一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

とんでもない

 伊豆山(熱海市郊外)の土石流被害が、ことのほかお気の毒な状況という。ユーチューブやツイッターで動画に接するだけの私の眼にさえ、これほど届くのだから、テレビのある普通のご家庭では、一日中取沙汰が絶えないことだろう。
 災害が起きるたびに、避けられぬ自然災害の面ばかりでなく、人災の面が指摘されるのも、ニュースから苛立たしさを感じさせられる一因だ。持って行き場のない無念の想い、とでも云うべきか。

 酒場カウンター仲間のあるご婦人は、五年ほど前、小学生のお嬢ちゃんと二人して、宮城県から引越してこられた。お嬢ちゃんはこちらの小学校へ転校したわけだが、困ったことが生じたという。
 遠い昔、私にも憶えがあるが、悪ガキは、覚えたての汚い言葉を、得意気に使う。
 「信じらんねえ、死ね!」
 お嬢ちゃんは、鼻の奥が塞がったようになり、頭がクラクラして、その場にしゃがみ込んでしまうそうだ。瓦礫の山から掘出された、べとべとに泥にまみれた遺体の画像を視せられた、おさな児である。二階の窓からこちらに向って何か叫んでいるお婆さんが、家ごと曳き波にぷかぷか浮いて、海へとさらわれていった動画を視せられた、おさな児である。
 どういうメカニズムなのか、日常生活にはなんら暗い影など落していないのに、「死ぬ」「死ね」だけが、いけないそうだ。保護者面談のさい、担任先生の耳には入れておいたものの、いちおう聴き置かれたまま、手は打たれなかったそうだ。

 今では、娘は中学生になっている。その後、症状はいかがと、こちらから母親に訊ねる事柄ではないし、彼女も愚痴ったりはしない。それどころか、新しいボーイフレンドに夢中である。母がである。日伊ハーフで、アクセサリー店の店長だそうだ。娘からは、
 「いい加減にしておかないと、痛い目を視るかもよ」と、忠告されるそうだ。

 土石流の発生地点は、もと窪地か谷だった所に盛り土した、造成地だという。造成前は産業廃棄物が投棄され、風向きによっては近隣住民宅にも異臭が漂ったという。埋めてしまって、行楽地域もしくは別荘地として開発されたわけだ。
 例によって、もとの地主、施工業者、不動産会社、現在の地主、皆異なる。下請け・孫請け・転売を重ねるうちに、何が何やら判らなくなっていて、今さら責任の所在など問うべくもないのだろう。
 「いつかは、こんなことになるんじゃないかと、思ってました」
 「伊豆山の人間は、みんな知ってましたよ」
 近隣住民へのインタビューが、耳に痛い。

 地元住民の関与できぬところで、都会からやって来た資本が、とんでもないことを仕出かす。遠い昔、大正の後期から昭和の初め、労農派とも称ばれた初期プロレタリア文学が、盛んに訴え、読まれもした現実である。