一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

クッキー

 NHK-TVで「パパは何でも知っている」を観ていた。アメリカの親って、やさしいんだなぁと思った。民放で「名犬ラッシー」を観ていた。長ぁ~い顔したコリー犬など、身近に視たことがなかったから、アメリカにはこんな高級犬がいるのかと思った。いずれも心温まるホームドラマで、毎回子どもたちが学校や近所から小事件や難問を家庭に持込み、思慮深い親たちが教育的配慮をしながら解決に導く、といった拵えだった。昭和三十年代のことである。

 犬といえば、「名犬リンチンチン」もあった。騎兵隊の勇敢な活躍を描く軍隊もので、隊員たちのアイドル的存在である軍用犬が毎回大活躍した。こちらはシェパード犬だった。私は親の前では、番組名を声に出すことは、しなかった。
 「スーパーマン」も観た。メトロポリスの新聞社なんて、想像もつかなかったが、背の高いビルなのだろうと思った。正義と真実は護られねばならぬ、とは思った。

 前者は現代家庭劇で、後者は時代劇・空想未来劇だと、子ども心に区別してはいた。
 目印として、現代劇の台所には、白い大きな冷蔵庫があった。へ~ぇ、アメリカの子どもは、勝手に冷蔵庫を開けて牛乳を飲んじゃっても、叱られねえんだ、と思った。
 我が家の冷蔵庫は、部厚い木箱の内側がブリキ張りされたもので、二層構造の上段に氷を収め、下ってくる冷気で下段を冷やすものだった。氷屋さんへのお使いが、私の役目だった。西瓜など納まるはずもなく、井戸もなかったので、母はタライに水を張って、浮べていた。牛乳を無断で飲んだりしようものなら、どんな仕置きを受けるか、想像するだに身震いがした。

 そんなことを思い出したのも、狩野屋さんが閉店されると、ご近所のお噂で耳にしたからだ。古くからのパン屋兼洋菓子店さんである。
 アメリカのホームドラマでは、子どもが学校から戻ると、やさしいママが「おやつにクッキーが焼けているわよ」と勧めてくれる。クッキー……。どんなものか、知らなかった。
 ある時、狩野屋さんのガラスウィンド越しに、クッキーの文字を見つけた。むろん口にできるはずもなかった。そこは町内きっての、パンと洋菓子の高級店で、我が家が足を踏み入れる店ではなかった。

 我が家の行きつけは松月堂さんといって、駄菓子屋を兼ねたような小さなパン屋さんだった。食パンも菓子パンも、そこで買った。
 コッペが十円。包丁で腹を開いて、バターかジャムを塗ってもらうと十円増し。アンコとピーナツクリームは二十円増しだった。バターかジャムしか、塗ってもらえなかった。なにかの機会に、ついについに、ピーナツクリームを塗ってもらえる日がやって来た。珍しい味だった。これだったら、ジャム二回のほうがいゝや、と思った。

 松月堂さんは、とうの昔に閉店した。この町も、この国も、大変化して、狩野屋さんも、庶民に日常親しまれるパン・洋菓子店さんとなって、長かった。
 だが庶民は、敷居が低くなった狩野屋さんに殺到したかというと、そうでもなかったかもしれない。ごく一部の、味にうるさい、趣味の良い定連さんを除けば、スーパーやコンビニで間に合せるお客が、圧倒的に多かったのではないだろうか。

 俺も今日は、ビッグエーのココナツサブレをやめにして、狩野屋さんでクッキーを買ってみるか。