一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

読み跡

困る

観音さまがベッピンさんでよろしいのか、という問題。 金剛院さまでは、本堂から裏手の霊園へと辿ると、右手にひときわ高くに視上げるべき観音立像の塚がある。 手前の左右で、三角形に尖った頂点を上空に向けているのは、彼岸と俗世とを隔てる急峻にして峨…

うしろの正面

じつに久かたぶりに、芥川龍之介の短篇をいくつか読んだ。 今回は、評価高い『蜜柑』が書かれた直後、大正八(1919)年の作品群だ。初期作品に顕著な、シテヤッタリのお茶目な機知は薄れ、かといって晩年の憂鬱症はまだ発していない時期である。 とはいえ『…

怪しげ

「なんだこのジジイ、怪しげな奴…」「知らんぷりしとけよ!」 規制もゆるくなって、友達と愉しく登校するのである。ところが道端に、今時分こゝにいてはならぬ、怪しげなイキモノがいる。 雨はあがった。空青く、陽光さんさん。空気さわやかな午前八時。余所…

情報

そういえばまだ、アンテナが付いたまゝだな、拙宅も。テレビを遠ざけて、流行や世間の情報に疎くなるどころか、進んで遮断するかのように生きているのに。情報……。 島村抱月の滞欧日記を調べたさいの、複雑なというか皮肉なというか、キテレツな感動を忘れら…

有名

正面。 思い出の品だ。地震被害に遭っても、幸いに生残っている。 茨城に城戸夏男さんとおっしゃる陶芸家がおられた。私ごときが作品を所持したり、親しくご厚誼いたゞけるようなかたではなかった。文学愛好家の医師である大先輩が昵懇の間柄で、そのかたの…

うちのひと

渡辺達生撮影、墨田ユキ写真集『MADE IN JAPAN』(ワニブックス、1993)より無断で切取らせていたゞきました。 男から視て都合の好い女、と片づけてよろしいものかしらん。いえね、『濹東綺譚』のお雪のことなんですが……。 墨田ユキさんは、新藤兼人監督の映…

着眼

「世田谷ピンポンズ」さん Twittere より無断で拝借しました。 世に隠れた才人というものは、いらっしゃるもので……。 かつて「週刊朝日」巻末に、山藤章二さん選考・ご指導による「似顔絵塾」が連載されていた。投稿者による似顔絵の傑作により構成される、…

変化する

新井 満(1946-2021) 小説家、詩人、シンガーソングライター、映像プロデューサー、写真家、絵本作家……。とにかく多芸多才なかただった。それらの前に、電通社員だった。 それでいて、ガリガリ掘削するようにお仕事をなさっているようには、見えなかった。…

ヒント

勁草書房版、講談社文庫版。 品切れ、もしくは絶版が何年か続くと、どこかの出版社から新版が出る。どこ社版で、もしくはなに文庫で読んだかで、読者の年齢または本書に出逢った年代が知れるという、名著中の名著。 中央公論社版(1959年刊)でお読みになら…

ほの渋い

佐藤洋二郎『Y字橋』(鳥影社、2022) あの人は、あの後どういう人生を送られたのだろうか。お幸せだったろうか。今もどこかで、おすこやかにお過しだろうか。 一度だけでも、お会いしてみたい気もする。相手が女性の場合は、とくに。 伝手をたよって手蔓を…

役目

『江古田文学』109号が届いた。ということは、数日のちには書店配本されるのだろう。今号特集は「創作の「いま」を見つめる」。また大きく出た、意欲的特集だ。 一九九〇年代から二〇〇〇年あたり生れの若い書き手たちによる、小説や詩や評論がみっしり掲載…

常識学

中江丑吉(1889-1942)。北京にて、1937年3月、鈴江言一撮影。 ボケ切らぬうちに、聴けることは聴いておけ。お若い友人から、過去の文学についての噺を求められる。望むところだと応えたきところなれど、問題がひとつ。 私ごときにお訊ねあるは、せいぜい過…

ならじ

田中小実昌(1926-2000)『文藝春秋 芥川賞・直木賞150回全記録』より無断で切取らせていたゞきました。 表立ってのお役目を了えて、人さまになんら影響することありえぬ身になっての無責任ゆえに、見えてくることもある。 「近代文学」という古典芸能の一…

ヤツデ

ヤツデはヤツデ、松は松。確かにな。メダカの兄弟が大きくなったところで、鯉にも鯨にもならないなんて歌詞も、昔あったっけか。 区切りの好いとこまで、もう少し。そうこうするちに、外が明るくなった。寝そびれた。あとできっと反動が来る。 陽射しが好い…

根拠

埴谷雄高(1909-1997)川西政明『評伝埴谷雄高』(河出書房新社、1997)より無断で切取らせていたたきました。 追悼文の名匠はと問われて、即座に思い浮ぶ数名の文人から、この人が漏れることはない。 追悼文の名篇が残るには、まず依頼されねば始まらない…

立停まる

ほうき立ち。数ある落葉樹のうちでも、ケヤキだけが見せる冬枯れの姿である。 所沢キャンパスに二十年間ほど出講した。駅の正面から、警察署だの法務局支所だの市民センターだといった公共施設や、公園や中学校が並ぶメインストリート。両側はケヤキ並木だっ…

凡なるもの

細谷博『漱石最後の〈笑い〉―『明暗』の凡常』(新典社、2022) 皿にこびり付いたソースをひとしずくも余さず舐め尽そうとするかのように、『明暗』一作を、これでもかとばかり精細に読込んで、解きほぐした一冊が出た。 細谷博さんは南山大学名誉教授。日本…

ゴチャゴチャ

山下洪文監修『実存文学』(未知谷、2022) 詩人にして、大学では詩史と詩作の指導者でもいらっしゃる山下洪文さんが、ご一統のお力を結集して編まれた文叢。山下さんご自身の論文や研究調査を柱に、若い筆者たちによる詩・小説・批評が並ぶ。着眼秀逸の二大…

下山道

五木寛之(1932- )『赤旗(日曜版)』より無断で切取らせていたゞきました。(野間あきら記者撮影) 国家というものは危急にさいして、いとも簡単に国民を棄てる。敗戦後に旧満洲や朝鮮半島から引揚げてきたかたがたの回想録で、異口同音に証言されている…

文才

アンブローズ・ビアス(1842-? ) 『悪魔の辞典』はいきなり、こんなふうに始まる。 ――愛国者 部分の利害が全体のそれより大事と考えている人。政治家にコロリとだまされるお人好し。 ――愛国心 ジョンソン博士の有名な辞典では「無頼漢の最後の拠り所」と…

ふだん使い

上坪裕介『山の上の物語――庄野潤三の文学』(松柏社、2020) 少壮気鋭の研究者による、第一作家研究。庄野潤三作品における「場所」のへの視線、「場所」の扱われかたに着目して、人が安らかに生きるとはどういうことかを考察した労作だ。 上坪裕介さんは学…

まんざらでも

『物知り博士』という短篇小説があった。 二人用船室の同部屋名簿にはマックス・ケラーダとある。どこの国のどんな奴だろうか? 気が重い。入室してみると、人影はないが、すでに荷は解かれている。トランクにはステッカーがベタベタ。洗面台には、いかにも…

裸を観る

矢代幸雄(1890‐1975)、『隨筆ヴィナス』(朝日新聞社、1950)装幀・題簽・外箱カット 梅原龍三郎 「感覚のごちそう」。矢代幸雄は美術作品を定義して、しばしばさよう表現した。近代主義的・哲学的・心理学的・人生論的、つまりはあらゆる理屈っぽい芸術理…

大きな鍵

『文藝春秋』芥川賞特集から、もうひとつ。鵜飼哲夫さんによる『社会が震えた芥川賞作家の肉声』という読物がある。 第一回受賞の石川達三『蒼氓』から今回第一六六回までの、全受賞作家と作品とを視野に収めてなにか読物をという、編集部からのムチャ振りと…

潔い

『文藝春秋』恒例の芥川賞受賞作品掲載号。併せて創刊百年とのことで、特集読物が数篇並ぶなかに、宇能鴻一郎『芥川賞・ポルノ・死』がある。 作家志望のお若いかたに「講義」と称してお喋りしていた時代に、こんなふうに申したことがある。 ――諸君は宇能鴻…

砂利の風合い

瀧井孝作(1894‐1984) ワタクシん処からほど近い川へ、瀧井さんが鮎釣りに来られるというんで、若いもんを二人、用意したんだ。 一人は筏で山へ入って、柄の長い大鎌を振回しちゃあ山林の下草を刈るのを仕事にしている男。もう一人は頭にキの付く鮎釣りマニ…

何歳?

モニカ・ヴィッティ(1931‐2022) 石原慎太郎さんが亡くなられた(2月1日、89歳)。蘇る記憶はいくつかあるものゝ、無念の想いとか、人生無常の感慨とかはない。たくさんの仕事をなさった、ご存分のご生涯と思える。 お仕事の評価に毀誉褒貶あるとは承知して…

歴史

トゥキュディデス(b.c.460頃‐b.c.395) アテネに疫病大流行の年があってね。人ばかりか、犬も猫も死んだ。カモメも飛ばなくなっちまった。ひどいもんだった。運良く、生残ったがね。 そん時、世のありさまを記録したのさ。想定外の事態に人はうろたえるばか…

苦行

ほゞ月に一度の、収録日だ。ひとつの噺を四ブロックに分けて、インターバルを空けながら喋る。台本はない。事前打合せもない。ぶっつけの一発録りである。 喋りそこないや脱落は、数知れない。事実誤認があれば、むろん訂正するが、表現の不正確・不十分は無…

やつす

勝 海舟(1823-1899) 会ったうちで一番怖かった人は、だって? そりゃあ西郷だね。あと挙げるとすりゃあ、横井小楠かな……。勝海舟による、人物評価である。 大志の途半ばにして斃れて後進の戒めとなった人物たちと、生き延びて維新の元勲と称された人物たち…