一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

読み跡

赤フン

安岡章太郎(1920 - 2013)『井伏鱒二対談集』(新潮文庫、1996)より無断切取り。撮影:田沼武能。 満洲北部、ソ連との国境警備部隊に、南方への転進命令がくだった。全兵士に赤褌が支給された。水中でフカに狙われぬためだという。途中で輸送船がやられて…

途を拓く

河盛好蔵(1902 - 2000)『井伏鱒二対談集』(新潮文庫、1996)より無断切取り。撮影:田沼武能 目立たぬ功労者の踏んばりによって、歴史は底支えされてきた。多くのかたがたにまで、知っていたゞく必要はないことだけれども。 ポール・ヴェルレーヌの有名な…

初稿料

井伏鱒二(1898 - 1993) どんな大家も、初めて手にした稿料というものは、不思議と憶えているものとみえる。 井伏鱒二と尾崎一雄の対談(『井伏鱒二対談集』新潮文庫、1996)となれば、早稲田文学部の昔ばなしである。さらにはその後の同人雑誌時代であり、…

ガリ

はてなブログの時系列アクセス数グラフ。あゝ、ワールドカップの試合が始まったんだな……。 俳優座劇場に勤務され、舞台制作のお仕事をなさっている宮澤一彦さんが、ツイッターで呟かれた。 「サッカー、盛上ってたみたいですね。そんな時に30歳も年上のかた…

芸風

河上徹太郎(1902 - 1980) 知ってるから書くか、知ろうとして書くか。 河上徹太郎には、小林秀雄について語り回想したいくつもの文章がある。一冊の本にまとまったものさえある。小林秀雄とは何者かと知りたがる読書人はいつも多かったから、その人をよく知…

看病小説

津村節子(1928 - )『紅梅』(文藝春秋、2011) 作者みずから、わが集大成と称ぶ作品。夫の吉村昭(1927 - 2006)が体調の異変を口にしてから他界するまでの一年半を描いた、看病・介護記だ。 帯広告には、構想執筆に五年の歳月とあるから、夫の最期を看取…

親孝行

長谷川元吉(1940 - 2017)『父・長谷川四郎の謎』(草思社、2002) 謎は解けた。そしてますます深まった。たいした本だ。 著者は長谷川四郎のご長男。映画カメラマンにして、また圧倒的本数の TV コマーシャルを撮影してこられた人だ。デビュー作は吉田喜重…

散歩の達人

冨田 均『東京徘徊』(少年社、1979) この人の仕事は残る。私は疑っていない。 若き日からひとつのことにばかり関心を抱いていると、後年目覚しいお仕事をなさった人に、あんがい早い時期にどこかで、なにかの機会にお逢いしていたということが、よくある。…

身の丈

正宗白鳥(1879 - 1962) 文士ふぜいも、偉くなったもんだ。感慨に耐えぬようでもあり、皮肉に吐き捨てるようでもある、いつもの正宗白鳥節が炸裂している。『回想録』の「明治文壇と今日の文壇」という章でだ。 白鳥曰く、明治期には、文士が西園寺公望首相…

北京

中薗英助『北京飯店旧館にて』(筑摩書房、1992) この短篇集が出現したときの衝撃は、忘れられない。 それまで中薗英助とは、面白いミステリー小説を読ませてくれる小説家とのみ思っていた。とくにスパイものという分野の先駆者的小説家だと。 『スパイの世…

無駄使い

アニー・エルノー『シンプルな情熱』(ハヤカワepi文庫、2002) 外出すると、つい無駄使いが生じる。無収入の老人は、家でじっとしているに限る。 百貨店での歳暮手配が目的だった。だのにロフトに寄って、来年の手帖を買った。年賀状に捺そうかと「卯」の字…

原則

小山内薫(1881 - 1921) もともと文筆稼業なんて、そんなもんだ。 『回想録』という文章で正宗白鳥が、当時の官立(つまり帝大)と私学の格差について回想している。制度的格差ではなく、社会通念としてだ。坪内逍遥先生だって、愛弟子の島村抱月より高山樗…

戦雲

森 鷗外(1862 - 1922) 森鷗外の戯曲『日蓮聖人辻説法』を読んでみた。困ったことになった。 読売新聞記者として劇評の筆を執っていた正宗白鳥は、おゝかたの芝居を酷評したのだったが、口を極めて褒めちぎった舞台がたったひとつだけあった。鷗外作の『日…

音が立派

坪内逍遥(1859 - 1935) 文学には、音感やリズム感がことのほか大切だ。 学生時分の正宗白鳥は、早稲田から歌舞伎座まで徒歩で、芝居を観にかよったという。たしか広津和郎も、麻布の親元から早稲田まで、歩いて通学したと書いていた。昔の学生は、じつによ…

始末に負えぬ

国木田独歩(1871 - 1908) 政治家や軍人に引きずられて、善良な国民たちはだれ一人望まぬ戦争に駆り出された、なんぞという云いぐさは、嘘に決ってる。 国木田独歩『号外』は、銀座裏通りの安酒場で、定連らしい三人の酔漢が馬鹿笑いしたり口論まがいに云い…

不良呼ばわり

石原慎太郎(1932 - 2022) 正宗白鳥が「懐疑と信仰」を雑誌連載し、堀田善衞がアジア作家会議に出かけていたころ、世はまさに太陽族ブームの真盛りだった。 前年に第一回「文學界新人賞」を受賞し、スルスルッと駆けあがって芥川賞を受賞した一橋大学学生石…

往ったり来たり

正宗白鳥(1879 - 1962) お見事な齢のとりかただ。真似などできようはずもないが、ひとつの理想ではある。 正宗白鳥は読売新聞(当時は文化芸術の新聞)に就職して、文芸時評や演劇時評や美術時評を書きまくった。偶像破壊者と称ばれた。他人が崇めるものを…

第一地帯

梅棹忠夫(1920 - 2010) 堀田善衞がアジア作家会議に出席するためにインドを訪れたのは昭和三十一年(1956)だが、その前年に、梅棹忠夫は京都大学カラコルム・ヒンズークシ学術探検隊の一員として、アフガニスタンからパキスタンを経てインドへ入っていた…

けっこうな時間

高井有一(1932 - 2016)『新潮現代文学74 高井有一』より無断で切取らせていたゞきました。 高い処から物を云うようではしたないが、用語用字に疑問のない作家、昭和・平成で日本語がもっとも安定していた作家はと問われると、この人を想い出す。 純文学一…

主体意識

大島渚(1932 - 2013) 弁も筆も立つ映画監督だった。声の大きいかただった。しかも美声だった。長身で美男子で、どの点から視ても説得力のあるかただった。 高校生時分から学生時分へかけて、作品からも発言からも眼が離せなかった映画監督を一人となれば、…

二で割るわけにも

小田 実(1932 - 2007)『「べ平連」・回顧録でない回顧』(第三書館、1995)より無断で切取り。 世界中どこへでも、だれが相手でも、容赦なく自分を押出してゆける人とは、なるほどかような人のことか。それが感触・印象のすべてだった。 一度だけ小一時間…

いったいどこに

堀田善衞(1918 - 98)『堀田善衞自選評論集』(新潮社、1973)より無断で切取らせていたゞきました。 『インドで考えたこと』(岩波新書、1957)について、まだあれこれ考えている。締切りも課題もなくなった身の幸せで、同じところを往ったり来たり、心ゆ…

衣食足りて

堀田善衞(1918 - 98)『日本文学全集84 埴谷雄高・堀田善衞集』(集英社、1968)口絵 思い出してはまた、読み直したい作家の一人だ。 1ドル=360円の固定相場だったと申しあげると、ナニソレ? とお若いかたから訊き返される。日本が変動相場制に移行したの…

落日の光景

外村 繁(1902 - 61) 富士と河口湖を望む天下茶屋の二階展示室で、ふいに外村繁を思い出した。当店を訪れた文士たちのスナップ写真のなかに、井伏鱒二を取囲む面々といった一枚があって、外村繁らしい姿が半身だけ写っていたからである。 現今の読書界の流…

暗い絵

野間宏(1915 - 91)、『暗い絵』執筆のころ。 ふだんは忘れていてもかまわない。世相がきな臭い匂いを漂わせだしたとき、ふと思い出して読返す気になる小説に、野間宏の出世作『暗い絵』がある。 主人公にして語り手でもある深見進介の昭和九年、十三年、二…

台風接近

続けざまの台風接近。今回は「これまでに経験したことのない強風」でない代りに、雨台風だとのこと。東京二十三区西部(ウチじゃねえか)は洪水警報が発令された。はて、あたりには川も湖も視当らないが。 新潟の従兄から、新米が届いた。この季節が巡ってき…

時間差

絡みあった花は、そのまゝにしておく。 遠くを通り過ぎた台風の余波で二日間、時おりの雨と不意の突風に見舞われた。開花して頭でっかちになっていた彼岸花にとっては、災難だった。 B 地点(二番目に開花し始めた株)は茎を五本も立てた大所帯だが、一日目…

合せ技

孔子(B.C.552 - 479) それはまだ、片側に過ぎませんけれども……。 日曜日の台所でなにか手作業をしている場合には、ラジオから「爆笑問題の日曜サンデー」が流れている。硬軟織り混ぜたコーナーで長時間を構成し、なかには聴取者参加型コーナーもあって、多…

かき氷

『Nile’s NILE ナイルスナイル』9月号をご恵贈いたゞいた。 全頁カラー写真と文とからなる、紙も刷りもよく吟味された、上品かつ豪華な雑誌だ。広告だって、私の暮しに関係ありそうなスポンサーなんか一社も見当らない。 年収ン千ン百万以上のかたから定期…

継承

長野市で発行されている評論誌『遡行』の最新137号が届いた。私にとってご恩ある雑誌だ。信州文界のご長老のお一人であられた滝澤忠義さんが他界されて一周忌とのこと。所縁あったかたがたの回想や証言を集めて、特集しておられる。私はついに、お眼どおりい…