一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

渡世

  ユーチューブをうろうろしていて、数ある古ドラマから佃警部補シリーズをついつい観てしまうのには、原作者の夏樹静子さんを偲ぶ気持も少しある。推理小説界の大物という側面は、ここでは措くとして、なんとも率直で可愛げのある、きれいなかただった。

 サントリーミステリー大賞は、長篇ミステリーを対象に賞金一千万円に加えて、即出版かつテレビ朝日で二時間ドラマ化するというおまけ付きで、文藝春秋テレビ朝日電通による共同主催の賞だった。
 選考委員は名だたるお歴々で、何度かメンバーチェンジもあったが、夏樹さんはある時期の主要メンバーだった。最終選考は公開制で、会場客席は観客満杯。壇上ではシンポジウムさながら、委員がたがご意見を闘わされた。
 佳作ではあるが璧に瑕ありという場合の、夏樹さんの舌鋒鋭い切込みは、ひとつの名物だった。
 「この人は所轄の巡査部長ですよね、本庁から来た警視を向うに回して、こういう云い方をすることは、日本の警察では、絶対にありえないのでありますっ」
 細身の、むしろ華奢な体躯の夏樹さんが、きれいにセットされたおぐしの崩れるのもものかは、身を揉むがごとくの熱弁だった。
 会場からは低く笑いも起きた。滑稽なのではない。あまりに可愛かったのだ。真剣である、真摯であることが、清らかで美しかったのだ。

 その夏樹さんは、畑違いの分野で、意外な功労者である。晩年お眼を悪くされて、囲碁を嗜まれるさいに、碁石の白黒が異様に疲れる。そこで白と緑の石を考案。製造元に相談して、実現したところ、同じように眼に不安のある碁好きから、おおいに喜ばれたという。
 商品化されたと聴いた憶えがあるが、私はまだ白緑で打ったことはない。今のところまだ、白と黒で打てる。

 ところでミステリー大賞。五百枚だの七百枚だのという長篇応募作が、何百篇も集まる。選考委員がたがお読みくださる最終候補作は三篇である。全応募作から最終三篇にまで、だれが絞っていると、世間では思われているのだろうか。
 読み屋という必殺仕事人みたいな職人衆がいて、普段は裏長屋でカンザシを削ったり、三味線の音を改めたりしている。
 「八丁堀が呼んでるよ」
 季節が巡ってくると、大手出版社の女性編集部員が、声を掛けてくる。集合すると、なんだお前も呼ばれてたのかと、かねて顔馴染みの覆面仲間と出くわしたりもする。今回担当は何篇、手間賃は幾らと告げられる。
 六七年間ほどだったろうか、毎年六月から八月一杯は、二万数千枚の原稿を読んで過す日々だった。金にはなった。

 さて晴れの公開最終選考会。下職たちの稽古土俵で甲論乙駁の末に上程した三篇が、本場所の土俵でどう扱われるか興味津々。一般愛好家の聴衆に紛れて、客席で聴いているのである。
 むろん他の読み屋たちも来ている。が、どういうものか、隣同士に腰掛けたりはしない。軽く眼で会釈する程度で、世間話すらしない。知らぬ者同士の振りをしたいくらいだ。渡世の仁義というやつである。