一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

出番

 親に連れられて、この町へ移ってきたのは、昭和二十九年だったが、すでに「研庄」さんは今の場所にあった。拙宅にとっては、金物屋さん・刃物屋さんというよりも、包丁の研師さんだ。
 その研庄さんが、今月一杯で店仕舞なさるという。情報を、買物途上の立話からでなく、ご近所のとある情報通のかたのフェイスブックから知るというところが、いかにも現代である。

 とり急ぎ、今生きている包丁を研ぎに出そうかと、咄嗟に思った。が、躊躇している。今月一杯と知れ渡れば、あっちからもこっちからも、研ぎの依頼が殺到していることだろう。日頃ご無沙汰がちなのに、こんなときに限って…。なんだか、はしたないような気もする。
 誓って申すが、店仕舞と知る前から、そろそろ研ぎに出そうかと、思案してはいたのである。だが選りにも選って今、と思うと、どうにも気が引ける。

 母が床に着いて、私が台所を一手に引受けることになっても、しばらくはあり合せの、つまり母が使い馴らしてきた道具類を、そのまま使っていた。私好みに買い足したものと云えば、中華鍋と、付属の長柄の中華お玉と油切りくらいのものだ。
 昔の主婦は、当面使わぬ食器や道具類や戴き物など、なんでも捨てずに取ってあったから、食器棚の下段の引き戸や、流し上の天袋などに詰み重なったボール箱を開けてみると、出てくるは出てくるは、私がもう一回産れても足りるほどだった。

 母他界して半年もしたころだったろうか。包丁が割れた。欠けたのではない。刃の一部に亀裂が入ったのである。こんなことってあるのだろうかと、わが眼を疑ったが、さもありなん、とも思った。包丁は台所の王である。名実ともに、支配権の移譲だなと、理解した。

 到来物だろう、関孫六の箱入りセットが、未使用のままあった。いつから拙宅にあったかは判らない。それを私専用として、おろした。刃渡り十八センチの牛刀。尖端の尖りも鋭く、万能だ。これが長男。刃渡り十六センチで牛刀型ではあるが幅が広く、菜切りを兼ねる。これが次男。刃渡り十三センチのぺティーナイフ。これを末っ子とした。
 以来十余年、この三兄弟で間に合せてきた。もう大きな魚の頭を落す機会もなかろうし、せいぜいが鱗を引いたり、鯵のゼイゴを取ったりする程度だから、長男で十分。こんなとき出刃が一本ありゃあなァ、と思ったことは、十余年にせいぜい十回あったかどうかだ。
 刃渡り二十三センチの柳葉型刺身包丁が一本、まだ未使用のままあるが、日常私が食うのはブツか切落しか中落ちばかり。サクから刺身を切って盛ることなど、もう生涯あるまい。いずれは台所好きの若い者に譲ることとなろう。

 で、今回、研庄さんに出そうかどうしようかと思案していたのは、この三兄弟だ。
 包丁を玄人さんのお眼にかけるのは、文士がペンだこを人に見せるようなもので、少々照れ臭い。「ほぅ、大事に使っているね」と云っていただける自信はある。なにせ台所の王だから、洗い物を済ませて、その日最後の炊事として、包丁を洗って乾いた布で拭い、ティッシュで湿気を取り、紙に包んで休ませることは、毎日してきている。
 だが無知の悲しさ。砥石はひとつしかないし、研ぎかたも間違っているに違いない。それどころか、一定の力配分で手入れできていないに決っている。そのようにして積り積った間違いを、この際ただしていただくためにも、久かたぶりにお願いしようかと思っていた矢先だったが。そうか、今月で店仕舞なのか……。

 ところで、長男と次男はほぼ均等に働いてくれて、貫禄も出てきた。末っ子だけが、まだ初心である。フルーツやレモンをカットする、なんて料理は、まずしない。チーズなど切ってみたが、長男より上手とも云いきれない。私の台所にぺティーナイフは不要か?
 じつは、そうとも思っていない。決定的出番がやって来ると思っている。アップルパイのホールを、この末っ子で、カットする予定なのである。