一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

2022-01-01から1年間の記事一覧

赤フン

安岡章太郎(1920 - 2013)『井伏鱒二対談集』(新潮文庫、1996)より無断切取り。撮影:田沼武能。 満洲北部、ソ連との国境警備部隊に、南方への転進命令がくだった。全兵士に赤褌が支給された。水中でフカに狙われぬためだという。途中で輸送船がやられて…

途を拓く

河盛好蔵(1902 - 2000)『井伏鱒二対談集』(新潮文庫、1996)より無断切取り。撮影:田沼武能 目立たぬ功労者の踏んばりによって、歴史は底支えされてきた。多くのかたがたにまで、知っていたゞく必要はないことだけれども。 ポール・ヴェルレーヌの有名な…

穴の研究

自分の手でできることなんぞ、たかが知れているけれども。 降った枯葉を掃く季節だ。横着して二日に一度だ。雨天やあまりに寒くてやる気が起らぬ日もあるから、三日か四日に一度となることもある。 まず玄関周りの程好き場所を視定めて、スコップで穴を掘る…

ウクライナ

ウクライナのワインだそうだ。初めていたゞく。 文学部文芸学科は、専門研究分野を限定せずに、自由研究および作品創作に主眼を置く特色ある学科だった。専属の教授はいらっしゃらない。カリキュラムに適した教授が各学科から出向のかたちでご講義なさった。…

邪道

山梨のご郷里から送られてきた柿の、お裾分けだという。 修士論文執筆が佳境に差しかかって容易でないという、写真学科の女子大学院生に無理を願い出て、ご足労願った。情景写真をなんカットか、撮影していたゞきたい旨、依頼した。 月末の終末は、ユーチュ…

初稿料

井伏鱒二(1898 - 1993) どんな大家も、初めて手にした稿料というものは、不思議と憶えているものとみえる。 井伏鱒二と尾崎一雄の対談(『井伏鱒二対談集』新潮文庫、1996)となれば、早稲田文学部の昔ばなしである。さらにはその後の同人雑誌時代であり、…

冬の身

準備は整いつゝあるようだ。鳥たちに提供されるのは、さて年内だろうか、年明けてからだろうか。 明日は父の命日だ。昨年十三回忌を済ませたから、これで満十三年経ったことになる。一市井人につき、墓所を訪れてくださるかたなどめったにないが、それでもご…

ガリ

はてなブログの時系列アクセス数グラフ。あゝ、ワールドカップの試合が始まったんだな……。 俳優座劇場に勤務され、舞台制作のお仕事をなさっている宮澤一彦さんが、ツイッターで呟かれた。 「サッカー、盛上ってたみたいですね。そんな時に30歳も年上のかた…

芸風

河上徹太郎(1902 - 1980) 知ってるから書くか、知ろうとして書くか。 河上徹太郎には、小林秀雄について語り回想したいくつもの文章がある。一冊の本にまとまったものさえある。小林秀雄とは何者かと知りたがる読書人はいつも多かったから、その人をよく知…

看病小説

津村節子(1928 - )『紅梅』(文藝春秋、2011) 作者みずから、わが集大成と称ぶ作品。夫の吉村昭(1927 - 2006)が体調の異変を口にしてから他界するまでの一年半を描いた、看病・介護記だ。 帯広告には、構想執筆に五年の歳月とあるから、夫の最期を看取…

大収穫

とにかく、どれもデカイ! 学友大北君の菜園から、またも収穫のご恵贈に与った。炊き合せるにせよ煮ころがすにせよ、里芋は四分の一にカットして使わせていたゞこう。 これほど大ぶりの生姜を、川口青果店でもサミットストアでも視たことがない。それに私は…

親孝行

長谷川元吉(1940 - 2017)『父・長谷川四郎の謎』(草思社、2002) 謎は解けた。そしてますます深まった。たいした本だ。 著者は長谷川四郎のご長男。映画カメラマンにして、また圧倒的本数の TV コマーシャルを撮影してこられた人だ。デビュー作は吉田喜重…

冬の訪れ

鍋料理と熱燗の季節、ということなんだろうが、私の場合は煮物の季節だ。 われながら機嫌がよろしい。いつもと同じ値段の生椎茸が、つねにもなく肉厚大ぶりだったからだ。どんこ椎茸と称んでやっても。買物まえにあれこれ思案したとおり、鶏肉と長ねぎと人参…

散歩の達人

冨田 均『東京徘徊』(少年社、1979) この人の仕事は残る。私は疑っていない。 若き日からひとつのことにばかり関心を抱いていると、後年目覚しいお仕事をなさった人に、あんがい早い時期にどこかで、なにかの機会にお逢いしていたということが、よくある。…

身の丈

正宗白鳥(1879 - 1962) 文士ふぜいも、偉くなったもんだ。感慨に耐えぬようでもあり、皮肉に吐き捨てるようでもある、いつもの正宗白鳥節が炸裂している。『回想録』の「明治文壇と今日の文壇」という章でだ。 白鳥曰く、明治期には、文士が西園寺公望首相…

素足

雨傘を取違えた。正しくは、取違えられてしまった。 川口青果店でだ。いつもの人参のほかに、さてなんにしようか。店先で思案し物色していた。寒くなってきたから、八か月ぶりに野菜と鶏肉の煮びたしでも再開しようかという気になっていた。生椎茸は必須。あ…

北京

中薗英助『北京飯店旧館にて』(筑摩書房、1992) この短篇集が出現したときの衝撃は、忘れられない。 それまで中薗英助とは、面白いミステリー小説を読ませてくれる小説家とのみ思っていた。とくにスパイものという分野の先駆者的小説家だと。 『スパイの世…

冬の色

フラワー公園のケヤキの色づきが眼に鮮やかで、どれどれワンカットと近づいて、近景に隣の柑橘樹を入れると、どう撮ってもそっちが主役になってしまう。苦笑を禁じ得ない。 公園は駅や商店街とは逆方向だから、散歩の足がこちらへ向う場合を除けば、銭湯か散…

桜葉降る

この季節は、桜と花梨の枯葉が降る。風のない日でも、毎日降る。 往来を汚す。できれば毎朝、落葉掃きするのが望ましい。が、怠けている。せいぜい三日に一度程度だ。 お向う三軒のお玄関先も、少しは汚すが、ほんのわずかだ。ビル風のごとく風向きに癖があ…

無駄使い

アニー・エルノー『シンプルな情熱』(ハヤカワepi文庫、2002) 外出すると、つい無駄使いが生じる。無収入の老人は、家でじっとしているに限る。 百貨店での歳暮手配が目的だった。だのにロフトに寄って、来年の手帖を買った。年賀状に捺そうかと「卯」の字…

ハム

季節である。毎回、同じことを考える。過去の日記には、おそらく同じことが書いてある。読み返さないけれども。 歳暮・中元の儀は、ほとんどしない。お返しはと、先方の頭を煩わせてしまうくらいなら、初めから「お互いさま」といった態度で臨むべきと考える…

視てきたような

扇子、釈台、張り扇。 講談の人気が復活しているという。新しいスターが若い観客に支持され、その勢いで古参の芸が今さらながらに評価されているのだろう。歓ばしいことだ。 三十代なかばの、まぁキャリアウーマンというのか、自信ありげな女性から説教され…

原則

小山内薫(1881 - 1921) もともと文筆稼業なんて、そんなもんだ。 『回想録』という文章で正宗白鳥が、当時の官立(つまり帝大)と私学の格差について回想している。制度的格差ではなく、社会通念としてだ。坪内逍遥先生だって、愛弟子の島村抱月より高山樗…

豆ご飯

豆ご飯を炊いてみるか。ふいに思い立った。 生れて初めて豆ご飯を口にした日なんぞ、憶えちゃいない。たいそう美味くて大喜びした記憶が、うっすらとある。横浜桜木町は野毛坂のてっぺん近く、とあるご大家の勝手口脇の小屋をご縁あって拝借し、ありていに申…

また一年

堂々堂開店の前々日に新規仕入れの荷が入った。古書往来座ご店主ご指導のもと、古研中心メンバー手分けして、ほこり磨きを済ませ、手持ち在庫と合せて分類仕分け作業。箱詰めする。翌る開店前日は仕込み日。出庫搬入と店づくりだ。 荷が出ていった倉庫。今回…

せめてもの

自分なりに厳選に厳選を重ねて、残ったのがこのワンカットというのは、いかにも悲しい。忘れないでおこう。 引続き大学祭の件。展示場の隅にいたところで店番にも荷物運びにも役立たぬ身ゆえ、他棟の他学科展示や他サークルの催しなどを、観て回る。撮影が許…

芸祭茫々

暖簾。他サークルにはありえない看板。 展示会場の隅に、何気なく吊るされてある暖簾だが、学生諸君はもちろん若手 OB にだって、そのいきさつを知る者はない。 サークルを立ち上げたころ、地道に古書店散策を積重ねて、会員の基礎知識が確かになったら、ゆ…

日芸祭 2022

江古田駅、上りホーム。 芸術の秋です。文化の日です。大学祭です。日本大学藝術学部は一昨年、学部創設百周年を迎えました。もよりの西武池袋線江古田駅には大きな広告看板が観られます。ホームにも、改札口外にも、階段側面にもあります。池袋駅のホームや…

戦雲

森 鷗外(1862 - 1922) 森鷗外の戯曲『日蓮聖人辻説法』を読んでみた。困ったことになった。 読売新聞記者として劇評の筆を執っていた正宗白鳥は、おゝかたの芝居を酷評したのだったが、口を極めて褒めちぎった舞台がたったひとつだけあった。鷗外作の『日…

どんなもんだい

ユ―チューブの収録をしてくださっているディレクター氏から、お土産にうなぎ串をいたゞいた。お住いご近所の商店街に、持帰りもできる美味いうなぎ屋があるので、ひと口いかがとおっしゃって。ありがたや、大好物だ。 氏はおっしゃらなかったが、このお土産…