一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

けれども

 荻上チキさんの「セッション」という、TBSのラジオ番組を頼りにしている。時勢の要点を多角的観点から教えてくださるので、助かっている。その日の国会の模様などを、ご担当の放送記者の眼で視たままにリポートしてくださるのも、貴重だ。

 東京都議会議員選挙投票日から日ならずしての放送に、津田塾大の先生がご出演。投票率、天候、期日前投票率、出口調査、男女比、前回選挙との異同など、多角的に教えてくださった。社会学なのだろうか心理学なのだろうか、現今の学問区分にいっこう不案内だが、なるほど、こういうことをご研究のかたもあるかと、感心しながら伺った。

 ところでこの先生、お耳にご不自由があるらしく、常日頃から聴導犬と二人三脚(五脚か?)で行動なさるかたらしく、スタジオでも、先生の脇には聴導犬が控えているらしかった。
 私は無知なことに、聴導犬がいる場面を初めて耳にした。人の声がしたり、ベルやブザーやインターホンが鳴ったり、湯が沸いたりしたときには、報せてくれる、訓練された賢い犬だそうだ。盲導犬については、活躍ぶりや訓練の模様や、その生涯を描いたドキュメンタリー映像を観たことがあり、実際に駅や街なかで、白杖を手にして盲導犬と添い歩く人とすれ違った経験もある。が、聴導犬が活躍する場面を、眼にした経験はなかった。

 聴導犬も、相棒を助けながら、共に生きることに喜びを感じるという点で、盲導犬と共通する資質が不可欠となる。だが視覚の補助と聴覚の補助とでは相違もあるらしく、適する犬種には若干の相違があるそうだ。

 さて番組のエンディングで、荻上チキさんだったかお相手の南部広美さんだっか記憶ないが、
 ――本日のご出演は津田塾大学の○○さんと聴導犬のジローさん、云々。
 これはどうなのだろう? 思わず、考え込んでしまった。

 猿回し芸人次郎さんが、相棒猿の太郎を連れてインタビューに応じるとなれば、「本日は次郎さんと相棒太郎君をお招きしました」が成立しそうだ。じつは厳しい訓練を重ねて、次郎さんの的確な合図で猿が動いていることは誰もが承知の上で、人を食った太郎とそれにやり込められる次郎さんというフィクションを、インタビュアーも視聴者も愉しんでいるわけだ。
 腹話術師のいっこくさんが、ジョージかカルロスを抱いて、いっこく堂としてインタビューを受ける場合と同じようなものだ。
 ではインコを肩に乗せた勘違いアイドルが、「ピーちゃんと私はいつも一緒なの」と登場したら、「今日のゲストは××さんと、ピーちゃんでした」と、なるだろうか。よほど若者に媚びたバラエティーならともかく、まずありえまい。あるとしても、まず自分を嗤ってから口を開くという、ユーモア精神による発言に違いない。
 「セッション」が、その手の媚びやユーモアを必要としていないことは、自明だ。

 私も犬を三頭ほど、飼ったことがある。何年にもわたって、家庭内に話題と笑いを産み出してくれた恩人(恩犬)であり、まさしく家族の一員ではあったが、死ねば生ゴミである。葬儀屋も保健所も扱ってはくれない。
 それが忍びないという飼主のために、ペットの葬儀から墓まで世話してくれるお寺さんもある。残された人間の心を安んずるという点で、なるほど宗教行為ではあるが、法的にはゴミ処理だそうだ。

 会話にかすかな間が空いてしまったり、聴き取れなかった箇所を反復したり、放送上気を使わねばならぬ問題を、さりげなく聴取者に了解してもらうべく、荻上さんは随所で言葉を添え、配慮しておられた。まことに多とすべきだった。
 けれども、である。「ご出演は、○○さんと、聴導犬のジローさんでした」は、ちょいと違うんじゃないだろうか。