一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

見栄

 今日こそ散髪にゆく気構えで起床した。時間が自由になる躰だ。選りにも選って日曜日にゆかずとも。さようではあるが、例によりものぐさの一日延ばしで、いけねぇ明日は月曜だ、と追詰められたのだ。起抜けのストレッチのあと、一日分のメールチェックをするうちに、ポツリポツリッと来て、ほどなくザーッと来た。
 数日前、たいした雨でもないのに、パソコン館へ行きそびれたばかりだ。ここは気合いだっとばかり、傘をさして家を出る。透明ビニール傘でなく、柄入りの布傘を選んだのも、気合いのつもり。

 庄司理髪店。ご先代は新潟県長岡ご出身の人。陽気で話し好きで、近所でも評判のマスターだった。惜しくも亡くなられたあと、それまで他店で修業していたご子息が、今のマスター。ご母堂と二人で、お店を続けておられる。今のマスターも、さすが血は嘘をつかず、お話し上手である。二代にわたりお世話になって、五十年にもなる。
 さすが日曜日、全二席満員だった。
 「一時間ってとこかね?」
 「そうねぇ、四十分もあれば」

 帰りに買物に回るつもりで、折畳みのトートバッグをポケットにしていたから、ちょうどいい。サミットとビッグエーへ。
 玉子十個パック、低糖質低脂肪ヨーグルト八個パック、コーンスープ六袋詰め箱、魚は昨日入荷の鯵開き二尾トレーが見切り割引、バナナの安いほう、それに缶珈琲の買溜め補充。スーパーで税込み六十円の美味い微糖缶珈琲を見つけてからは、自販機の百円を買う気が起らなくなった。百三十円など、もってのほかである。
 ビッグエーから出てみると、雨は上っていた。画に描いたような通り雨だったらしく、青空まで覗いている。無駄に傘を濡らしたと、一瞬悔しがる。

 いったん拙宅に寄って、冷蔵庫に収めるべきものを収め、再度、庄司理髪店へ。
 途中、フラワー公園の前を通る。ご近所皆さんの反応機敏さは凄い。猫除けの柵を巡らせた中の砂場には、もう何人もの子どもたちが入っている。お母さんたちは柵の外に立って、ご挨拶やら井戸端情報交換。まだ濡れてるだろうに、滑り台にもブランコにも子どもたち。まわりに井戸端。広場では小学低学年ほどの男の児と三十代のお父さんがサッカーボールで対面パス。
 ほんとうに、少子化なんだろうか。一瞬、心なごむ。
 ここは名のとおり、道路に面した長い花壇に、花を絶やしたことがない。今はジニア(百日草)属と思われるが、種類までは判らない。ちょいと前まで、マリーゴールドとパンジーだったのだが。隅には灌木性の(つまり蔓性ではない)バラがふた株、ビロードの造花かと視紛うばかりに深紅の花を着けている。

 しばし立停っていたところへ、シャトルが飛んできて、眼の前のジニアの上に留った。少女が二人で、バドミントンに興じていたのだ。別に親切にするつもりもなかったが、あまりに私の眼の前だったから、ついつい抓んで、走り寄ってきた少女に手渡した。
 「ありがとうございます」「アリガトウゴザイマス」遠いほうの少女までがペコリと頭を下げてくれた。
 あゝ、そこで気持よくやめておけば、よかったものを。
 「あなたたち、何年生ですか?」
 とたんに、二人は不審そうな表情を浮べた。いけねっ、と咄嗟に気づく。
 「いや、あのね、爺さんになるとね、お嬢さんたちの年齢に想像がつかなくなるのよ。小学六年か中学二年か、区別もできゃしない。いや、いゝんだ、たいしたことじゃない、ごめんごめん」
 私は慌てて歩き出した。二人は黙ったままだった。彼女らの反応は正しかったと思う。

 「いつもと同じでよろしいですか」
 「いいとも。たった三か月で、もう髪を伸ばす気など、さらさらなくなったね」
 定年直前、これが最後の仕事というのを了えてから、丸刈りにしている。その昔、坊主頭が決りだった中学に通っていたため、丸刈りには思い出も思い入れもある。
 「もっとも、生えてる面積も、毛穴密度も、半分になっちまったけどね」
 嘘だ。見栄である。もっともっと減っている。