一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

読み跡

これも石清水か

久びさに会ったお若い友人から、お土産を頂戴した。ハトロン紙の書類封筒になにやら詰合せてあって、右肩にはリボンのシールが貼られてあった。相手に負担にならぬていどの心づかいを、いつもしてくれる女性である。 あえてその場では中味を拝見せず、帰宅し…

一生懸命に

澤村貞子(1908 - 1996) 気丈夫な女将や底意地の悪い姑を演ると、演技じゃねえだろうというくらいにハマった。映画だろうがテレビドラマだろうが、この人が脇役に一枚加わると、作品の格が一段あがった。 「おや、たいそう情ない取的さんだねえ。おなかが空…

想い出ある作家

森敦の登場は昭和文学史上の一事件だった。二十二歳でデビューしながら、六十二歳で芥川賞を受賞。その間、どこでどう暮していた人か。謎めいた来歴とあい俟って、時ならぬ時の人に躍り出た恰好の晩年だった。じつは謎とされた年月にあっても、知る人ぞ知る…

いよいよ手を着ける

人生の店仕舞の作業を怠けぬように、本を手放す記録を時おり書いてきたが、これまで芝居関連書籍に手を着けたことはなかった。他分野との相似や通底を断ち切れぬ場合があり、取捨の判断に迷う場面が頻繁に生じがちだからである。が、そう云ってばかりもいら…

空間のしこり

リンゴだミカンだ、カキたイチゴだと、お好みはそれぞれにあろうけれども、レモンに対してだけはちょいと格別な印象を抱く人が、文学好きには多い。梶井基次郎『檸檬』の影響である。 肺疾による微熱にのべつ苛立つ主人公が、京都の街をほっつき歩く。ここが…

かつてエーゲ海に

―― 空よ、海よ、船たちよ、そして船腹に青く染まるギリシア文字たちよ!(秋浜悟史『アンチゴネーごっこ』) 学生諸君が自主的に制作する印刷物向けに、アンケート回答を求められたことがあった。履修してから当てが外れてがっかりする行違いを防ぐべく、あ…

発明について

同人雑誌に発表された作品が、若き文学仲間のあいだで高く評価され、いざ檜舞台へと乗出そうとしたところで夭折した梶井基次郎が、多くの後進作家たちから尊重され、今なお読者が途切れぬのは、彼の発明の数かずがあまりに鮮烈だったからだ。 他人が思いつけ…

ご恩返し

「ほんとうに橋川が色川より上だと、思っているのかい?」 「問題にならんと、思うね」 「そいつあ『明治精神史』が読めてねえんじゃないかなあ」 高田馬場駅からほど近くの、立飲み酒場だった。給湯器のような酒の自販機があちこちにあって、備えつけのガラ…

雨上り行列

正午までに雨は上ると、天気予報は告げている。伊豆諸島沖を通過する台風が、遠ざかってゆくそうだ。しかしみすみす時間の無駄もできないから、出かける。 銀行 ATM の前には行列ができている。晦日だ。いよいよ支払いが待ったなしだとか、今日中に手形を落…

桜の樹の下には

「櫻の樹の下には屍體が埋まつてゐる!」 出逢いがしらに読者の横っつらを張りとばすような一行で、梶井基次郎『櫻の樹の下には』は始まる。わずか六枚ていどの掌篇だ。主人公(語り手)が「お前」という人物に説明する、もしくは諭し聴かせるといった、語り…

闇の絵巻

梶井基次郎(1901 - 1932) 梶井基次郎『闇の絵巻』を解説する気はない。十枚ていどの短篇だが、解説しようとすればその枚数を超えてしまう。ナンセンスだ。 話相手はなく、仕事も手に着かない。転地療養中の主人公は、深い谷に抉られた急峻な山路に沿う集落…

外国文学諦めた

読んでみたいと買ってみた。挑んでみたら、あまりに長かった。でも読むに足る作品ではあるようだ。いつか再挑戦して読了したいもんだ。命あるあいだに、果したいもんだ。さよう思って、書架の片隅になん十年も眠り続けてきた本たちがある。 小林秀雄の大著『…

石清水

旧友三人寄っての小宴。和風個室居酒屋。間違ってもステーキハウスやイタリアンレストランにはならない。 前回がいつだったか、記憶も定かでない新宿。時間に余裕をもって出かけた。紀伊國屋書店やらビヤホールライオンやら、名曲喫茶らんぶるを観て歩く。話…

一千と百日〈口上〉

【仙厓】吉野でも花の下より鼻の下(部分) 昨日投稿いたしましたる「その日はきっと」をもちまして、当『一朴洞日記』は一千と百日連続投稿を達成。本日は一千百一日目でございます。私ごとながら、ひとつの区切れ目には相違なく、あなたさまを始めといたし…

染井詣で

芥川龍之介一家は染井の地に眠っている。染井霊園に眠る、というのは、正確ではない。東京都が管理する染井霊園に隣接する、日蓮宗慈眼寺の墓地に眠っている。 墓所域内に、龍之介の墓石と芥川家の墓石とが並んである。俳優芥川比呂志と作曲家也寸志の兄弟も…

日陰街道

人と人とを出逢わせる、結びつけるというのは、人間的力量の最たるものかと思う。 今東光は津軽藩士の家柄だったことから、作家志望の太宰治青年の訪問を受けた。津軽つながりだ。文学を離れて仏道修行専一の時期だった東光は、自分には面倒看きれずと判断し…

ガラスの粉

水上 勉(1919 - 2004) 昭和二十年八月十五日の正午ころ、水上勉青年は晴れわたった若狭湾の眺望が眼下いっぱいに開ける峠のいただきで、石地蔵の脇に腰を降して、弁当の握り飯を頬張っていた。 村内にチブス罹患者が出た。当村への疎開者の妻だった。疎開…

大事な関門

今 東光(1898 - 1977) 博多の料亭に女丈夫の仲居がいた。 「東光先生、なにか字を書いてくださいな」 「いいよ、紙に書いても面白くねえや、キミのパンティーになら、書いてやろう」 断ろうと思ってである。 「いいわよ、だれか硯箱をお願い」 仲居は着物…

根っこ

江古田散策を了えた一行は昼食休憩。午前の部最後に駆けつけてくれた OB を含めて、年齢も江古田習熟度もまちまちの多人数が容易に席取りできる店などあるはずもない。少数もしくは単独に分散休憩してのち再集合の運びとなった。 珈琲館にて、珈琲とシナモン…

毒舌人生相談

1976 .10.および1977.7.初版刊行。 今東光『極道辻説法』と続篇との二巻が、手許にある。『週刊プレイボーイ』に長年連載された人生相談コーナーの集大成だ。投稿者も読者も、主として若者男子だろう。職場や人生設計から、宗教や文学から、恋愛や性まで、幅…

ギリギリの抵抗

他人事ではない気がしている。 京都大学での滝川事件を境に、同大出身の俊英たちはファシズムの急速な膨張気配に対する危機感を深めた。昭和八年のことだ。東京では、日本共産党の理論的指導者の一部と目されていた佐野学・鍋山貞親の両名が、獄中にあって懺…

一瞬の細部

『夢声戦争日記』の昭和二十年八月十四日のの末尾は、こうなっている。 「この放送は翌日の三時迄続いた。放送員は最後にしみじみとした調子で、 ~~さて皆さん、長い間大変御苦労様でありました。 とつけ加えた。私もしみじみした気もちでスイッチを切つた…

斬られるまでは

徳川夢声(1894 - 1971) 昭和二十年(1945)三月上旬の徳川夢声は、銀座金春と新宿松竹に出演していた。 江戸能楽宗家の金春屋敷が幕末に麹町へ引越していった跡地は、明治以降も芸者衆が住んだりする粋な金春通り界隈として、名残を留めた。銀座通り七・八…

開戦の日

昭和16年(1941)12月8日、神戸のホテルのルームで朝寝を決込んでいた徳川夢声のもとへ、岸井明が駆込んできた。慌てた様子で、扉も開けっ放しのままだった。東條英機首相のラジオ放送が始まるという。 夢声は月初めから湊川新開地の花月劇場で芝居の興行中…

反省なんぞ

小林秀雄(1902 - 1983) 戦時下にあっての、大半の日本人の生活感情を回顧した小林秀雄に、「庶民は黙って時局に身を処した」という意味の言葉があった。含意は軽くないと観ていた私は、とある席で若者たちにこの言葉をお伝えした。ところが、である。 「そ…

文字という世界

文字らしい文字、立派な文字というものが、あるのだろうか。あるような気がしている。ただし巧い拙いとは少し違うような気がする。美しい醜いとも違う気がする。丁寧な文字か粗雑な文字かなんぞは、初めから論外だけれども。 明治の元勲と称ばれる政治家・政…

溯る

『溯行』第138号 長野市を本拠地とする長寿同人雑誌である。今も刊行されている。私も若き日には、勉強させていただいた、 創刊者は立岡章平さんで、長野ペンクラブに所属する信州文界の雄のお一人だった。より自由に書きたいと袂を分つように『溯行』を創刊…

一次資料

『批評』(復刻版)合本にて全6巻。原本は昭和14年8月創刊、山坂あって最終号は昭和20年2月発行。文芸批評の同人雑誌だ。復刻版刊行にさいして、総索引や解説を付して、歴史研究の一次資料たるの便宜が整えられた。 「山坂あって」というのは、同人雑誌維持…

だけなら

久かたぶりで下り電車に乗る。上り電車でちょいと池袋までという超近距離よりも長く移動するのは、じつに久しぶりだ。というのに――。 十三時半ころ、清瀬・秋津間にて人身事故につき、全線運転停止中。十四時半の運転再開を目処に、懸命の事故処理中だという…

葉牡丹

ようやく少し解ってきたと思えるころ人生はすでに終盤戦で、今から挑戦するには気力体力ともに足りないという意味のことを、偉い人の随筆や回想録でいく度も読んだ記憶がある。「青年老いやすく学なりがたし」との忠言も、同じ意味なのだろうか。 寒さに尻込…