一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

がら空き

 夜中が作業時間だ。起床は午過ぎ。ぐっしょり寝汗をかいている。発汗は健康法ともいえるが、眠っている間の熱中症には、気をつけねばならない。洗濯物は溜る。下着二日分とパジャマとタオルケット、それに枕カバー代りのバスタオル。シャワー場のタオルも二日分。これで洗濯機・乾燥機一回分だ。
 起床後まず、体重測定と水分補給。検温、血圧測定、記録とグラフ。つぎに炊事と食事と洗い物。朝食という名の午後食に七十分だ。あれこれ片付けてから、珈琲沸かしてアイスコーヒーに。ゆっくり飲みながら、郵便物とメールとSNSチェック。今日は返信を要するものがなかった。

 夕方となったので、コインランドリーへ。がら空きだ。洗濯機を回している間に、ダイソーとビッグエーを済ませて、いったん家へ運ぶ。今度は読み掛け本をもって、ランドリーへ戻る。まだ洗濯機は回っている。やれやれ、腰掛けて読みだす。
 乾燥機終了の信号音がたて続けに鳴って、さっさと帰ってしまう人たち。往来へ出て煙草を一服と思って、今さらながらに視回すと、私の洗濯機以外は稼働していない。乾燥機も、全機停止している。奥のコインシャワーには、初めから人がいない。
 そういえば、開会式だとか聴いたような。迂闊なもんだ。そして思い出す。

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宇野浩二、昭和26年頃。『うつりかはり』の翌年くらいか。

 芳郎と元子の夫婦は、昭和二十年六月、信州松本へ引越した。疎開である。近所の農家に助けられながら、食糧はなんとか凌いでいる。不便は銭湯と郵便局までが遠いことだ。文士の芳郎には、郵便局への用事が毎日のようにあった。
 八月中旬のある夕方、銭湯でのこと。洗い場で隣合せた見知らぬ人が、
 「どうにも、大変なことに、なりましたなぁ」
 なんのことか判らず、「はあ」と応えておくしかなかった。
 数日後、外から帰った元子が、
 「あなた、戦争はもう済んだそうでございますね」
 「そんなことが、あるもんか」
 「でも、そうおっしゃったかたが。そういえばこゝのところ、サイレンが鳴らないようにも」
 「そういえば、鳴らないね」
 翌日芳郎は、日頃から好くしてくれている知人を訪ねた。陽も暮れたというのに、電灯をこうこうと点けている。
 「いゝんですか、こんなに明るくしておいても」
 相手はちょっと不思議そうな顔をしてから、
 「もしや先生、ご存じないんですか?」
 今度は芳郎が、狐に抓まれた顔をした。
 「戦争は、もう済んだんです」
 「じゃあ、負けたんですか?」
 「まぁ、そんなところです」

 宇野浩二『うつりかはり』(昭和二十四年)。息子は出征して、初老の夫婦二人が、ただ日々の眼先を生きることに懸命な姿。当人らが懸命であればあるほど、一歩退いて眺めれば滑稽であり、もの悲しくもある。人は歴史的大状況などに暮してはいない。深刻思想問題などで生き死にしているわけではない。これが日本近代小説史にあって傑作中の傑作だと、もう四十年も主張してきたのだが、なかなか同志が現れない。
 文芸批評がどうかしている。日本近代文学研究者が、偏っている。肉眼で視たらいゝ。流行を無視してみたらいゝ。出世や人気取りの原稿を、やめてみたらいゝ。恩師に反抗して、自分の研究主題を探したらいゝ。

 洗濯機が停まったので、中身を乾燥機に移す。コインを投じる。読み続ける。
 やがて乾燥機も停まる。アツアツのパジャマやタオルケットを、折りたたんで洗濯袋に詰めた。その間も、新たな客は来なかった。今日はもう、一人も来ないのだろう。