一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ダンゴムシ

 刈りとった草は一か所にまとめておいて、水曜土曜の家庭ごみと一緒に、袋詰めにして出さねばならない。
 桜の葉が大量に散る季節は、花梨の落葉とともに、そこらに穴を掘って埋める。気休めに過ぎないが、わずかなりとも土に返そうという、言い訳のような気分だ。ネズミモチ徒長枝や密に茂り過ぎた葉を引いたときにも、そうしている。
 ところがドクダミはそうはゆかない。根っこの切れっぱしからでも、芽を吹いてきやがる。からからに乾燥させない限りは、おいそれと埋めるわけにもゆかないのだ。

 ごみ回収の朝、起きていればいいが、たいていの日は明け方就寝だから、回収時刻は白川夜船。小山をなして積みあがった刈草が一週間も手付かずの場合がある。
 さて明朝こそは、なにがなんでもごみ出しせねばと、掻き集めて袋詰めのときだ。ふいに取去られた刈草の下では、拙宅敷地内だけでもこんなにいるのかというくらいの、ダンゴムシの大群が、パニック状態のように右往左往している。半死状態の草たちが発するガスや腐臭は、彼らの龍宮城だったにちがいない。ななっ、なんということをするのだ、藪から棒に。彼らにしてみれば、そのとおりだろう。お生憎だが、こちらにも都合がある。

 ところでこのダンゴムシ。わずかの刺激にも丸まって、子どもたちの遊び道具になってしまう剽軽者だが、研究は立ち遅れていて、まだ判っていないことがやたらに多いらしい。
 腐敗細胞などを食し、微生物が分解しやすいものにして排泄する点で、生態系の重要なポジションを担っているのはたしかなようだ。人間から視ると、ミミズと似た役割だろうか。
 彼らの身を丸めさせて悦ぶようなことは、さすがにしなくなったが、踏んづけたり駆除したりもしない。どちらかと云えば、尊重している。
 ミミズも同様で、穴を掘っているさいに、心ならずもスコップの先でまっぷたつにしてしまうことがあるが、彼らの再生能力に期待して、もと居たあたりに埋め戻すようにしている。

 そこで分類してみた。屋内・敷地内にて視かけた場合に、対処または駆除に乗出す動物。ネズミ、ゴキブリ、ハエ。眼には見えぬが、ダニ類。
 尊重または愛護する動物。ヤモリ、クモ。ミミズとダンゴムシも、こちらに入る。