一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ちっぽけ

 書きまくっているころの坂口安吾は、仕事にへとへとになると二時間眠り、また書き継ぐを繰返していたそうだ。目覚し時計もないのに、正確に二時間だったと、三千代夫人が『クラクラ日記』で回想している。高校生だった私は、いたく感動した覚えがある。一九六七年に出た本だが、読み継がれているとみえて、今も文庫本が生きているようだ。
 興味深い逸話満載で、当時テレビドラマ化もされた。夫妻を演じたのは、藤岡琢也若尾文子だった。

 また夫人は、訪問した安吾知友の住いのうちでは、「石川淳さんのお部屋に、安吾と近い雰囲気を感じました」とも証言している。その石川淳が『クラクラ日記』に跋文を寄せていて、短いものだが佳文だ。
 凄まじい文学精神に疾風止むことのなかった暮しぶりで、灰皿や皿小鉢が空中を水平に飛び交う日々もあったが、三千代さんに命中することはなかったという。石川淳曰く「そのとき夫人は、いちはやく安吾の内側に隠れたのであった」そうだ。

 安吾歿後の三千代さんは、銀座で「クラクラ」という店名の酒場を経営しておられ、『日記』が刊行されたころは、まだあった。出掛けて行って話を伺ったという仲間もあったが、例によって引込み思案の私は、行ったことがなかった。
 
 同じころ同じ本に感動した同世代に、ひょっこり出くわすなんてこともある。役者にして劇団主催者、新宿ゴールデン街の老舗酒場「クラクラ」のマスター外波山文明さんに、「お宅の店名はあの日記から?」と訊ねたら、そうだとの応えだった。
 とはいっても大切な店を開業するさいの大事な命名。単一の理由とは限らない。もっと他にいきさつがあったのかもしれないけれど、根掘り葉掘り訊く事柄でもないし、向うも面倒臭いから解りやすく応えてくれたのかもしれない。少なくともその時その場では、その応えで私には十分だった。
 なにせ四十年ほど前のちっぽけな会話だ。不正確だったら、トバさん、ごめん。