一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

読み跡

ギリギリの抵抗

他人事ではない気がしている。 京都大学での滝川事件を境に、同大出身の俊英たちはファシズムの急速な膨張気配に対する危機感を深めた。昭和八年のことだ。東京では、日本共産党の理論的指導者の一部と目されていた佐野学・鍋山貞親の両名が、獄中にあって懺…

一瞬の細部

『夢声戦争日記』の昭和二十年八月十四日のの末尾は、こうなっている。 「この放送は翌日の三時迄続いた。放送員は最後にしみじみとした調子で、 ~~さて皆さん、長い間大変御苦労様でありました。 とつけ加えた。私もしみじみした気もちでスイッチを切つた…

斬られるまでは

徳川夢声(1894 - 1971) 昭和二十年(1945)三月上旬の徳川夢声は、銀座金春と新宿松竹に出演していた。 江戸能楽宗家の金春屋敷が幕末に麹町へ引越していった跡地は、明治以降も芸者衆が住んだりする粋な金春通り界隈として、名残を留めた。銀座通り七・八…

開戦の日

昭和16年(1941)12月8日、神戸のホテルのルームで朝寝を決込んでいた徳川夢声のもとへ、岸井明が駆込んできた。慌てた様子で、扉も開けっ放しのままだった。東條英機首相のラジオ放送が始まるという。 夢声は月初めから湊川新開地の花月劇場で芝居の興行中…

反省なんぞ

小林秀雄(1902 - 1983) 戦時下にあっての、大半の日本人の生活感情を回顧した小林秀雄に、「庶民は黙って時局に身を処した」という意味の言葉があった。含意は軽くないと観ていた私は、とある席で若者たちにこの言葉をお伝えした。ところが、である。 「そ…

文字という世界

文字らしい文字、立派な文字というものが、あるのだろうか。あるような気がしている。ただし巧い拙いとは少し違うような気がする。美しい醜いとも違う気がする。丁寧な文字か粗雑な文字かなんぞは、初めから論外だけれども。 明治の元勲と称ばれる政治家・政…

溯る

『溯行』第138号 長野市を本拠地とする長寿同人雑誌である。今も刊行されている。私も若き日には、勉強させていただいた、 創刊者は立岡章平さんで、長野ペンクラブに所属する信州文界の雄のお一人だった。より自由に書きたいと袂を分つように『溯行』を創刊…

一次資料

『批評』(復刻版)合本にて全6巻。原本は昭和14年8月創刊、山坂あって最終号は昭和20年2月発行。文芸批評の同人雑誌だ。復刻版刊行にさいして、総索引や解説を付して、歴史研究の一次資料たるの便宜が整えられた。 「山坂あって」というのは、同人雑誌維持…

だけなら

久かたぶりで下り電車に乗る。上り電車でちょいと池袋までという超近距離よりも長く移動するのは、じつに久しぶりだ。というのに――。 十三時半ころ、清瀬・秋津間にて人身事故につき、全線運転停止中。十四時半の運転再開を目処に、懸命の事故処理中だという…

葉牡丹

ようやく少し解ってきたと思えるころ人生はすでに終盤戦で、今から挑戦するには気力体力ともに足りないという意味のことを、偉い人の随筆や回想録でいく度も読んだ記憶がある。「青年老いやすく学なりがたし」との忠言も、同じ意味なのだろうか。 寒さに尻込…

細部こそが

津本 陽『柳生兵庫助』(文春文庫) チャンバラはほんとうにチャンチャンバラバラと、やったものだろうか。 「刃向う者あらば斬って捨てるもよし。ただし此度の出役においては敵すこぶる数多にて、いちいち深手を負わするに及ばず。指一本なりとも斬り落して…

間合いについて

冷えが戻った。外出しない。 暑い季節の煮物・炊き物はどうしても足が速くなる。というので、保存惣菜といっても、昨年の初夏のころ中断したままだった「ひじき豆」を、ふと炊いてみる気になった。 なにはともあれ、まずは出汁づくり。今日はあとでカボチャ…

吉田秀和

読解力があるうちに、この人のものをもっと読んでみたかった。基礎教養があまりに足りなくて、果せなかった。 とある吉田秀和評に、こんな一節があった。音楽の吉田秀和、美術の高田博厚、文学の小林秀雄。三人の文章を、たんに音楽論・美術論・文学論として…

ロートレック

好きな西洋近代画家はと問われれば、ロートレックだ。ゴッホでもルノワールでもない。 トゥールーズ一帯を領地とする領主の息子だった。貴族の家柄である。幼少期に落馬するなど二度の大怪我で脊椎損傷し、下半身の成長が止った。躰の三分の二が上半身という…

正統性とは

今想うに、正統性とは? 江藤淳の熱心な読者だったことは、一度もなかった。にもかかわらず、宅内に散らばった雑本を掻き集めると、十冊以上が出てきてしまう。これでもまだ、夏目漱石関連は宅内行方不明のままだ。まとめてどこかに潜んでいるのだろう。 愛…

器の限界

車谷長吉『鹽壺の匙』には驚いた。じつは刊行時がこの作家の登場ではなく、いく年も前から、納得ゆくものだけをポツリポツリと雑誌発表してきた寡作作家で、ようやく一冊分が溜って刊行されたから、私のようなものの眼にも入ったのだった。内面の格闘を凝視…

大枠の見当

柄にもなく、分不相応に巨きなことを考えた時期があった。 『悲劇の死』が日本の文学や芸術に及ぼした影響は小さくなかったと思う。一九七〇年ころだったとの記憶なのだが、ジョージ・スタイナーというのが重要かつ面白いのだと、原文で読解できる気鋭の論客…

時代の痕跡

文学や芝居や映画にとって、新宿の街がとても重要だった時代の思い出噺だ。 映画界のツワモノがたから噺を伺うという、三夜連続の講演会があった。場所は紀伊國屋ホールだったと思う。 第一夜は吉田喜重。長身細身の美男紳士が登壇した。もし大学教授だった…

激烈

「此蓄生」たった三文字の賛が付されてある。 この季節の拙宅内はつねに寒く、私はたいてい鼻風邪を引いている。熱は出ない。躰が怠いということも、節ぶしが痛むということもない。ただのべつ幕なしに鼻水が出続ける。凄い量で、毎分ごとに鼻をかまねばなら…

絶頂期

気に入らぬ風もあらふに柳哉 仙厓 岐阜県の農家の子が地元の臨済の禅寺で得度して小僧になったのは十一歳で、十九歳のとき神奈川県の寺へ移って本格修行に入る。師より印可を受け、寺を出て独り行脚の旅に出たのが三十二歳で、福岡県の寺へは三十九歳で入る…

事の始まり

民主主義という語を、いつどこで覚えたのだったろうか。 小学五年六年時の担任教諭は、いかにも戦前の女子師範の節度謹厳を思わせる怖いオバチャン先生だった。私は自分の出来には余る教師運に恵まれた男と思っているが、まず最初がこの先生だ。あれこれの場…

気合ダァ!

年頭愕然。そして反省。そして決断。 拙宅内の片づけに重大な障害となっているもののひとつは、わが生涯にもはや再読の機会は訪れまいと思える書籍類だ。場所を塞ぎ、移動を妨げ、よろづ片づけの邪魔となってある。 中味を空にした箪笥だの、故障したままの…

解るよなあ

松が取れたら、いっせいにダンボール。因果関係はあるまいけれど。 およそ一日おきのペースで、コンビニへ煙草を買いに行く。昨年のある時期までは、拙宅筋向うといってもよい十字路角にファミリーマートがあって、すこぶる便利だった。繁盛店だったのに、な…

険しい時代の人たち

若き日の一時期、なんとかして理解しようとムキになってはみたものの、容易には歯が立たなかった本というものがある。今想えば、肩の力を脱いて、平易に読めばさほどの本でもなかったものを、未熟ゆえにそうはできなかったという苦い思い出である。それもこ…

初荷

当ブログの「古書肆に出す」シリーズをお眼になさってくださったかたから、だいぶ片づいてきたでしょうと、お声掛けいただくことがある。おかげさまでと、いちおう応えてはいる。が、あくまでも挨拶であって、実情はどこが進展したのかという状況だ。 空間を…

大つごもり秘儀

ここ一朴之宮大祭祀殿(巷での愛称は物置)では、例年大晦日の行事である「式年鍋替えの儀」が、つましくしめやかのうちにも古式ゆかしき恒例に則り、催されました。 儀式次第を知る者は、伝承者たる一朴翁わずか一名のみという、世にかくれた秘儀中の秘儀で…

歳末感謝大買出し

用件が三つ以上溜らぬうちは、外出したくない。指を折れば、五つも六つもになった。やむをえない。 まずはわがメインバンクたる信用金庫にて通帳記入。ギャラ振込んどきましたのでヨロシクとの連絡をいただいたまま、ものぐさを決込んでいた案件があった。こ…

ジョーダン

普段着のモンペを着用のまま、マイケル・ジョーダン・モデルのスニーカーを履いて、ラッパーのライブに出かけたようなもんだ。 とびきり生きの好い文学雑誌が届いた。『江古田文学』114号だ。頭から尻尾まで「日本実存主義文学」大特集である。 世に云う「実…

路傍の紙

断捨離に先がけてまず、部屋内を歩き回れる状態にする第一歩。 わが家には開かずの扉がいくつかある。老朽化のせいでも鍵紛失のせいでもない。足元に本やガラクタが積上げられてあるからだ。たとえば階段上りはなの廊下から書庫へは、扉はあっても直接には入…

一歩あり

囲碁・将棋といった習い事は、だれから教わってもいい。どう教わってもいい。教わるからには、ただひたすら熱心でなければならない。熱心さが足りなければ、一生ヘボで了る。身に浸みて自覚している。 政財界人や富裕層や大新聞社がこぞって、日本棋院や日本…