一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ところ変れば

 前回は何年前か、うっかりすると十何年前か、憶えがないほど久しぶりに、スーパーで米を買った。
 両親の郷里は米どころで、さすがに伯父伯母はすでに他界しているものの、従兄弟たちが、農家のお爺だったりお婆だったりする。中元・歳暮など無沙汰挨拶といえば、農産物詰合せが普通で、味噌漬けや餅なとが同封されてはいても、要するに米を贈ってくださる。
 拙宅の口はこの二十年で減る一方。ついにはひと口となった。到来米が底を突くことなど、年間を通じてありえなかったのである。
 ところが近年、様相に若干の変化が生じてきた。自然の代替りで、従兄弟の息子たち娘たちが、次つぎ当主となってきた。正直申して、顔もよく憶えていない。その嫁さん・婿さんともなると、まったく見知らぬに近い。

 ある時、こちらから申し出た。
 「けっして縁を切るってわけじゃねえけんどもさ、これからは気遣いねえようにしてくんなせえ。ご無沙汰はお互いだすけさ、今ふうに軽うく、付合ってゆこうさね」
 先方は人生まっさかりの中年男女たちだ。異存のあろうはずがない。
 という次第で、今なお米を贈ってくださる、私と同齢の老人が一人だけあるけれども、その程度であれば、私一個の消費量と釣合う。
 で、今から新米拝領までの数か月分の米を、スーパーにて贖う運びとなった。はたしてどんな米なのか、楽しみではある。

 これが信州を郷里とするご家庭であれば、リンゴや蕎麦が届くのであろうか。もしや朝鮮人参や蜂の子まで、届いたりするのであろうか。

 北海道の釧路あたりをぶらぶらしたことがある。阿寒湖にも足を延ばした。車からキタキツネや、うまくすれば鹿も観られますぜ、と聴いていたが、ほんとうに両方視た。根室本線に乗って、霧多布岬の先端を観にも行った。車窓からの景色は、人間の背丈より高い蕗の群生がどこまでも続く。根釧原野とはこれか。
 途中の厚岸駅では停車中に、駅弁売りのような姿で生ガキ売りが、ホームを歩いてきた。金属のヘラでグリッと殻を開けてくれたのを、乗客は窓から身を乗出してすすり込むのである。なるほど、これが地元の味というものか。
 よく知られる釧路の朝市で、シシャモを売っていた爺さんの噺が、忘れられない。
 「北方領土なんて云うてもさ、釧路の船はロスケの倍のでっけえエンジン積んでるからね、逃げきっちまわあ。捕まるのはたいてい、高知や静岡から来た船だね」

 釧路の名物は霧である。釧路空港の発着便は、急遽変更が珍しくない。出張に有給を繋げた旅も今日限り。月曜には出社しなければならないのに、霧だ。時刻表を視ると、帯広空港から、もう一便ある。タクシーへ。
 「三時間半しかないんだけど、帯広空港まで行けますか」
  森の中道をしばらく行くと、水辺の低地一帯に白っぽい小花が、霜降りのように敷詰められている。
 「スズランです。お客さん、摘んでゆきませんか。濡れハンケチで下を包めば大丈夫、東京までもちますよ。私も、娘に少し摘んでゆこう」
 シートベルトを外して、ドライバーはさっさと車を降りてしまう。なんて呑気な運転手だ、大丈夫なのだろうか。しかしお言葉に甘えて、しばし花摘みした。

 ふいの運動が効いたか、うとうとしかけた。
 「お客さん、もう十勝へ入りました」
 外を視て、驚いた。根釧原野とは、土の色がまったく異なる。肥沃ぅ~~。
 ゆるやかにマウンドをなす若緑。鹿もキタキツネもいるはずない。倍賞千恵子高倉健でも出てきそうだ。途中で、大きな矢印。直進帯広、右折池田町。あっ、十勝ワインの産地はここか。
 さすがプロ・ドライバー。きっちり離陸三十分前に、帯広空港に着いた。

 空港ロビーで、また驚いた。土産品売店である。豆六種詰合せ、フルーツ砂糖漬け詰合せ、十勝ワイン、唐黍ナニヤラ、じゃが芋ナニヤラ……。釧路空港で視た、氷下魚(こまい)の子の甘露煮、シシャモ(雄)お徳用、めふん瓶詰めなど、影も形もない。
 洗面所でハンケチを濡らしながら、思った。海産王国釧路と農産王国十勝帯広。その間わずか、車で三時間。旅の最後に、いゝものを見せてもらった。