一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

機嫌よく

 「面目ねえ。野郎め背中に眼がくっついていやがって」
 「とっつぁんのせいじゃねえよ。気にするなってことよ」
 相模の彦十も、めっきり齢をとった。
 藪から棒になにかって、鬼平犯科帳の噺で。彦十のしくじりというのが、尾行相手に感づかれて、巻かれてしまったという。盗人も一流ともなると、両の肩甲骨あたりに、眉と眼が付いているらしい。あるいは盆の窪あたりにセンサーが埋めこまれてあるのか。
 あながちありえないでもない噺である。というのは――。

 今朝、急遽五分間草むしりをした。傍らに積んであった、昨日むしった分を、ゴミ袋に詰めたところ、四十五リットル袋に収まりきらない。で、追加の三十リットル袋を出した。今度は容量の半分にしかならない。やむなく、少しむしったのだ。
 むしった草をすぐさま袋詰めすることは、普段はない。一日二日そこいらに積んでおく。萎びさせて、嵩を減らすのだ。むしりたての草は水分が多く弾力があって、無駄に体積がある。持ち重りする密度濃いゴミを作るに不向きだ。
 今朝は袋の容量を無駄にしないために、予定外の調整草むしりをしたわけである。

 いつになく早朝の草むしり。ふいになんと騒がしいことをするのだと迷惑げに、ブロック塀をヤモリが這いあがった。おゝ、おまえ居たか。視知った奴ではないが、十分肥えていて、環境には問題ないと見える。模様も鮮やかである。
 しばらく眺めた。身動きせず、じっとしている。呼吸すら控えめにしているようだ。こちらを窺っているのか。それともまだ気付かれてないと思っているのか。身動きすれば、手を出されるとでも思っているのだろうか。俺は猫じゃないぞっ。
 一分近く経っても、行動をおこさない。あまり緊張させてもと思い、手近なドクダミの花に手を延ばし、ひと株ふた株抜いて、ものの七八秒して視線を戻すと、奴は消えていた。一目散に、傍らの朽ちた材木の陰にでも這い込んだらしい。
 
 前々から感じていることで、毎回思うことなのだが、ヤモリは人間の顔を視ている。こちらの視線を波動としてか熱線としてか、センサーで捉えている。あるいは、呼吸か体温か、心拍か血圧か、なんらかのデータによって、こちらの意識を察知している。
 注視されているあいだは、気配を殺して、身じろぎもしない。こちらの意識がほかへ逸れたとたんに、素速く行動するのだ。まことに、背中に眼がついているとしか思えない。

 早朝の草むしりを了えて、見事にふた袋のゴミ完成。私は機嫌よく就寝した。