一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

似ている

 傘をさして散歩するのは、べつだん苦にならない。靴が濡れるのも、シャツが湿っぽくなるのも、平気だ。けれどもやはり、雨もよいの散歩は、もうひとつ気分が盛りあがらない。
 へーぇ、毎年あそこに咲くのはハナミズキじゃなくて、ヤマボウシだったんだ、などという私一個にとっては重大な発見があっても、立停る時間が短くなってしまう。公園で子どもたちがどんな遊びに興じているか眺めたくても、人影がない。
 それよりなにより、沿道のアパート・マンションや二階家のかたがたが、ベランダに干しものを出されないことが大きい。

 干しものから、お住まいのかたの性別・年齢層・衣類のご趣味だけでなく、ご職業や家計状況、ご家族構成まで、想像つくことがある。独身者か、子どものあるご家族か、お年寄り・ご病人はあるかで、干しものは異なる。

 作家志望の若者たちの話し相手を仕事にしていたころ、我がゼミでは一年間、観察だけを教えた。
 この一週間で眼にした街路樹をすべて書き出せ。知らない樹木は人に訊け。ハンディーな植物図鑑を携帯せよ。この時期に花を着けている花木・庭木はなにか。
 八百屋かスーパー野菜売場で値段に注目しろ。量のわりに、何回使えるかのわりに、高い野菜と安い野菜の、それぞれベストスリーを次回までに書いて来い。次は魚屋かスーパーの鮮魚売場で、同じことをやって来い。季節が移ったら、またやれ。
 レジに行列する間には、前の人の買物かごから、家族構成を想像しろ。日々買いかまとめ買いかの別も、ヒントになるぞ。
 立ち話している主婦たちを見かけたら、手前からゆっくり歩け。
 入門編は山ほどあった。

 散歩しろ、干しものを見逃すなは、やゝ中級編だ。下着泥棒や空巣狙いと疑われないためには、さりげなく素早く観察する習慣がついてからでないと、誤解を招く。
 恥かしいだって? みっともないだって? 小説を書こうなんて料簡自体が、そもそも不審者行動なのだ。解ってるのかっ。
 乗物のなかでは、スマホ・携帯を閉じろ。スマホに気を取られて癖をダダ漏れにしている人たちを観察しろ。来週までに、人の癖を最低二十、拾って来い。

 あの~、この教室では、小説の書きかたは、教えてくれないんですか? 毎年一度は出てくる質問だ。
 だから、教えてるじゃねえかっ。
 しかし若者は鈍感じゃない。やがて血まなこで観察するようになってゆく。
 私は二年生担当。三年生四年生時は、小説家だの学者だのという教員たちの各ゼミへと散ってゆく。
 二年後の卒業式。優秀卒業作品五篇が表彰される。四年生時の全ゼミから選抜されてくるわけだが、受賞した顔ぶれの来歴を洗い出してもらえば、毎年ほゞ三人は、二年生時に八百屋の店先でメモを取った学生だ。やりましたっ。にんまり顔で挨拶に来る。
 なぁ、大丈夫だったろう?

 文芸創作は、下着泥棒でも空巣狙いでもない。が、似てはいる。