一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

日々録

音が立派

坪内逍遥(1859 - 1935) 文学には、音感やリズム感がことのほか大切だ。 学生時分の正宗白鳥は、早稲田から歌舞伎座まで徒歩で、芝居を観にかよったという。たしか広津和郎も、麻布の親元から早稲田まで、歩いて通学したと書いていた。昔の学生は、じつによ…

街の灯

午前の陽光。 柔かい陽射しのなかに、園児たちの細く高い声が交錯する。 どっち方向へでもむやみに駆け出したい子がいる。保母さんから見つけられたくって、ベンチの裏に身を潜める子がいる。滑り台の梯子を昇ろうとして、またブランコに乗ろうとして、まだ…

マスコット

ハロウィンだってさ。さようなものが私の身近にもあるなんて、驚き桃の木だ。 昨日は月に一度のユーチューブ収録日。ディレクター氏が機材一式をトランクに詰めて、ご来訪くださる。一回ニ十分ていどの野放図な喋りから、無駄なところや差障りあるところ、発…

次世代

デヴォン・ロドリゲス(1996 - ) ニューヨークの画家デヴォン・ロドリゲス(Devon Rodriguez)のユーチューブ・チャンネルには、私も登録している。 2019年10月に登録された彼のチャンネルは、現在登録者数477万人、総視聴回数は11億8500万回である。そもそ…

送られてみて

三木のり平(1924 - 99) 自分の値段なんて、棺桶に片足突込んでみなけりゃ判るもんじゃねえや。昔から云われる。いゝえ、両足突込んでの誤りでしょう。 伴淳三郎(1908 - 81)が亡くなったとき、葬儀の進行演出が三木のり平に託されたという。多数の、しか…

始末に負えぬ

国木田独歩(1871 - 1908) 政治家や軍人に引きずられて、善良な国民たちはだれ一人望まぬ戦争に駆り出された、なんぞという云いぐさは、嘘に決ってる。 国木田独歩『号外』は、銀座裏通りの安酒場で、定連らしい三人の酔漢が馬鹿笑いしたり口論まがいに云い…

不良呼ばわり

石原慎太郎(1932 - 2022) 正宗白鳥が「懐疑と信仰」を雑誌連載し、堀田善衞がアジア作家会議に出かけていたころ、世はまさに太陽族ブームの真盛りだった。 前年に第一回「文學界新人賞」を受賞し、スルスルッと駆けあがって芥川賞を受賞した一橋大学学生石…

往ったり来たり

正宗白鳥(1879 - 1962) お見事な齢のとりかただ。真似などできようはずもないが、ひとつの理想ではある。 正宗白鳥は読売新聞(当時は文化芸術の新聞)に就職して、文芸時評や演劇時評や美術時評を書きまくった。偶像破壊者と称ばれた。他人が崇めるものを…

ペースメイカー

わが日常生活のペースを、なにが維持してくれているのかと申せば……。 起床後の体調測定値を、とりあえず手もとの紙束にメモしておく。裏白の A4 判反故を四つに折って文庫本サイズとしたものを、大きめのクリップで束ねただけのものだ。一面に一週間ぶんのデ…

まずまずの日

起床後ただちに、測定の日課。体重・検温・血圧・脈拍。毎朝とは限らない。昼間だったり夕方だったりする。就寝・起床の時刻がまちまちだからだ。測定後パソコンを開ける。メールチェックが済んで、ブログを開けてみる。 今日は佳き日だ。どんだけゾロ目好き…

第一地帯

梅棹忠夫(1920 - 2010) 堀田善衞がアジア作家会議に出席するためにインドを訪れたのは昭和三十一年(1956)だが、その前年に、梅棹忠夫は京都大学カラコルム・ヒンズークシ学術探検隊の一員として、アフガニスタンからパキスタンを経てインドへ入っていた…

けっこうな時間

高井有一(1932 - 2016)『新潮現代文学74 高井有一』より無断で切取らせていたゞきました。 高い処から物を云うようではしたないが、用語用字に疑問のない作家、昭和・平成で日本語がもっとも安定していた作家はと問われると、この人を想い出す。 純文学一…

主体意識

大島渚(1932 - 2013) 弁も筆も立つ映画監督だった。声の大きいかただった。しかも美声だった。長身で美男子で、どの点から視ても説得力のあるかただった。 高校生時分から学生時分へかけて、作品からも発言からも眼が離せなかった映画監督を一人となれば、…

二で割るわけにも

小田 実(1932 - 2007)『「べ平連」・回顧録でない回顧』(第三書館、1995)より無断で切取り。 世界中どこへでも、だれが相手でも、容赦なく自分を押出してゆける人とは、なるほどかような人のことか。それが感触・印象のすべてだった。 一度だけ小一時間…

いったいどこに

堀田善衞(1918 - 98)『堀田善衞自選評論集』(新潮社、1973)より無断で切取らせていたゞきました。 『インドで考えたこと』(岩波新書、1957)について、まだあれこれ考えている。締切りも課題もなくなった身の幸せで、同じところを往ったり来たり、心ゆ…

老人弁当

正午近く、インターホンと呼び声に、パジャマ姿のまゝマスクだけ着けて玄関へと向かった。 前日久びさの古書漁りは、日ごろ運動不足の老身にはさすがに強行軍だった。好い運動をさせてもらった爽快感が心身に残ったものの、疲労感もある。幸い日曜日だ。だら…

吉祥寺散歩

吉祥寺散歩といっても、お洒落な服屋や小間物屋やカフェには、眼もくれない。いや眼は惹かれるのだが、せいぜい心に刻むだけ。すべてこの次の機会として、今日は素通りされる。 学生サークル「古本屋研究会」から散策活動のご連絡をいたゞいたので、勇気を出…

悪魔考

「オレンジの悪魔」がまたやってくれた。京都橘高校吹奏楽部だ。国慶節に招かれてのマーチングが注目を浴び、台湾のテレビ番組でもネット上でも、さかんに称賛されている。 十月十日は双十節。孫文が清王朝打倒の狼煙を挙げ、いわば辛亥革命の口火が切られた…

衣食足りて

堀田善衞(1918 - 98)『日本文学全集84 埴谷雄高・堀田善衞集』(集英社、1968)口絵 思い出してはまた、読み直したい作家の一人だ。 1ドル=360円の固定相場だったと申しあげると、ナニソレ? とお若いかたから訊き返される。日本が変動相場制に移行したの…

混ざってる

そもそも舞茸ご飯って、いかなるものなのだろうか。 数日前に、即席便利食材のお世話になって、舞茸ご飯なるものを炊いた。ほんのり淡泊な炊込みご飯の香が立って、私の口には合った。しかしそこで、大疑問が発生した。なんと迂闊なことに、ほんらい舞茸ご飯…

落日の光景

外村 繁(1902 - 61) 富士と河口湖を望む天下茶屋の二階展示室で、ふいに外村繁を思い出した。当店を訪れた文士たちのスナップ写真のなかに、井伏鱒二を取囲む面々といった一枚があって、外村繁らしい姿が半身だけ写っていたからである。 現今の読書界の流…

リハビリ気分

つねの暮しに戻す。これが案外……。 わずか二日間、家を空けるだけのことなのに、無意識のうちに気持の整理をしていたのだと、帰ってから思い当った。と申しても、ゴミ屋敷然たる家内を片づけようとした形跡は、まったくない。台所や冷蔵庫に限ってである。 …

名残の富士

富士山駅ホームから。 一生涯ぶん見せてもらった。これが名残の富士。 旧鎌倉往還だという国道沿いのバス停までお連れいたゞき、ご丁寧に富士山駅方面へのバス時刻表までお調べいたゞいて、ご夫妻とはお別れした。国道を挟んで、「ふじさんミュージアム」と…

霊山

山を観ると、偉いもんだなぁと思う。樹齢なん百年という巨木を観ても、偉いもんだなぁと思う。理由があって偉いのではない。文句なく偉いと、じかに感じる。 一泊旅の目的の第一は、久びさに丹沢ご夫妻と面談することだった。昔、早稲田の第一文学部と第二文…

忍野八海

これより忍野八海、遠方は富士。 あまりに有名な観光地だからと、ご案内人は一推しでもないようなお口ぶりだったのだが……。 丹沢ご夫妻が米子から移られて、最初にご住所を伺ったとき、富士山麓の地理に暗い私でさえ、「忍野って、あの忍野八海の?」と、咄…

おもてなし

丹沢家ベランダから望む、朝の富士である。手前は北富士演習場とのこと。 一生涯ぶんの富士を眺めた。曲りくねった山道を登り降りするなかで、大きく湾曲するとまたもまたも、絶景ポイントがあった。いたるところ絶景だらけだ。 宵は、暮れてゆく富士を眺め…

天下茶屋

「天下茶屋」前より。(撮影 丹沢和仁) 河口湖と、向う岸や手前の街まちと、左右から下る稜線とが織りなす逆さ富士が見えるポイントだそうだ。なるほど……。 一別以来の挨拶もそこそこに、まずはまずはとご夫妻の愛車に招じ入れられ、いの一番に向ったのは「…

教養

YouTube で観た、旅好きや撮り鉄の真似をして、レンズを向けてみた。学友が臨終を迎えていたその日、私は車中の人だった。 若い友人の丹沢和仁さんと早帆夫人は富士山麓の忍野にお住いで、そこからの眺めはまさに霊峰を独り占めにするがごとき絶景だから、ぜ…

報せてない

学友から一斉配信の緊急メール。訃報だ。どっちが先かのぅと語りあった仲間うちから、また一人。 文学少年仲間のうちで、もっとも早熟な奴だった。へぇずいぶん大人びたものを読んでるんだなぁと、いく度も感心させられた。が、互いに影響を与えあうことはな…

いじけ抄

本日は佳き日である。他愛のない日常。 早朝であれ昼下りであれ、その日起床後たゞちにおこなうことは、検温、体重と血圧の測定、それらのメモだ。いく日ぶんかまとめて専用帳面に転記し、さらにそれが溜るとグラフを作成する……ことにしてある。クリップされ…