一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

面倒臭い

 奈良西大寺の長老が、京都の内裏(内閣府)へやって来た。腰がひどく曲って、眉毛は真白。視るからに修行の生涯を送ってきた高僧らしい姿だ。内大臣官房長官西園寺実衡は、あなたふと云々。「いやぁ、お姿を眼にするだに、尊い」と、信仰心をいっそう募らせる気配だ。
 近くで視ていた権中納言(若手中堅官僚)日野資朝が、あとで云うには、(若き日のビートたけしさんの間で)「よぼよぼの、見っともねえジジイだってだけじゃねえか」
 数日後、彼は部下を呼んで、もとは長かった毛並が今はハゲチョロケになって、足もひん曲った老犬を一頭、「どうです、尊いもんでしょう」との添え状付きで、内閣府へ届けさせたとさ。(第百五十二段)

 この資朝卿、ふいのにわか雨に、東寺の山門で雨宿りした。そこには物乞いやら障害ある者やら、逃げ回ってる者やら身を隠している者やらが、たむろしている。(芥川龍之介黒澤明の『羅生門』を想い出してください)
 いろいろな曲者たち、異様なる人間世界、面白いものだなあと、初めは興味深く眺めていた。が、雨はなかなかやまない。しばらく眺めるうちに飽き飽きしてしまい、不愉快にすらなってきた。ちょっと見には珍しくなかろうとも、やはり普通が一番だという気になった。
 帰宅した彼はすぐさま、自慢の盆栽棚へゆき、珍しい形や不自然な姿に丹精してきた樹々を、一本残らず鉢から引っこ抜いて、捨ててしまったとさ。
 兼好はただ一行「さもありぬべき事なり」とコメントしている。(第百五十四段)

 ところでこの資朝卿、若かりしある日、権大納言京極為兼歌人藤原定家の曾孫でみずからも歌人)が政敵に陥れられて六波羅(警視庁)へ連行されてゆく姿を、一条通りで視ていたそうな。「あっぱれ、権力者批判とはあゝありたきものよ」と感想を漏らしたそうだ。(第百五十三段)

 京極為兼を陥れた政敵とは西園寺実兼、「あなたふと」の内大臣実衡の祖父である。資朝卿は権勢を誇る西園寺家の面々が、根っから気に食わなかったのだろう。
 やがて彼自身も、北条氏を討伐しようとの計略をめぐらせたが、事前に発覚。佐渡へと流され、ついにはその地で斬り殺されてしまった。配流は三十五歳、歿は四十三歳。

 『徒然草』には、数多の人間臭い逸話がてんこ盛りだが、この日野資朝も、ちょいと記憶に残る奴だ。ただし、友達になるのは、かなり面倒臭そうだ。