一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

いいってもんじゃ

 まだテレビを観ていたころ、坂本冬美さんが歌唱指導のミニ講義するのを聴いたことがある。カラオケ愛好家へのサービスででもあったのだろうか。
 ジーパンにレンガ色のブラウス。髪はストレートにおろして、颯爽このうえもなく、きりっとして魅力的だった。口調も、驚くほど歯切れ好かった。

 ホワイトボードの前に立って、石川さゆり天城越え」を分析していた。
 ――いいですか皆さん、ここです。山が~燃える~、譜面ではここまであるんです。でもさゆりさんは、ほら、ここまでしか声を出していません。でも聴いてください、出てるように聞えるでしょう。声はここまでですけど、気持ちがこの小節一杯まで持続して、出し切ってあるんです。声なんてもんは、出しゃあいいってもんじゃない!

 テレビの前で私は、思わず膝を打った。
 歌唱のことはまったく知らない。けれど、おっしゃるとおりに違いない。私の分野でも、事情は似ている。
 でもなぁと、考え込む。これはかなり上級編の噺だ。声は出せる、けれども出しゃあいいってもんじゃない、という水準の噺だ。書きゃあいいってもんじゃない、を話題にするには、「書けるけれども」の力量を前提とする。その前提がなければ、怠けや手抜きを許すことになり、ひいてはひねこびた物真似技術ばかりを養成してしまうことにも繋がりかねない。
 やはり初心者には、まず譜面どおりに、小節一杯まで声を出すようにと激励するしかあるまいと、その時はいちおう結論づけた。

 それ以後、私はテレビを観ない時代に入ってしまったこともあって、なおいっそう歌謡界には暗くなった。
 今も、好きな歌手はだあれ、というようなアンケートに応えるとなれば、坂本冬美と書きそうな気がする。