一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

修業の成果

 十返肇は、もともとは下戸だったそうで、結婚当初も、飲む習慣はなかったという。
 「あなたも文壇付合いが必要なんだから、少しは飲めたほうがいゝんじゃないの」
 千鶴子夫人の忠告もあって、遅まきながら酒の修業に踏出したそうだ。ところが、めきめきと腕をあげ、ついには、ある雑誌企画の「文壇酒豪番付」にて、大関にまで昇進してしまった。

f:id:westgoing:20210730195131j:plain

十返肇・千鶴子ご夫妻

 その修業たるや、なかなかの荒行で、文壇バーだろうがガード下の屋台店だろうが、入れ替り立ち替り出入りする飲み仲間の、誰か一人でも残っているうちは絶対に帰らないというものだったそうだ。

 彼の文芸批評は、作品評であっても、つねに人間批評の側面を帯びていた。またゴシップに属する噺も、彼は大好物だった。
 偉そうに澄まし込んだ作品を書いてみたって、へん、オメエがどんな女の尻を追っかけてやがるか、俺が知らぬとでも思ってやがるのかっ。しょうがねえなあ、あの材料をこんな作品にしちまって。アンタなら、ここはもっと面白く書けるだろうに。武士の情け、ここは黙っておいてやる。などなど……。
 高尚な芸術論ではなく、作家たちの創作事情にとことん寄り添った、現場批評だった。お芸術批評とは無縁の、活きた雑文だった。今読み返してみたって、めっぽう面白い。申すまでもなく、交際の達人にして酒豪・十返肇の底力あっての、余人には真似できぬ芸である。

 ところで千鶴子夫人のほう。出版社に勤務ののち、エッセイストとして一本立ち。雑誌の人生相談コーナーなどでも大活躍なさったかただ。旧姓は風間千鶴子さん。
 上の兄は出版人にして小説も書いたかた。下の兄は画家で風間完。二人とも大酒飲み。なにかにつけて仲間と集っては談論風発、放歌大笑。だがそれは空疎な狼藉などではなく、得がたき切磋琢磨の場であり、その中からエネルギーもアイデアも湧出する熱きルツボだった。
 そういう兄たちを妹として眺めてきた新婚夫人は、文学好きの一点では人後に落ちぬとしても「幅がもうひとつ」との懸念ないでもない新婚亭主に、
 「あなた、お酒くらい、飲めたほうがいゝんじゃないの」
 ついつい進言してしまったのだった。

 男十返、愛妻の忠告に素直に従ったのである。が、こゝで予想外の事態に。薬が効き過ぎた。亭主は見る見るモンスター化してゆき、夜が更けても帰って来ぬ男となり、ついには文壇酒豪番付の大関にまで、昇り詰めてしまったのであった。
 ミセス良識、人生相談の女性エッセイストは書いた。
 「この世はとかく予想どおりにゆかぬもの。私としたことが、とんでもない忠告をしてしまった」
 文壇一の地獄耳、現場批評の大家は書いた。
 「評論家のナニガシ千鶴子とかが、なんという忠告をしてしまったかと、嘆いているらしい。今さら後悔したところで、手遅れなのである」

 戦後(昭和後半)の文芸批評を扱って、雑誌『近代文学』派を研究なさるかたがあり、いっぽう伊藤整中村光夫福田恆存をそれぞれご研究のかたもあるが、十返肇が取沙汰されないのは、不思議だ。
 急いで付け加えておくが、十返千鶴子による、亡き十返肇についての回想録は、いずれも名品である。