一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

いちおうは

 ユーチューブで散歩していると、つねに何かしらのマイブームが生じるものだが、このところはKENKENさんのKENKEN IN THE WORLD というチャンネルを、集中的に観ている。フランスでオーガニック農業をなさっているらしい、日本人家族とスタッフが、マルシェ(朝市ですな)で、お好み焼屋を繁盛させている動画である。

 径一メートルの丸鉄板三口で、手際よく焼かれる大阪風お好み焼やモダン焼(焼きそば入り)が、フランス人客たちに、飛ぶように売れてゆく。大鍋では、野菜炒めか肉じゃがかカレーか肉団子そのほか、その日の食材によって決められた一品が準備され、白飯と合せた日替わり弁当が用意される。ご定連たちが、仕上りを待って行列している。
 「今日の弁当は、何かね?」
 会話が弾む。コロナ禍で不自由のなか、互いの無事を確認し合う。ご定連は、自分用の弁当箱やタッパウェア持参だ。
 料理のほかに、自家製のオーガニック味噌や餅菓子(いちじく大福、いちご大福、きな粉草餅ほか)も並んでいる。毎回、味噌とスイーツだけを買ってゆくマダムもある。

 開店前のKENKENさん、オーガニック市場をひと巡り。朝市仲間にご挨拶。農家の直販所でネギとキャベツと、今日はじゃが芋とピーマンとトマト。畜産農家の直販所では、月に一回つぶす豚肉の新鮮な真空パックを予約。移動車のカフェで、我がスタッフぶんの珈琲を注文。モロッコ人のスイーツ屋で、甘いお菓子を。パン屋の女将さんや、漁師あがりの魚屋の親爺さん。
 勘定は朝市仲間値段だ。おまけの差入れが来れば、あとでお好み焼か焼きそばを届ける物々交換。店(テント)に戻って、開店準備を了えたスタッフと朝食を兼ねた珈琲タイム。

 KENKENさんは兵庫県ご出身。夜間高校の数学の先生だったが、俺だって世界一周ができるはずと、日本を出たという。さて世界をどれほど巡ったのかは知らないけれど、フランスに草鞋を脱いだまま、移民となってしまった。
 今では、大学に通うご長男ご次男も、バカンス中には店を手伝いに出ている。ご次男の接客は、父親より丁寧で、好評だという。

 店もスタッフの皆さんも素敵だけれど、なによりも朝市に集う人たち。丹精の荷を持寄る生産者たちや、オーガニック食材をわざわざ遠くから買いに来るマダムや、B級グルメを愛してやまぬフランス人たちの表情など、すべてが生き活きしている。
 まだテレビを観ていたころ、NHKで「世界ふれあい街歩き」という番組を、欠かさずに観たものだった。今でもあの番組、あるのかしらん。
 長くその街に住んだ人ならではの、何気ない拍子に見せる表情が、好きだった。この街はどんな街かと問われて、異口同音に「世界一の街さ」と答える声が、嬉しかった。
 反戦平和主義なんて云ったって、じつは政治の問題でも社会思想の問題でもなくて、これらの表情を美しいと感じられるか、感じられないかの問題だと、しきりに考えたものだった。

 それにしても、径一メートルの大鍋で肉じゃがを炊いた経験はないし、もう経験することなく了えることは必定だ。どんなだろうかなあ。
 ふた月前、家庭菜園を老後の趣味とする旧友から、ご丹精のじゃが芋と玉ねぎを大量に頂戴して、前回はいつだったか思い出せもしないほど久かたぶりに、肉じゃがを炊いた。毎度のことながらレシピなどなく、味付けも分量も、すべてヤマ勘だ。
 一度作ると、しばらくのあいだ繰返し作るのが、私の流儀である。毎回少しずつ味や出来栄えが異なる。が、何度も作るうちに誤差が少なくなってきて、やがてほとんど定まる。それがひとまず私流の味の到達点だ。今も、火を止めて、蒸らしているところだ。

 生来の不器用で、いくつもの関心を同時併行して持続することができない。良く云えば一点集中。この遣り口で、ヒジキ五目煮もカボチャ素朴炊きも、南蛮漬けの我流ダレも五味唐辛子(七味に二つ足りない)も、作ってきた。
 それどころか、いちおうは本職のはずの文学だって、そうしてきた。