一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

旅愁

 待ってました定年、という標語を眼にしたことがある。今は納得がゆく。生きている間にもう一度読み直しておきたい本や、未読のままで心残りの本が、いっせいに押し寄せてきて、いやはやフリーランス野良犬という稼業、思いのほか忙しい。
 週単位で動く必要がないので、長篇を読める。これはありがたい。

 『旅愁』を読んだ。学生時代と、三十代後半は、愛蔵の改造社版全集で読んだ。安井曾太郎による味わい深い装丁で、気に入っている本だが、惜しむらくは占領下日本の出版物につき、テキストに問題なしとしない。『春は馬車に乗って』を読むぶんには、たいして問題もあるまいが、『上海』やことに『旅愁』となると、GHQの眼がかなり混入しているようだ。これが三度目で、生涯最後となろうから、今回は河出書房版の定本全集で、やゝ時間をかけて読んだ。

 若き日は、第一篇と第二篇に眼を惹かれていた。パリでの矢代vs.久慈、すなわち伝統対近代化、個別対普遍合理性、国粋対欧化、ナショナリズム対コスモポリタニズムの相剋を軸として、千鶴子との三角関係を織りなした小説と、読んでいたわけだ。
 加えて今回、第三篇すなわち帰国後の矢代と千鶴子がはたして結婚に漕ぎつけられるやいなやの問題も、小さくはないと痛感した。千鶴子はカトリックの家柄に育ち、矢代の家は法華。しかも先祖をたどれば、キリシタン大名の時代に城を攻め落したがわと滅ぼされたがわ。現代では問題視されることすらほとんどあるまい家族主義的課題だが、大陸へとぞくぞく兵をつぎ込み、太平洋では英米と開戦直前という時局に、ヨーロッパの空気を吸ってきた二人がどう反応するか。それこそが「旅愁」という表題の意味ではないか。
 ちょいとカーソルを滑らせれば、現代の若者にも無縁とはいえまい。

 しかしだ。『旅愁』は無残な失敗作、横光右傾化の証拠作品と、かつては散々に叩かれまくった。日本vs.西ヨーロッパという問題を正しく設定しておきながら(第一篇第二篇)、力尽きて軍国国粋主義に足元をすくわれた(第三篇)知性不足の惨めな楼閣と。
 今でこそ研究者は不必要なほどいらっしゃるが、ある時期までは全国の大学を視渡したところで、横光研究の旗などどこにも立っていなかった。そんな時期にも、保昌正夫先生はほとんど孤軍奮闘、横光ってそんなんじゃないよと、云っておられた。今や日本近代文学研究の必修科目の観すらある横光研究だが、その多くはマユツバだと、私は思っている。
 早稲田文学の最底辺使いっ走りをしていた時分、寄合いの席で幾度か保昌先生の謦咳に接するを得た。お声を掛けてくださったこともあった。申し出さえすれば、根掘り葉掘り伺うことだってできる距離にいらっしゃった。しかし私は、怠け心と未熟ゆえの見栄から、それをしなかった。

 俺にでも判るようなことで、なにか訊きたいことない?
 若者にしばしばそう挨拶するのは、余裕こいてるわけじゃない。恥かしき後悔ゆえだ。