一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

かぎる

 仕事の方針は、心掛けは、抱負はと訊かれて、お若いアスリートさんや芸能人さんが、「感動と勇気を与えられるような」なんぞと応えているのを耳にすると、索然たる想いに襲われる。そりゃあ私だって、感動することも、勇気づけられることも多々ある。だが自分から感動させたり、勇気を与えたりするものでも、できるものでも、あるまい。

 若者の話し相手稼業に二十数年間従事したが、そんなこと一度だって意図したことがなかった。責任を感じる場合は多々あるものの、しょせんは先方さまのご勝手。受取るかたのご自由である。
 調べたこともないが、ヤマ勘で大雑把に申せば、十人と出会えば、私を気に入ってくださるかたが一人、大嫌いになるかたが三人、あとの六人は私などどうでもいいと思われてることだろう。いや、これでも自分に甘すぎるだろうか。

 老化した故か、いかに値打ちある生きかたをするかなどということには、とんと関心がなくなった。ただ何となく生きてる姿が、よろしいと思える。
 昔、田中康夫さんが『なんとなく、クリスタル』でデビューして、一躍話題の人となっていたころ、酒場友達のトラック運転手が「俺だって、なんとなく暮してる」と云い放って、仲間内でおゝいに受けたことがあった。十歳ほど齢上の先輩で、とうに他界されたが、この齢になってみれば、いゝ先輩によるけだし名言だった。

 そんな私でも、同齢の男(女性はまた別尺度)のお元気でご活躍される姿を拝見するのは、なんとなく好ましい。年長のかたならば、さらに嬉しい。
 火野正平さんがヒーフー云いながら自転車で坂を登っているあいだは、俺もくたばれねえなと思う。矢沢永吉さんが黄色いタオルを肩にしてマイク振り回しているあいだは、俺だってもうひとツッパリしなけりゃなあと思う。ご両名は、私と同齢だ。
 吉田拓郎さんや泉谷しげるさんは先輩で、たいしたもんだと感心する。忌野清志郎さんは齢下だったのに、惜しかった。松山千春さんなど、まだお若い。

 こういう場合は、勇気をもらってると称しても、かまわないのだろう。むろんご当人たちにとっては、私ごときからあれこれ思われるなんて、ご迷惑に違いなかろうが。
 体質も環境も病歴も各人各様と、百も承知しているにもかかわらず、こんな想いが湧くのだから、年齢という先入観は奇妙なものだ。
 思い出した。ひとつ齢上のジュリーこと沢田研二さんが、他人から云われて嬉しい言葉はと問われて、「よくやるよ」だと応えておられた。う~ん、同感である。

 ついさっき、女性はまた別尺度、などと失礼な申しようをして、ごめんなさい。女性に関しては、本音を申せば、やはり齢下が可愛い。女はなんてったって、六十女にかぎる。