一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

不良

 小澤征爾さんが、こんな思い出噺をされたことがある。
 ――学生時代、山本直純先輩が、おい小澤ちょっと、と云うから行ってみた。すると、小澤、お前は頂点をやれ。俺は底辺をやる、って云うんだな。その時は意味解らなかったけどね。少しして、解ったよ。

 なるほど、才能人たちは、すいぶん早くから視抜き合うんだなと思い、記憶に残った。
 我われ門外の素人は、若き日には小澤さんに惹かれ、齢とともに直純さんの偉大さに眼が開かれてゆくというのが、加齢の自然ではないだろうか。
 映画音楽や主題歌やコマーシャルソングなど何千曲をとおして、山本直純は音楽を大衆化したなどとは、ずいぶん無責任で中途半端な云いぐさだ。佳き音楽は最初から大衆的だったのに、常人には聞えなかっただけだ。もともと道はそこにあったが、深く覆い隠されていた。それを掘出して見せてくださったのだろう。

 直純さんと双璧をなす国民的作曲家、小林亜星さんが亡くなられた。心不全の発作を起されたと伝えられるが、大々的プレス発表もなく二週間経った今日報道されるとは、なんとも亜星さんらしい。ご家族ご周囲による、ご配慮の賜物だろうか。
 肥満体質を改善するため、行きつけの酒場のキープボトルには、烏龍茶が詰っていたとも聴いた。人に気を遣わせぬよう、酒場トークには参加。ただしご馳走するのもされるのも嫌いだとして、ご自分のボトルからだけグラスに注いだのだったろう。

 その業績から、直純さんとの共通性を連想するのは自然だが、私としては、役者の小沢昭一さんや小説家の野坂昭如さんのご他界を報されたときと、似た寂しさがある。むろん私一個の勝手なイメージであって、伝記にも逸話にも依拠せぬ見当はずれな幻想に過ぎないが、敗戦後の焼跡や瓦礫が残る街角を、腹を空かせてほっつき歩いた不良たちが、また一人亡くなった、という感じである。

 ――古いジャズのレコードがね、うちにあったのよ。音が漏れると憲兵にしょっ引かれるゾ、なんて脅かされたけどね、平気で聴いてたよ。不良だったからね。
 技芸分野で名を成した人から、しばしば聴かれる不良自慢にも似る。けれどそのあと、亜星さんはこう云われた。
 ――不良は、戦争しないからね。戦争ってのは、頭いゝと自分で思ってる奴が、よしゃあいゝのに変な使命感持ったりするから、起きるんだよね。

 ♪プールサイドに夏がくりゃ、イェイ
 あれは亜星さん、当時としてはぶっ飛んだコマソンで、イラストの少女たちも、とびっきりキュートでしたね。
 ♪日生のおばちゃん今日もまた~
 何人もの熟女女優さんたちが、自転車にまたがって、坂を登りましたね。
 ♪この~木なんの木、気になる木~
 あのロケはオーストラリアでしたかね、広く平らな野原にこんもりと一本だけ。よくもまあ、あんな木が見つかったものでしたね。
 それよりなにより、女心の未練なんて、生涯一度も身に覚えのない私でも、「北の宿から」ずいぶん唄わせていただきました。

 非力ながら私も、使命感持ったりしている自称秀才に、水ぶっかけてやることにします。