ネットで里親を探す場合と、飼主の家族にする場合との二股に分かれる。生後何か月、体重が何倍になったと報告される。成猫となる直前に、避妊手術を受けさせる。

 眼も開かずに、ガリガリに痩せてたゞ震えていた、手のひらに乗る幼猫が、ほれ、こんな美猫になりましたと、ビフォーアフターが対照明示される。
 紋切り型ではあるものの、子猫といっても個体差さまざまで、色も顔立ちも性格も、少しずつ異なっているので、観るほうはどれどれと、また観入ってしまう。

 驚くべきは、登録者数と再生回数だ。万単位の登録者を擁するチャンネルもある。何十万回の再生回数を誇る動画も珍しくない。
 まさしく、子猫は数字を持っている。

 なかには、幼猫と飼主との出会いから撮り始めて、家族の一員どころか、家内の王と崇められるまでに成長した成猫の日々を、撮りも撮ったり七百回近く。このたび目出度く、ギネス世界記録に認定されたチャンネルもある。「ユーチューブをとおして世界でもっとも多くの人に観られた猫」という称号である。
 総アクセス数が、6億1950万回とか。今試みに、一昨日アップされた動画を覗いてみたところ、登録者数138万人、その日の動画再生数84万回、コメント7千弱とある。

 ときに、私ごとき暇人の、なんの役にも立たず可愛げもない妄言ブログにも、登録者様はいらっしゃって、連日のようにお励ましをくださるご定連も、ほんの数える程ながらいらっしゃる。ありがたいこととも、不思議なこととも思う。
 が、指折り計算してみると、私がこの調子で毎日書き続け、投稿していったと仮定して、この猫と肩を並べるには、あと二万年かかる。
 はて、それまで書き続けられるものだろうか。


読み屋稼業

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 久しぶりに、読み屋の仕事が舞込んできた。
 今回は、ある文芸雑誌が無名新人に出している賞への応募作の一次選考、つまり下読み・粗選りである。賞の基準に鑑みて、箸にも棒にも掛らぬ作品を振い落して、上の選考に揚げる作品を限定する仕事だ。原稿用紙百枚以内という条件で応募された作品群を、これからしばらくの日数かけて、読みに読む作業となる。

 世間で無名の文学屋でいると、こういう仕事が回ってくることもある。有名選考委員に、応募全作品をお読みいただくわけにもゆかない。そこで、陰の「読み屋」たちの登場。世間に面が割れていない。それでいて、有名先生がたほどでないまでも、そこそこ腕が立つ。なによりもギャラが安い。

 テレビ時代劇に「必殺」というのがあった。日ごろは裏長屋にあって、櫛カンザシを削ったり、三味線の音を改めたり、それぞれ手職人。編集部の女性社員、もとい伝令の銀杏返しがふいに覗いて、「八丁堀が呼んでるよ」「あいよ、今度はなんでえ」てなことになって、小判がピシリピシリと並ぶ。
 「大江戸捜査網」というのもあった。隠密同心心得の条。武門の儀、あくまで陰にて。死してしかばね拾うものなし。
 まさしく、あれだ。こんな年寄りに、めったに仕事は来なくなったが、元気な年頃には、これを貴重な現金収入源としていた。業界の片付け屋たち、ハイエナ集団などと、陰口されていたらしい。

 こんな稼業にも、それぞれ心掛けも技術もある。必殺仕事人だって一人ひとり、武器が異なるじゃないか。
 まず、主催者が設定した授賞方針を把握する。求める受賞作の想定水準を承知する。その求めを満たす作品や、それを裏切るほどの魅力作(またはその芽)を、どこに着眼して探すかを思い描く。最低限の心掛けだ。
 技術としては、自分の公平さをいかに保持するかという問題が大きい。たくさん読むうちに、自分の眼や感受性が馴れっこになってしまうことを、どう抑止するかの問題。
 長年の勘で、判定してしまうという同業者もある。初見一読したさいの、自分の感動・印象を信じるという立場だ。解らぬではないが、私はもう少し、自分を疑っている。

 今回は、各応募作品読了直後に「技・想・耳」の三項目について、〇△✕を付していって、全作読了後に、総合点の高い作を改めて比較することにした。
 「技」は日本語力。語彙も文法も表現も含めて。「想」は人物像の彫琢、主題の掘下げ、技法の工夫、いわゆる思索やアイデアに関わる部分。
 我が判定の特色は「耳」。言葉にも楽器と同様、鳴りの良い悪いがある。また読者の耳にどう聞えるかにとどまらず、その音が作者自身の耳に正確に聞えているかの問題もある。怪訝に思われるかたもおありかもしれぬが、書き手に将来があるかどうかを診分ける、大切なポイントである。

 という次第で、今月一杯は缶詰生活。当ブログも、ユーチューブもピンチ。などと考えていたところへ、なんという巡り合せか、ユーチューブ・チャンネルのディレクター氏が、新録音のほかにアーカイブと称して、私の昔のお喋り音源をアップし始めてくださった。
 開口一番は黒澤明映画『七人の侍』。なんとなんと噺の枕で、今日と同じ「読み屋」のなりわいについて、喋っている。まったく記憶になかった。心底呆れ果てた。進歩がないにも程がある。いや、これが耄碌による退歩というものか。

暢気時代

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広津和郎(1891~1968)

 

 谷崎精二先生を囲むお祝いの宴。受付には、英文科の大学院生らが、お客様ご案内係や名簿係として駆り出されていた。会が始まって、ようやく受付が手すきになったころ、老人が一人、入口に到着した。
 「あっ、広津さんだ」
 大学院生は谷崎門下で、日頃イギリスの小説家を調べていた。しかし文学読者としては、広津和郎を愛読していた。その広津が今夜はご来駕あるやもしれぬとの事前情報に、ひそかに胸躍らせていたのだ。ご本人をお見かけした経験は、まだなかった。運が良ければ、谷崎先生の弟子の何某ですと、ご挨拶の機会があるかもしれない。

 「あのぅ、広津先生、よろしければ外套をお預かり、いたしましょうか?」
 受付を素通りするように、足早に会場へ向いかけていた広津和郎が立止って、つッと振返り、眼が合った。
 ――その時の眼。怖かったねぇ。キッ! 君は何者かっ、と詰問してくる感じだ。これが作家の眼というもんかと、背筋に震えが来るようだった。作品や文章から受ける、聡明で包容力のある印象とは、まるで違うんだ。足が竦んでしまってね、ご挨拶も名乗ることも、できなかった。あれは、怖かったよ。

 その大学院生、のちの守屋富生先生から、私が教えを授かったのは、先生ご定年のほんの数年前だから、さて、谷崎祝賀会から何十年経っていたことになるんだろうか。その晩のお噺は、酒肴を間に幾度も伺った。
 守屋先生は、ご研究としては二十世紀初頭のイギリス作家アーノルド・ベネットを、生涯にわたり愛された。もともとフランスやアメリカと比べると渋いイギリス近現代文学のうちでも、ことに地味な大家である。
 ――ベネットは野暮天の田舎者でね。正直だが、いっこうに垢抜けないんだ。そこがいゝんだ。英国の田山花袋だね。

 そして盃をお手にされると、ご専門分野についてはめったに語られず、恩師谷崎精二先生や愛読してやまぬ広津和郎を、えんえんと愉し気に語るのを常とされた。井伏鱒二小沼丹三浦哲郎についても、繰返し語られた。
 ――谷崎先生は神経が細くてねぇ、踏切で信号機がカンカン鳴ってるでしょ。すると二十メートルも手前で、あーッとか云ってしゃがみ込んじゃうんだ。あんな神経をして、同人誌『奇蹟』のころ、よくもまあ広津さんや葛西善藏みたいな豪傑たちと渡り合えたもんだねえ。
 ――小沼さんはどうして、あゝも短くさっぱりと書けてしまうんだろうか。作家というものは、じつに不思議だ。井伏さんも、そういうとこ、あるでしょ。
 ――三浦さんは真面目そうにしているくせに、今「日経」に連載してるやつ、凄まじくエロチックでねえ。あんがい隅に置けないんだ。
 さらにきこし召すと、広津和郎の眼に出逢って、大隈会館の受付に立ち竦んだ噺となる。幾度伺っても、また面白かった。

 この二十年で、大学は急速に変ってきた。世界的傾向かお国の方針か、歴史的必然か社会からの要請か、私は知らない。だが今後の大学では、私なんぞは生きてゆけない。
 守屋富生先生をとおして、谷崎精二先生も恩師であるかのような気分に、勝手になっている。窪田章一郎先生(和歌史)をとおして、窪田空穂も恩師であるかのようだ。暉峻康隆先生(江戸文学)をとおして、山口剛も恩師であるかのようだ。小杉一雄先生(東洋美術史・文様史)をとおして、会津八一も恩師であるかのようだ。
 むろん勝手な思い込みである。こんな無手勝流で暢気な学徒は、今の大学に居場所があるはずもない。

 守屋富生先生は、ご定年退職にさいして、ご処分されるべきご蔵書を、形見分けなどとおっしゃって、後輩に分け与えられた。誰に何を授けるか、かなりお考えになられたふしがあった。私は抱月先生の評論集と、伊藤信吉の詩論との二冊を、頂戴した。