一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

読み跡

先達批評家たち

影響? 受けたに決ってる。どんな影響? 憶えてなんぞいるもんか。 はっきりと記憶され、その後おりに触れて思い返される深刻な影響というものがある。「出逢い」なんぞと表現される場合も多い。 それとは異なる影響もある。そうだったのかなるほどね、とい…

忘恩いくつか

佐古純一郎の文芸批評に注意深く耳を傾けていた時期がある。 早稲田だ三田だ赤門だといった文学青年街道を歩んだ人ではない。学生時代に亀井勝一郎の門を敲き師事した。海軍に応召し、対馬守備隊の通信兵として敗戦を迎える。戦後洗礼を受け、創元社や角川書…

西洋思想? もういいや

大きなことを考えたり、決断したりすると、たいてい間違えるようになった。 修身斉家治国平天下と『論語』は云う。まずは自分の身を修めることからという意味だが、乱暴に云い換えれば、テメエの頭の上の蠅も追えぬくせしてデカイ口を叩くんじゃねえ、という…

感覚のごちそう

矢代幸雄の著書を処分したいのだが、あまりに想い出が多く、処分しきれない。 手許にあったところで明らかに宝の持ち腐れの専門研究は、手放すに容易だ。『西洋美術史講話 古代編』『東洋美術論考』『受胎告知』などである。しかるべきかたのお手許にあれば…

把握しない

ケネス・クラーク(1903 - 83)の訳書がこれっぱかりしか手許になかったかと、不思議な気がする。書店の棚で視かけると、いつ読めるか判らないけれどもいちおう買っておこうと心がけた、短い時期があった。もっとも、さような心がけを放棄して以降に刊行され…

前線の見識

永山正昭『と いう人びと』(西田書店、1987)。こういう本は、けっして古書肆に出したりはしない。 著者は海員組合でひと苦労したあと、「しんぶん赤旗」の編集部員だった。労働組合運動隆盛の戦後期にあってさえ、ひときわ激しかったとされる船員組合の逸…

身のほど学

小田切進 編『現代日本文芸総覧』全四巻(明治文献、1968 - 73) たとえばプロレタリア文学史を読んでいると、『種まく人』『文芸戦線』ほかの雑誌名が頻繁に出てくる。どんな人たちが書いていたのだろうか。第一巻に目次がすべて出ている。たとえば新感覚派…

再読優先順位

かつて学恩を受けた本だ。その後、再読した憶えはないのだけれども。 片岡良一は、日本近代文学をアカデミズムの立場・態度・手法によって取扱った第一世代の研究者のひとりと、今日では位置づけられてあるようだ。無手勝流体当りで本に対していた学生には、…

黒い本、白い本

古書店さん関係者や愛書家のあいだで交される、いわば業界用語のひとつに「黒い本、白い本」という言葉がある。店内の色調や空気感に由来する言葉だそうだ。 日本文学を例にとると、井伏鱒二や川端康成の著書を棚にぎっしりと詰めてある書店があったとして、…

学力不足

大学卒業後、ついに再読もしくは通読の機会がおとづれなかった本も多い。 『ボードレール全集』全四巻(人文書院、1963 - 64)は、入学してほどなく、ということは一九六九年かそれとも七〇年か、貧しいポケットを叩いて、思い切って買った記憶がある。小林…

想い出深き

「雑誌『近代文学』派というのは、左翼白樺派だな」 先輩にして恩人でもある、小説家の夫馬基彦さんが、ある昼休みの講師室でお茶を飲みながら、ボソッとおっしゃった。むろん冗談半分にだが、言いえて妙でもあると、聴いていて思った。佐々木基一と本多秋五…

散髪への道

昨夜半から降り出した。ほんの小雨で、すぐにやみそうだった。払暁トイレに起きてみたら、本降りになっていた。午前九時に起床。小降りとなってはいたものの、まだ降っていた。視るからに寒そうだった。 バザーのポスターを貼らせてもらえませんかと、先日依…

手堅さとの別れ

ゆっくり通読する晩年は来ないもんだろうかと念じていた本がある。そんな時期がやって来ることはない。 若き日、北村透谷に眼をつけていた時期がある。読返せば、今でも懐かしいし感心する。教えられる。 諸家の透谷研究にも眼を通したいとの念願を立てた時…

潮目の気配

新左翼に疲れていた若者たちが、あったのかと思う。 一九七〇年の安保改定に向けて、六〇年代後半は若者たちの政治行動が盛んだった。六八年の春には東大入試が実施されなかった。前年の安田講堂立てこもり闘争の後片づけが済まず、いまだ荒廃治まらぬ情勢だ…

先師がた

遡って水源を確かめたいと、しきりに思う齢ごろがあった。若き日の情熱というもんだろう。今の若者たちにも、さようであって欲しいと願うばかりだ。 こんなものまでとも思える書を、古書店で漁ったこともある。ご定年を迎えられてご蔵書整理に腐心される恩師…

手堅い仕事

いったい何に夢中だったんだろうか。 地味ながら丁寧な仕事に、妙に憧れた時期があった。四十代だったろうか。へそ曲りな逆張り精神とでも申すべきか。血まなこになって古書店を歩いた作家の一人が、柏原兵三だ。 とはいえ江戸期以前の古典籍を漁るわけでも…

暗かったころ

立松和平の本が手許にあんがい少ないのに驚いた。初出雑誌で眼を通してしまい、単行本刊行のさいには、ま、いいか、と思ってしまった場合があったと見える。 初めて会ったのは、『早稲田文学 学生編集号』が発行される数か月前のことだ。第七次『早稲田文学…

半家出人

家に帰らぬ日はたびたびあった。が、家出したことはなかった。 一九六〇年代後半から七〇年代へかけて、演劇界に地殻変動が起った。(伝統芸能としての古典演劇の世界については、私は知らない。)小劇場運動である。 一方では既存の新劇劇団内部において路…

身辺近代史の終り

ナンバースリーの値打ちということを、しきりと考えた年頃があった。会社員だった時期だ。 周恩来の人柄についての、称賛の弁は多い。風貌・物腰・表情からも、世界に好印象を振撒いてきたにちがいない。毛沢東には田舎のトッツァンめいた、頑丈で剛直な人と…

遠見から

お見かけしたことはあっても、ご縁があったとは申せぬ作家たちがある。 文藝春秋の雑誌で黒井千次さんが「学生たちに聞く」という企画があって、その「学生」の一人になったことがある。一九六九年か七〇年のことだ。黒井さんはまさに売出しの新進気鋭作家だ…

女性作家たち

作風と個性、ともに印象強烈が女性作家たち。じつのところ、私なんぞに理解できるのだろうか? 笙野頼子さんがデビューなさったころ、私は地方新聞に読書案内の連載コラムをもっていた。無愛想でゴツゴツした手触りの、重みのある新人が登場したと感じ、採り…

豚の尻

だれの詩だったか。豚の尻同士がゴツンゴツンぶつかりながら、トラックに揺られてゆく詩があった。名前まで付けて気を配って育ててきた豚を、時期が来たら出荷せねばならぬ、畜産農家の実情が詠われてあったのだろうか。 昨夜遅く、古書往来座のご店主から電…

学との別れ

小杉一雄の著作を蒐集した時期があった。中国美術史、仏教美術史、日本古代美術史、文様史を横断する、東洋美術史入門の講義を授かった恩師である。 細身に格子柄のジャケット、時には蝶ネクタイ。お洒落な老教授だった。白以外に黄と赤だったか、二種類ほど…

任ではない

この人の作品を語るのは、自分の任ではないと思える作家がある。 四十二歳のとき、ワーレンベルク症候群という若年性脳梗塞の発作を起して、一か月ばかり入院した。今はないが、飯田橋にあった日本医科大学付属第一病院だ。危険な時期を脱してリハビリ以外に…

最終戦後文学

井上光晴作品をすべて読破してやろうと、企てた齢ごろがあった。挫折・棚上げのままに了ったけれども。 年齢で申せば、吉行淳之介・安部公房・吉本隆明より二歳下で、三島由紀夫より一歳下だが、井上光晴の作風も題材も、より上の世代のいわゆる「第一次戦後…

悲傷の文学

高橋和巳が男子学生から競うように読まれた時代があったなんぞということを、現代の若者はおそらく信じまい。全共闘世代の一部学生にとっては、教祖的魅力をもった作家だった。 最初に『憂鬱なる党派』を読んだ。話題の新刊だったという偶然に過ぎない。党派…

浪漫へのためらい

短い期間だったが、サン=テグジュペリに関心を抱いたことがある。といっても、大ブームに浮かされて『星の王子さま』に夢中になったわけではない。異様なまでの大空への憧れ、飛行機を偏愛する心の奥底を覗いてみたかったのだ。 西欧と南米とを往来する郵便…

うしろ髪

未練なく諦めがつく本と、うしろ髪引かれる本とがある。文学的評価とは関係ない。内容の稀少度(いわば文化的価値)とも市場価格とも関係ない。 『中野重治全集』第七巻第八巻を古書肆に出す。巨篇『甲乙丙丁』収録巻だ。もともとそのつど個別買いした不揃い…

語り継がれるべき

語り継がれねばならぬことというものは、やはりあるのだろう。 リテラシーなんぞという言葉を、学生時代には知らなかった。外国語に堪能なかたは、お使いだったのだろうが、少なくともメディア用語としては、登場していなかった。今では、私ごとき一知半解の…

道具の違い

莫言(1955 - )。2012年、ノーベル文学賞を受賞。授賞理由は「幻覚的なリアリズムで民話・歴史・現在を融合させた」功績による。 最初に莫言を知ったのは、張芸謀(チャン・イーモウ)監督の映画『紅いコーリャン』の原作者としてだった。衝撃的な赤色を効…