一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

泣く泣く

 ビッグエーの鮮魚売場(といってもディスカウント・スーパーゆえ、加工品が主だが)に、コハダの粟漬けがほゞ年中出ている。私も、ほゞ年中買う。自炊生活で単調になりがちな食卓に、ちょっとした彩りとなる。
 出世魚のコハダに、クチナシで黄金色に染めた粟をあしらうことで、縁起の良い食品とされ、正月料理とされているようだが、私は季節を問わない。貧しい魚好きには、ありがたい加工食品だ。

 寿司屋のカウンターで、コハダを注文する客を見かけることが、ほとんどない。不思議なことと思っている。
 さて何からいただこうかとなって、開口一番「とりあえずトロと、あとウニね」などと云う奴の舌を、信用できない。無残な舌をお持ちで、慶賀のいたりだ。
 味の濃いものや、脂の強いものを初めに食って、その後、どうするつもりなんだろうか。カレーでも食うのか。
 親方なり板さんなりが、今日はこれが目玉と見込んで仕入れた、季節の魚が一番美味いに決っている。それが知らされてないなら、その日の光り物で、魚らしい淡い味から始めるのが普通というものだ。お好みで、白身から入ってもいゝが。

 こんな噺を読んだことがある。
 板前さんが応召して、南洋の島の守備隊任務となった。戦況芳しからず。敵軍飛行機は、頭越しに飛んでゆき、艦砲射撃を受けることもなくなった。島は置き去りにされ、補給路はまったく断たれて兵糧攻め状態。昼はジャングルに隠れながら、食用になりそうな葉や根や、小動物を探し歩く毎日。銃剣は農具と化した。
 夜はホッと息をつける。浜辺へ出て、椰子の木の根かたに腰をおろして寄りかかり、月を見あげるのが唯一の愉しみだったという。

 日本へ帰れる日は来るのだろうか。ふたたび寿司を握れる日は、あるのだろうか。このまま死ぬのだったら、一度だけでいゝから、寿司食いてえなぁ。
 もし神様が、死ぬ前に一貫だけ食わしてくださるとなったら、さて何を食おうか。と、彼は考えたそうだ。
 時間はたっぷりある。明日はまた、夜明けから食糧探しだ。けれどそれまでは、俺がここで何を妄想していようが勝手だ。

 思いつく順に彼は、眼の前に寿司ネタを並べていった。六十も八十も並んだ。そして消去法で、ひとつずつ消していった。海老が消えた。タイもスズキもヒラメも消えた。貝類のなかで最後まで残っていた赤貝が、ついに消えた。とうとう最後のふたつ、マグロとコハダが残った。どちらも消しがたい。彼は本気で、何時間も迷った。苦しい気すらする。
 東の空が白じらとしてくる。いけねぇ、少しは眠っておかねえと、またジャングル作業がきつい。
 彼は清水の舞台から飛び降りる心地で、泣く泣く、マグロを捨てた。

 山口瞳の随筆集で読んだ。作者の末尾一行。「いい話だと、思うのである。」
 同感です、山口先生。私も、いゝ噺だと思います。