一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ありえねぇ

 将棋の板谷進(当時)八段と、寿司屋でちょくちょく、ご一緒した時代があった。
 初対面のとき、私はひと眼で八段と気づいたが、板さんも女将さんも将棋にはまったく不案内らしく、たまに一人でふらりとやって来る中年の客とだけ、思っていたらしい。いつも銭湯帰りに寄られるのだろう、やゝ上気したお顔で、髪も乾ききってはいなかった。

 きびしい勝負のあと、寛いでおられるのであろうから、初めはあえて声をお掛けせずにいた。何度目かに、席が隣り合せた。板さんや女将さんと、あまり会話が弾んでいない様子だったので、視かねてついに、
 「板谷進先生で、いらっしゃいましょ?」
 ほう、ようやく将棋を知ってる奴が現れたかとばかりに、話題が回転し始めた。板さんと女将さんは、狐に摘まれた顔つきで、こちらを窺っていた。

 八段は名古屋にお住いで、対局があると上京される。将棋連盟の宿泊施設に泊ってもよいのだが、当時ご子息が東京の大学生だったので、学生寮よりは数等快適なマンションを借り与え、その代り対局ご上京のさいには父が泊る、ということにしておられたようだ。
 ご面識いただいてみると、ごく気さくに、というより磊落あけっぴろげにお喋りくださるかただった。

 酒が入ったときの素人質問など、あまりに無邪気。たかが知れている。
 「江戸時代から現代までで、一番強かった棋士は、誰ですか?」
 「う~ん、ま、大山康晴と答えるより、しようがねえんだろうなぁ」
 「やはり大山名人を倒そうと、ご精進なさったのですか?」
 「いや、世代的にね、加藤一二三をやっつけようと、上京したんだけれどもね。その後、米長が出てきて、中原が出てきて、今となってはね、複雑だよ」

 その店の板さんというのがまた、天然系とでも云おうか、悪意の微塵もないお喋り好きで、しばしば女将さんから、
 「お手が停まってるけど、板さん」
 と注意されるような男だった。くり返すが、将棋はまったく知らない。
 「専門家の将棋ってのは、ずいぶん考えるんでしょう? 途中で食事したり、トイレに立ったり。そういう時、次の手を、誰かに訊いちゃったりすることって、ないんですか?」
 シマッタ、内心青ざめる思いがした。最低限のことは、前もって私から教えておくべきだった。いくらなんでも、口にしてはいけない質問だろう、これは。
 が、八段は苦笑するでも、言葉に詰るでもなく、平然と答えた。
 「そんなことはありえないな。将棋指しの世界ってのはね、自分が一番強いと、信じて疑わぬ人間たちの集まりだからね」
 私は胸を撫でおろした。と同時に、深く納得するものがあった。
 四十年近くも前のことである。

 文筆家を目指す若者たちの話し相手になる仕事を、ずいぶんやった。職場の先輩や同僚には、夫馬基彦、福島泰樹、小嵐九八郎、佐藤洋二郎ら、有名もしくは売れっ子の小説家や歌人が顔を揃えていた。もうひとつの職場には、三田誠広荒川洋治もいた。どなたとも、気安くさせていただいた。
 いっこう見映えのしない私の姿に、ともすると若者たちは、あのオッサンなにかの時には、誰かに訊いちゃってるんだろうなと、想像していただろうか。
 そんなことは、ありえねぇんだな。