読み跡
石野英夫:画。「とうよこ沿線」64号より無断切取りさせていただきました。 横光利一の初期代表作『日輪』が、フローベール作品から刺激を受けた作品との指摘は古くからされていて、今では学界常識となっているのだろう。もう一つの例を、わたしは面白いと思…
黒田清輝(1866 - 1924)、『湖畔』(部分) ふいのことがあってこの数日、横光利一について思い出している。そんなつもりはなかったのだ。 困るのである。残された時間に、一度は読んでみたい本や、もう一度読んでから死にたい本が、山積している。まだ読ん…
横光利一の初期短篇『静かなる羅列』(大正十四年、『文藝春秋』)を読み返す人など、今ではほとんどないのかもしれない。 インド地図をつぶさに眺めた人は、インダス川とガンジス川の水源は、これほど近くに発していたかと驚くことだろう。中国地図をつぶさ…
横光利一(1898 - 1947) 問)次のABC 各語群中より、関係深い語を線で結びなさい。 A 語群より「横光利一」―― B 語群より「新感覚派」―― C 語群より「機械」。 正解! 高校入試の国語基礎知識か。ところで、新感覚派の「新」って、どういう感覚? 初期短篇…
『朝』第44号(2023.3.) 老舗の文芸同人誌『朝』の最新号をご恵送いただいた。過去になにひとつお返しめいたことをしたためしがない。じつに長い年月にわたってだ。まことに心苦しき限りだ。 お返しする仕事が私になかったからだ。あればお返ししている。 …
石田芳夫『無門』(日本棋院謹製) お前に用意された門などない。汝の入門を許さず。なにやら容赦のない、厳粛拒絶の言葉とも聞えるのだけれど。 修証一如について、谷川徹三はもう少し先まで紹介してくれている。 端座参禪を修行の正門とする教えにたいして…
まさに住する所なくして、その心を生ず。住するとは「こだわる、とらわれる」との意とか。視聴きしたところに素直に反応し、立ち停まらず、自然に移り行けという。お経のなかの文句で、禅語となっているらしい。 谷川徹三は若き日、救いを求めようと親鸞に思…
熊谷守一(1880 - 1977) 積上げる、志す、完成に向けて努力する、という方向以外にも、老境の澄みかたはありうるんじゃないか。熊谷守一はさような夢を抱かせてくれる画家だ。 付知(つけち:現中津川市、近年まで恵那郡)の生家では三男坊だった。姉妹もあ…
谷川徹三『こころと形』(岩波書店、1975) 心が形として素直かつ正確に現れたもの、それが美であるとは、谷川徹三の揺るぎなき信念だ。もうひとつ、天地万物に神宿る汎神論的な天然自然観があって、人の心が素直に表現された美には、天然自然の形とかならず…
谷川徹三『繩文的原型と弥生的原型』(岩波書店、1971) 前著『芸術の運命』から多くを学びえた私は、次著『繩文的原型と弥生的原型』を、刊行からさほどの時を経ずして購入したはずである。結果は、前著以上に蒙を啓かれることとなった。 「漢才(からざえ…
徳富猪一郎『蘇峰自傳』(中央公論社、1935) 遠い祖先は菅原道真との伝承あるが、蘇峰自身が一笑に付している。そんなこと云い出したら、国民の大多数が藤原氏の流れとなり、途中は源氏か平家だ。 記録に残る初代は徳富忠助、寛永十三年というから一六三〇…
日記を繰ってみると、拙宅老桜の昨年開花宣言は三月十九日だった。今日つぼみを観た感じでは、今年はもっと早いような気がする。だからどうだという噺。私になにかできるわけでもあるまいし。 ニューヨークの建築・芸術批評家にして広く文明批評家でもあった…
谷川徹三『芸術の運命』(岩波書店、1964)より切取らせていただきました。 今では行届いた写真集がある。『別冊太陽』『芸術新潮』ほかで、写真と解説満載の特集号も出ている。 学生の分際で円空仏について知る機会は、ほとんどなかった。谷川徹三『芸術の…
熊谷守一美術館、往来に面した外装画。 往って帰ってきただけでは散歩にもならない。それほど近所に、熊谷守一美術館がある。一九八五年開館だそうだが、私は記憶していない。気が付いたら開館していた。会社員時代、つまり我が生涯でもっとも目まぐるしかっ…
佐藤洋二郎『百歳の陽気なおばあちゃんが人生でつかんだ言葉』(鳥影社、2023) ありがたいですねぇ、めでたいですねぇ、微笑ましいですねぇ。でもね、この本、ウッカリできませんですよ。 作家のご母堂おん齢百歳。数年前に肺炎を患われたのを機に、ケアセ…
徳富猪一郎『蘇峰自伝』(中央公論社、1935) なにごとにも前段階、下地づくりというものがある。 徳富猪一郎(以下蘇峰)少年が生れ在所の水俣から熊本へ出たのは、明治三年(八歳)の秋だった。父は藩庁に出仕して熊本にあり、いわば単身赴任だった。むろ…
まっ先に読みたかったのを、グッと我慢していた。受賞作を読んでからにしよう。私の感想なんぞ、読み足らずか見当違いに決っている。選考委員の先生がたに正していただこう。受賞作は、佐藤厚志『荒地の家族』、井戸川射子『この世の喜びよ』の二作。 おおむ…
井戸川射子『この世の喜びよ』、今期の芥川賞受賞作です。 受賞作発表号『文芸春秋』三月号の目次を開くと、作品タイトル脇のキャッチコピーには「喪服売り場で働く女性を通して描く子育てのリアル」とあります。さような作品なら、私とは縁もゆかりもなく、…
佐藤厚志『荒地の家族』、今期の芥川賞受賞作です。 四十歳の坂井祐治は一人親方の庭師です。個人営業の植木屋さんですね。阿武隈川河口の町に暮しています。あの大震災および津波災害では、間一髪で命拾いの目に遭いました。苛酷な労働環境だった造園会社で…
徳富蘇峰(1863 - 1957) 徳富猪一郎少年(以下蘇峰)は熊本洋学校へ二度入学している。 藩校時習館はあまりに古臭い訓詁の学に滞った、学校党の巣窟だった。徳富家は横井小楠を学祖と仰ぐ実学党の家だ。父一敬は、小楠暗殺(明治2年)されて以後の、熊本に…
『木下順二作品集 Ⅵ』(未来社、1962) 作家は生涯かけて処女作へ向って完成してゆく、という云われかたをすることがある。木下順二の場合、まさに至当だ。 昭和十四年(1939)十一月三十日、午後二時、木下順二は処女作『風浪』の第一稿を書き了えた。翌日…
熊本洋学校 そろそろテレビを観なくなっていた時分だったが、NHK 歴史大河『八重の桜』だけはときどき観ていた。綾瀬はるかさんが主役だったからだ。 前半の盛上りである会津戦争までは、綾瀬さんばかり観ていた。舞台を京都へ移しての後半、新島襄や同志社…
熊本から、少年は東京へ発った。 通っていた洋学校が閉鎖された。洋学校では、新聞をよく読んだ。地元紙のほか東京日日新聞も届いていて、熱心に眼を通していた。新聞記者になりたいとの志を抱いた。 東京へ出よう。父も反対しないどころか、奨めてくれた。…
『季刊文科』89号、昨年秋号の特集「旅×文学」のメイン対談。神社だの離島だの温泉だのを巡って、旅から旅を続けてきた老文人お二人が、これまでに行った先の思い出を語り合い、文学とのかかわりを語り合う。つまり神話や歴史を語り合っている。 とんでもな…
『対抗言論 3』(法政大学出版局、2023) 「反ヘイトのための交差路」と副題された意欲的な論集を送っていただいた。446ページの大冊だ。 四本の特集に分類され、論説や研究報告や対談企画が並ぶ。「1、文学/批評に何ができるか」「2、暴力・宗教・革命を…
佐藤洋二郎『偽りだらけの歴史の闇』(ワック、2023) 五百年後にも、もし日本という国家が存続していて、日本人という国民が住んでいたとして、開闢以来もっとも長かった元号である昭和時代の事績として書き残されているのは、いかなる事項だろうか。 第二…
保昌正夫(1925 - 2002) 保昌正夫先生の謦咳には一度だけ接したことがある。たった一度だが、記憶に残っている。 立原正秋さんを初代編集長として復刊された第七次『早稲田文学』が、第二代編集長の有馬頼義さんにバトンタッチされてほどなくの頃だった。有…
思いつめ出したら、きりがない。 今さら書き屋としての重く長い仕事が回ってくることはない。体力的に無理だ。衰えても知名度や敬老精神により仕事が振られるかたもいらっしゃるが、生涯裏街道を歩いた私には、ありえない。 文学雑誌の新人賞選考会。読み屋…
玄侑宗久『現代語訳 般若心経』(ちくま新書、2006) 久びさに鉄道に乗る。本日の携帯本は、玄侑宗久さんと決めて、バッグに入れた。 まずもって軍資金。銀行 ATM へ。年末年始の諸雑費用意にはまだ早いか。本日の経費のみ引出す。 私鉄はともかく山手線はじ…
徳川夢声(1894 - 1971)『お茶漬け哲學』(文藝春秋新社、1954)口絵より無断切取り。撮影:土門 拳 庶民は時局に、黙って身を処した。小林秀雄は戦時下の空気を回想して、たったひと言で云った。よくよく味わってみるべき言葉だ。 12月8日月曜、温暖。徳…