一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

書込み

 久かたぶりに『やもり』を読んだ。今回は『廣津和郎全集』ではなく、あえて昭和三十九年刊行の新潮社版日本文學全集『廣津和郎・葛西善藏集』で。ひと回り小型の、いわゆる赤箱全集である。かつてこの本で、広津和郎を初めて読んだ。当時この版のバラ本が、古本屋にはいくらでも出ていて、高校生の小遣いでも買える数少ない文学全集だった。
 広津和郎が渋い、大人の文学だと理解するのは、まだそれから数年後のことで、初見では葛西善蔵のほうに感動した憶えがある。

 広津和郎が、その後半世紀以上の年月にわたって、自分の文学観の根柢を支えてくれる先達の一人になろうとは、想像も及ばぬことだった。死ぬまで手放さぬ文士には違いないが、初期短篇のうちでもあまりに有名な『やもり』を、今後再読の機会ありやなしや。
 名作を広く大衆化することを理念とした全集だから、テキストクリティークには問題あるとしても、あえてこの版で読んだ。
 箱が傷んで、背が抜けてしまっている。うしろ見返しに「1964.11.30 王子にて」と、どこのどなたと判るはずもないかたの筆跡で、書込みがある。