一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

大好き

 売文をしていた時期がある。書評だとか、解説だとか、ちょいとしたこぼれ噺だとかの雑記事である。署名記事も無署名仕事もあったが、どうしても私でなければならぬ理由などはない、いわば埋草ライターだ。
 書いて名を挙げようとか、たんまり稿料を稼げるようになろうとかいう料簡はない。われら業界の片づけ屋は、そういう青臭い向上心とは無縁の玄人職人集団なのだと、当時原稿を買ってくださった編集者や媒体担当者諸君としばしば申し合せたものだった。三十年ほど前のことだ。覚悟であり誇りでもあったが、僻みでも居直りでもあった。
 もとより反響だの評価だのが期待できる仕事は、めったにない。どこのどちら様がお読みくださるかなど、見当もつかぬ仕事がほとんどだ。

 そのころ身についた習性のためか、このブログを始めてはみたものの、お読みくださったかたへの気働きは、ほとんどない。云いっぱなし書きっぱなし。備忘や老いの生存自己確認がもっぱらで、ありがたい読者への配慮等には、著しく欠けている。まったくバチアタリ至極である。
 「はてなブログ」にはさまざまな機能が搭載されているようだが、詳細は承知していないのが実状だ。おそらくは、ご縁あってお眼にしてくださったかたへ、不遜きわまる欠礼をしているに相違なかろうが、どう対処すべきなのかも、よく判らない。

 漠然たる方針で書き進めているが、自身への縛りがひとつあって、天下国家の政を語るまい、と心掛けている。
 自分ごときにその資格ありやとの想いもあるが、それよりなにより、社会人であったころの教訓が大きい。酒場では政治を語るなっ、喧嘩になるから。

 昭和の名匠、短篇小説の名人だった永井龍男は、新聞記事をこまめに切抜いていたそうだ。それも社会面や家庭面の下のほうに出ているようなベタ記事、世に云う三面記事ばかり。世の中の隅っこで、こんな事件があった、こんな人がいるという逸話から、なぜか心に引っかかり想像を掻立てられるものを拾っては、切抜いていたという。
 積みあがってゆく切抜き帳を、ときどき眺め返しては、あれこれ想像する。三年五年して、そこからひょっこりと、短篇の構想が浮んできたりしたそうだ。

 永井さんは、近代西洋絵画のうちでは、ロートレックがご贔屓だった。NHKの「日曜美術館」に出演されたとき、こんなふうにおっしゃった。
 ――ロートレックはね、ゴーガンのような大画家じゃない。ピカソのような天才でもない。横丁のちょいとした小画家だ。そこがいいんだ。私もね、横丁のちょいとした小作家ですよ。

 むろん私も、ロートレックが大好きだ。