一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

サーッ

――口上――

 老いの手すさび、若き友人らに手を曳かれましてついうかうかと、この日記を立上げましたるは五月の三日。おかげさまで六十七日目にございます。
 こゝでひと言、ご挨拶申しあげます。

 当初方針めいたものとてなく、眼目第一は、おのれの痴呆進行へのささやかなる抵抗。第二は、日ごろ消息途絶えがちのため、ご心配をおかけしてまいりましたる知友への生存報告。その程度のものでございました。
 ところが幕を揚げてみますと、思いのほかのご厚情。ただ今、七千になんなんとするアクセス、三千六百近くのスターマークをかたじけのういたしまして、まこと電子媒体の威力凄まじきを痛感しつつも、身に余る光栄と、存じおる次第にございます。
 伏してお礼申しあげます。

 初めひと月は試し運転。入力はできるか、間違ったクリックはせぬかとの、練習でございました。ふた月目に入りまして、せっかくの機能を活用せぬも惜しやと、生れて初めてデジカメなるものを手にいたしまして、句を捨ててまいりました。
 お通りすがりくださいました皆さまにおかれましては、まことにお目汚しさまでございました。

 もとより一介の遊俳に過ぎぬ身ゆえ、集めてなにごとかを成そうと図る業俳の宗匠がたとはちがって、記憶もしくは記録するに意味はなく、また料簡は微塵もございません。捨てる場もなく溜ってゆく句は、文字どおりゴミでございます。せいぜいのところが足跡に過ぎません。せめて供養し、いずれかへ捨てる方途を考えねばなりませんでした。
 加えて、俳諧は当季当座がたてまえ。夏に入りましてなお、春句を披露申しあげるなどは、とんだ作法破りでございました。これも溜りがちなゴミを捨てる事情。どうかご寛恕を願いあげます。

 暦の上では、昨日今日あたりから晩夏。おかげさまで、捨句も夏に入ってまいりまして、まことの季に追いついてまいりました。ゴミがあらかた片づいたわけでございます。
 今後は、また捨句が生じましたるときに、そのつど投稿することといたしまして、連続投稿は、本日分をもちまして、ひとまず揚句とさせていただきます。

 日々録につきましては、これまで同様、埒もなきことを吐出すこととなりましょう。加えてなにがしかの新機軸をも工夫いたしますれば、どなた様におかれましても、今後ますますのご健勝をお祈り申しあげますとともに、もしお退屈のおりでもあらば、当日記などもお慰みにお加えくださいますよう、隅から隅までずーいっと、おん願いあげ奉ります。
(チョン、サーッ)