一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

変電所

 俳句修業をしたことはない。ただ酒場で肴代りのお慰みに、心得おありの先輩に導かれながら、歌仙を巻いたことはある。連句である。
 以来、巷に紛れ込んでいる、俳句でも川柳でもない、ただの五七五を面白く感じるようになった。金網にのぼるべからず変電所。日暮れたらスピード落とせ鹿が出る。貼り紙にも標識にも、佳作は尽きない。

 あまりに俳句臭い俳句が、嫌いである。切れ字も、できる限り用いたくない。切れ字とは、「や」「けり」「かな」など、そこで云い切って、もしくは云い止めて、その先を「思い入れ」に託す遣り口である。たしかに俳句らしくなるのではあるけれども。
 むしろ平句の好さということを、考える。歌仙において、発句・脇・第三や、花の定座・月の定座や、揚句などは、一巻の骨組みとなる花形句だが、平句とはそれら以外の、前を受けて後へ繋いでゆく中間の句のこと。面白いに越したことはないが、花形句を邪魔してしまっては、元も子もない。いわば平民の句であり、わざとくすんだ句を詠むというような、ひねった腕前を発揮せねばなぬ場合すら出てくる。脇役の芸と云えよう。
 一行の独立した俳句作品として眺めれば、まだ散文の尻尾が残って詩的昇華度いかがか、完成度いまだしではないのか。そう見えかねぬところを、好しとする。
 コハダ酢の〆加減に似て、かすか手前が絶好だ。

 芭蕉翁も俳諧(=歌仙)から出発したのだったが、命を賭けるからには遊びばかりではいられないと、どんどん心境を深めてしまった。世に云う「蕉風」の確立だ。いくら世を捨てても出自はオサムライ。どうしても求道が目立つ。
 そこへゆくと蕪村は、文人絵師だったことも与っているのか、爺さんになっても色気満々、エロチックでさえある。かなり高度ではあるけれども。
 さらに一茶となると、上品・下品もへったくれもあるかっ。キレイ汚いも大きなお世話。アタクシ現にこう生きてますけど、なにか? てなものだ。じつによろしい。

 芭蕉翁が置いてくれた俳諧の土台は、今の私までをも支えてくれている、気が遠くなるほどの功績だが、その後の器量人たちが、さらにずいぶん豊かなものにしてくださった。それに輪をかけて、明治になってから、正岡子規という独特才能人が、俳諧を「俳句」という芸術的なるものに、仕立て直してしまった。
 素晴らしいことだとは、思うんだけれどもねえ。尊敬してるんだけれどもねえ。
 私一個としては、そんな芸術、する気はない。金網にのぼるべからず変電所、いゝじゃねえか。