一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

根本的

 およそ週一ペースで、コインランドリーへ行く。春先までは、家で洗濯を済ませ、陽射しが良ければ物干しへ、悪ければランドリーの乾燥機を使いに行っていた。洗濯機の具合が悪くなった。とうに寿命がきていた機械だから、文句は云えない。

 ご近所の佐々木電器商会に頼めば、すぐにも新機を手配して、旧機は持出してくださるだろう。母の代から、それこそ半世紀の付合いで、拙宅の家電と照明は、ほとんど佐々木さんのお世話になったものだ。
 だが問題は、私にある。ただ今現在の拙宅にある。物干しに隣接した洗濯場は階上にあるのだが、そこまで辿りつく階段や廊下には、書棚やカラーボックスも入っており、階段の各段には書籍類が横積みに積みあがっている。人ひとりは通れても、機械搬入はとうてい無理なのだ。
 だったらさっさと片付けんかいっ! ごもっともなれども、私は数ある家事・雑役のうちで、片付けというものが、もっとも不得手なのである。人生全般のうちでも、初対面のご婦人と会話することの次くらいに、苦手なのである。

 で、家電交換は一日延ばしになってしまう。拙宅にはとうに活動を停止した冷蔵庫もある。地デジ化前のテレビもある。母愛用だった足踏みミシンまである。まことに途方に暮れる。
 そこで考えついた。さいわい階下には風呂場がある。ごく狭いが脱衣スペースもある。そこへ、現今のことゆえお一人様用洗濯機なんてものもきっとあろうから、置くようにしてはどうか。うまくすれば、乾燥機付きなんてことになるかもしれぬ。これは名案といえる。
 ただそうなると、現在そのスペースには、カラーボックスと引出し付きの物入れが詰まっていて、タオル・バスタオル類から、石鹸・へちま・軽石・風呂掃除用具や殺菌剤やパイプ汚れ洗浄剤、下着や靴下のストックまで収納してあり、これらをさてどこへ移動させたものか、またしても途方に暮れざるをえない。
 もし洗濯機は置けても乾燥機までは、などということにでもなろうものなら、洗い済みの濡れ物を、上の物干しにまで持って上らねばならない。気が重いことである。

 加えてさらに重要なことがある。家電の寿命と私の寿命という問題だ。
 家電手配とランドリー通いと、どちらが節約になるのか。反故紙をひろげ電卓を持出して計算をしてみたのだが、洗剤・水道・電力代まで含めるとなると、どうにも私の計算能力では足りない。

 で、これも一日延ばしにして、今日もコインランドリーへと赴いたのであった。
 ところがである。乾燥機だけなら、二百円で二十分、厚物でもせいぜい三百円三十分なので、往来へ出てタバコを喫い、店前の自販機で缶珈琲を買ったりして、つぶせない時間ではない。隣りにビッグエーとダイソーがあるので、買物を済ませていったん家に持ち帰ってから、再びここへ戻って来ることも可能だ。これは時間の有効活用で、まことに気分がよろしい。

 だが洗濯プラス乾燥となると、一時間を超えるくらい、ランドリーにいることになる。棚には「少年サンデー」がずらりと並んでいるから、手に取ってもみたのだが、さっぱり面白くない。私だって、この雑誌の創刊号から寺田ヒロオ「スポーツマン金太郎」を愛読したのにである。やむなく、辞書も使わず書込みする必要もなさそうな小説本を、持参するようになる。
 ところがである。切りのいいところまで読まぬうちに、変な電子音のブザーが鳴る。家へ戻れば気分も変り、読む本が異なるのである。
 さいわい後がつっかえているほど混雑してはいないから、このまま切りのいいところまで読んでしまおうか。しかしである。「作業終了後十分以上経過したものは、取出されることがあります」と、壁に貼出されている。経営者の身になれば、もっともの弁かとも思われる。
 衆寡敵せず。しぶしぶ乾しあがったものを畳んで袋に納める(家へ帰ってから、畳む気が起きなかったら困るからだが)。入口と奥の天井に、監視カメラが設置されているので、レンズを少しのあいだ視詰め、手を振ってから出てくる。

 根本的に、問題はなんら解決していない。