一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧

円空

谷川徹三『芸術の運命』(岩波書店、1964)より切取らせていただきました。 今では行届いた写真集がある。『別冊太陽』『芸術新潮』ほかで、写真と解説満載の特集号も出ている。 学生の分際で円空仏について知る機会は、ほとんどなかった。谷川徹三『芸術の…

焼そばパン

焼そばパン初心者といたしましては。 在日外国人さんや旅行来日外国人さんによる、日本印象動画がユーチュ-ブ上に溢れていて、ふと覗いて観ることがある。意表を突かれる着眼に興味を惹かれた場合も、あまりに月並な感想にがっかりした場合もある。 感動的…

朝の陽射し

金剛院さま境内、シダレウメ。咲きました。 個人邸庭木、コブシ。もう少しです。 フラワー公園、マメザクラ。間もなくです。 児童公園。鳥たちの大好物が豊作。ふいの接近者に、食事の中断を強いられ、迷惑そうに翔び去った。ベンチで缶ミルクココアをゆっく…

もんぺ

熊谷守一美術館、往来に面した外装画。 往って帰ってきただけでは散歩にもならない。それほど近所に、熊谷守一美術館がある。一九八五年開館だそうだが、私は記憶していない。気が付いたら開館していた。会社員時代、つまり我が生涯でもっとも目まぐるしかっ…

鳥たちの廃屋

イケネッ、体力落ちていやがる。 なにも明けがた就寝したいわけじゃない。あまりに寒いから、毛布かぶって寝ちまおう、となるわけだ。小型温風器では間に合わない。電気ストーブだと、太ももや腹ばかり熱くなって、背中が寒くてたまらない。ストーブの前で、…

おばあちゃん

佐藤洋二郎『百歳の陽気なおばあちゃんが人生でつかんだ言葉』(鳥影社、2023) ありがたいですねぇ、めでたいですねぇ、微笑ましいですねぇ。でもね、この本、ウッカリできませんですよ。 作家のご母堂おん齢百歳。数年前に肺炎を患われたのを機に、ケアセ…

認知症

初期認知症候群。悪いことばかりでもない。 昨年のいつ頃だったろうか。肉じゃが(のようなもの)ばかりを作って食べていた時期があった。ひと鍋作ると、四日ほどは食うから十六日か、うっかりすると二十日近くは、食膳の一品となっていたのではなかったろう…

下ごしらえ

徳富猪一郎『蘇峰自伝』(中央公論社、1935) なにごとにも前段階、下地づくりというものがある。 徳富猪一郎(以下蘇峰)少年が生れ在所の水俣から熊本へ出たのは、明治三年(八歳)の秋だった。父は藩庁に出仕して熊本にあり、いわば単身赴任だった。むろ…

愉しい時代

大河内傳次郎(1898 - 1962) いくらなんでも、伝わらねえわなぁ。 NHK「ラジオ深夜便」に片岡鶴太郎さんのコーナーがある。ゲストを招いて語りあったり質問したりして、出演者の個性や私生活の一端が微笑ましく伝わってくるトークタイムだ。今回のゲストは…

想像力

シリア料理店でデザートとして出されたお菓子だという。お裾分けとおっしゃって、お土産に頂戴した。 ご夫妻で検索なさりながら語り合われたという。トルコ・シリア大地震への救助・復興支援の意思表示はできぬものかと。むろん赤十字をお使いになられたこと…

仲良し

まっ先に読みたかったのを、グッと我慢していた。受賞作を読んでからにしよう。私の感想なんぞ、読み足らずか見当違いに決っている。選考委員の先生がたに正していただこう。受賞作は、佐藤厚志『荒地の家族』、井戸川射子『この世の喜びよ』の二作。 おおむ…

納めどき

生まれて初めて手にしたデジカメだった。 学生時分はカメラを手にした。むろんフィルム時代である。父が友人にそそのかされて、また流行に煽られて、ニコンをなん機種も所持していた。ろくに使われずに休眠したままの機種もあった。ただで使わせてもらってい…

袖すりあう

井戸川射子『この世の喜びよ』、今期の芥川賞受賞作です。 受賞作発表号『文芸春秋』三月号の目次を開くと、作品タイトル脇のキャッチコピーには「喪服売り場で働く女性を通して描く子育てのリアル」とあります。さような作品なら、私とは縁もゆかりもなく、…

タイムリミット

ビッグエーでレジ清算を了え、買った物をバッグに詰めていたときのこと。 牛乳パックやらロクピーチーズやら、包装のしっかりしたものは心配ないとして、竹輪だの大豆水煮だのラッキョだの、包装が頼りなさそうなものや、それまで冷蔵されていたために表面に…

充満

ほろ酔い、巡回個展。 イラストレーター武藤良子さんの巡回個展が、今は岐阜市で開催されているらしい。二月二十六日まで。 古書往来座さんを介して武藤さんから、宮城の酒「一ノ蔵 大和伝」をいただいた。私に一杯ご馳走くださろうがためではなく、酒瓶のラ…

これも人魂

佐藤厚志『荒地の家族』、今期の芥川賞受賞作です。 四十歳の坂井祐治は一人親方の庭師です。個人営業の植木屋さんですね。阿武隈川河口の町に暮しています。あの大震災および津波災害では、間一髪で命拾いの目に遭いました。苛酷な労働環境だった造園会社で…

ありあわせ

ありあわせ力そば。思えば私の日曜日にふさわしい。 力うどんというメニューは、蕎麦屋さんなどに古くからあったもんだろうか。子ども時分には知らなかった。わが家の食習慣には(つまり母のレパートリーには)なかった。高校生時分だったろうか。友達と外食…

ありがた迷惑

徳富蘇峰(1863 - 1957) 徳富猪一郎少年(以下蘇峰)は熊本洋学校へ二度入学している。 藩校時習館はあまりに古臭い訓詁の学に滞った、学校党の巣窟だった。徳富家は横井小楠を学祖と仰ぐ実学党の家だ。父一敬は、小楠暗殺(明治2年)されて以後の、熊本に…

雪景色

「この山道を往きし人あり」って、まったくだなぁ。 豪雪に見舞われたかた、道路網が遮断されて渋滞・迂回のかた、乗物の運行中止や遅延でお仕事に支障をきたしたかた、まことにお気の毒。拙宅周辺は煮物のさい鍋底に砂糖を敷いた程度。それも土の上だけ。コ…

河の中から

銭湯からの帰宅道。自販機の飲物片手にふらふらしたり、立ち停まってみたりするのが好きだ。 躰の芯が温まるとは、生理学的にはいかなることなのだろうか。徒歩五分のお湯屋さんまで歩くのに、往きはマフラーをきつく締めつけるように巻いて、震える気分でぼ…

風浪

『木下順二作品集 Ⅵ』(未来社、1962) 作家は生涯かけて処女作へ向って完成してゆく、という云われかたをすることがある。木下順二の場合、まさに至当だ。 昭和十四年(1939)十一月三十日、午後二時、木下順二は処女作『風浪』の第一稿を書き了えた。翌日…

十七回忌

金剛院さまの境内は、四季をとおして花色が絶えることがない。植栽がさように按配されてあるのだ。 かと申して寺院境内にシクラメンというわけにもゆくまい。凍るような空気のなかでは、ツバキが普通だが、ごく目立たぬ場所にある。 眼を惹くのはトサミズキ…

熊本バンド

熊本洋学校 そろそろテレビを観なくなっていた時分だったが、NHK 歴史大河『八重の桜』だけはときどき観ていた。綾瀬はるかさんが主役だったからだ。 前半の盛上りである会津戦争までは、綾瀬さんばかり観ていた。舞台を京都へ移しての後半、新島襄や同志社…

独走状態

ニラではないから、食べられない。 建屋の裏手へ回るための踏石と、ブロック塀とのわずかな隙間に、食べられそうな細羽を繁らせている連中がある。球根にだろうか、葉や茎にだろうか、かなりの毒性があるらしい。植替えなどで触った場合には、よく手を洗った…

道のり

熊本から、少年は東京へ発った。 通っていた洋学校が閉鎖された。洋学校では、新聞をよく読んだ。地元紙のほか東京日日新聞も届いていて、熱心に眼を通していた。新聞記者になりたいとの志を抱いた。 東京へ出よう。父も反対しないどころか、奨めてくれた。…

あんまん申す

俺一人に取材がかかる機会ってのは、めったにないんだが。世の中には、いろんなお人があったもんで。 俺んとこの爺さんってのが、ちょいと視あげたところのあるお人でね。昔から主役と決ってた肉まんや、新興昇り龍のピザまんらを差置いて、長年脇役ばっかし…

日めくり

いつの世も、親父から視れば。 金剛院さまから暮れに拝領した、いわば新年グッズのなかに、日めくりカレンダーがあった。真言宗豊山派の印刷物請負い処なのだろう、有限会社豊山により発行されたものである。 とりとめなき不規則生活にあって、いささかでも…

盗撮の記

古京は荒れて新都はいまだならず、ということか。 筋向うの音澤さんのお宅を覆い隠すようにして枝葉を伸ばしていたネズミモチの大樹が、あたり一帯を縦横する鳥たちにとってハブ空港的な役割を果していたことは、前に書いた。はたからの眼を遮断するほどに密…