一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

耳が

 蘆溝橋事件から日中戦争へと泥沼化してゆく半年くらい前のこと、内務省警保局の切れ者官僚が、一部作家らと気脈を通じて、昭和文芸院の設立を企てた。国を挙げて文芸復興を支援するとの名目で。むろん反国家的言説への目配りが主目的であり、言論統制への一段階である。
 直後の新聞・雑誌で表明された諸家の反応が面白い。

 まず与謝野晶子の云い分。まじめな芸術家・学者の仕事と、勲章なんぞという未開の象徴とはそぐわない。鏡花、荷風、白鳥、白秋、里見弴、佐藤春夫…礼装を着込んで胸に勲章をぶらさげて悦ぶ顔など想像もできない。
 晶子ひと言――ウッソクセ~、マジ、ニアワネエシ。

 正宗白鳥の云い分。年金・勲章、ありがたくおめでたいことだらけ。だというのに何だろう、この気の重さは。だいいち、優秀作品をお国が選ぶって、どういうこと? ナチスの文化統制、国民が知らないとでも? 天保の改革でね、水野越前が西鶴を発禁にしたり、源氏を上演禁止にしたり、そりゃ政治権力でできましょうさ。でもそんなことで西鶴や源氏が傑作だということは、動かないのですよ。
 白鳥ひと言――保護なんかしなくていいから、邪魔しないでくれないかな。

 徳田秋聲の云い分――文芸院を名乗るからには、大学や学士院と同様、政治から独立したものでなければならんでしょう。お役人の肝入りで設立するってことは、そのお役人が我々よりも芸術鑑賞・判定において、優れていることが前提ですよね。
 秋聲ひと言――明治このかた、乞食同然に放置されてきた我々に、今さら支援だ顕彰だと云われてもねえ。

 文芸院設立構想は撤退して、小さい懇話会となった。
 私ごときによる乱暴な「ひと言」などではなく、信用できる研究業績や証言を、きちんとお読みになりたいかたは、和田利夫『昭和文芸院瑣末記』および広津和郎『年月のあしおと』。

 感想はふたつ。昔の文士は、世間知らずを標榜していながら、誰もかれも、しっかりしていたんだなあ。あとひとつ、耳が痛い。