思いいだせば恥かしきことのかずかず~。
ご存じフーテンの寅さんが、手紙の冒頭に振る、常套挨拶文だ。
齢をとると、ありがたいことに、辛かった記憶は薄れてゆく。楽しかった記憶・嬉しかった記憶も、日増しに薄れてゆく。記憶から情感が剝れてゆくとでもいうか、たゞそんなことがあったと、平板に(淡々と)事実の記憶が並んでいるばかりだ。
ところがいつまでも感触が薄れないのは、恥かしかった記憶だ。長いあいだ思い出すことすらなかった些細な行違いや、勘違いや、ちょいとした判断ミスまでが、ふいに蘇って、堪らなく恥かしかったと思い出されて、今さらに気が滅入ったりする。
今でも、カラオケに誘われることが、好きではない。唄が嫌いなのではない。カラオケは、会社員時代の、かずかずの屈辱的記憶を蘇らせやすいから、遠慮したいのだ。
まずは手前が露払いをと、まっさきに歌って見せねばならぬお得意さんがあった。下手だねェと露骨に云われることが、仕事だった。少しまともに歌おうものなら、後が出にくいねェと、嫌な顔をされた。
いよっ、自前の歌詞カードですか、恐れ入りましたと、毎回云ってやらねば、満足しない人もあった。
マイクを置いて席へ戻ると、イゝ声だねぇ、君に惚れたってさと、自分が一番気に入っているホステスさんを、私の脇に坐らせたがるエライさんもあった。嫌味な人だった。
世はバブル期。深夜のタクシーが拾いにくい時代だった。とある店のママさんから、とあるタクシー会社に連絡してもらって、裏技を使った。その代り、接待のハシゴの最終地点はその店と決めていた。
客を無事タクシーに乗せて、店が跳ねたあとには、お礼に店の連中にご馳走した。そこでもサービスした。世の中は回っていると、体感した。
こんな仕事はもうこりごりだと、毎日思う人のことを社会人というのだと、知った。嫌なこと一つと、ほっとなごむ一瞬が一つ、つまり一勝一敗の日は、タダ働きである。もう我慢の限界だ、明日こそ辞表を出すぞと思った日が月に五回あったとすれば、その五日への対価として月給は支払われているのだと、知った。
今でも、唄がお好きなのですか、などと訊かれると、我が屈辱の日々が蘇る。持って行き場のない恥かしさに、叫びだしたくなる。実際に声に出すこともある。
父も、老化が進んでからは、よく大声を挙げていた。どこの誰だか知れぬ人を、罵っていたものだ。また独り言も多かった。自分もあゝなりつゝあるのだなと思う。
思いいだせば恥かしきことのかずかず、か。うまいこと云うもんだなぁ。