一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

颯爽と

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 日々の過しかたに、もともとテレビは含まれていなかった。興味あるニュースだけ、観たい映像だけ、ネットで拾えれば、老人の情報受容能力には十分と考えていた。だのにコロナ禍。想定外の不便が生じてしまった。世界の有名ファッション・ブランドが、新作コレクションのファッションショーを取りやめてしまったのである。密を避けているのだろう。
 各ブランドとも、映像配信はしている。イメージ戦略や商品宣伝の。だがそれならば、テレビCMと似たようなものだ。

 もとより衣料業界に興味があるわけじゃない。メイクアップやヘアアートを含めて、ファッションに興味があるわけでもない。衣服だの身繕いなどというものは、自分が好きで着やすければ、なおかつ人さまにご迷惑をおかけしなければ、それでいゝ。
 そんなことより、美しいファッションモデルさんたちを、たゞ漫然と眺めていたいのだ。それこそポカ~ンと口を開けて。テレビCMもどきの映像なんぞに興味はない。モデルさんたちがランウェイを歩いてくれなければ困る。
 世界のトップモデルたちとなれば、身長一七五~一八五センチ。ハイヒールや髪型によっては上背二メートルに達する美女たちが、各ブランドの衣装で歩くのである。

 子どものころ季節ごとに、日劇浅草国際劇場のレビューへ連れてゆかれた。まばゆい照明を浴びて、たくさんの女性たちが踊った。子ども心に、わくわくした。
 妙なことに気づいた。男性ダンサーもいるが、なんといっても主役は女性ダンサーたち。当然ながらファン層は、ある年代以下の若い男性が中心かと想像したのに、そうでもない。ずいぶん年配の男性客も眼についた。日劇より国際が、とくにさようだった。
 子どもの先入観では、そういう客は、歌舞伎などの伝統芸能新国劇・新派などの舞台を好むものと思い込んでいたのだ。

 少し齢がいってから、思い当った。のべつ暮しに頭を痛めているオジサンたちにとっては、深刻主題の新劇はおろか、人情の新国劇・新派すら重いのだ。夢のような世界を、たゞ無邪気に口を開けて眺めている時間が必要なのだろうと。
 映画「男はつらいよ」シリーズで、寅屋の裏の印刷工場経営者である「タコ社長」を知ってからは、ますます得心がいった。職工さんたちの給料や、仕入れや税金や、資金繰りの苦労が二十四時間頭から離れぬタコ社長が、ハムレット金色夜叉を観にゆくはずがないのだ。

 で、私もいつの頃からか、世界のファッションショーを覗き観するようになった。といっても、そう古いファンでもない。二年前にブレイクしてスルスルとトップモデルの一人にまで駆け上ったカイア・ガーバー。その母親が九〇年代にスーパーモデルの代表といわれたシンディー・クロフォードだが、「えっ、この若いモデルは、あのシンディーの娘さん! そういやぁ、眼付きの感じが似てるね」などと、かろうじて云える程度。

 たくさんの美女を無邪気に眺めていれば、当然わがベストテンは……。思案してみたが、じつに難しい。というより不可能だ。ならば端的にベストスリーなら推せるだろうとなるが、これも難しい。二人はすぐ出る。三人目が決められない。まぁいゝか。

 スーパーモデルという新語を世界に行き渡らせた、九〇年代の豪華かつスケール大きなモデルたちからは採れない。誰もの眼を惹く美女が優雅に歩く時代から、個性的モデルが颯爽と歩く時代へと移った二〇〇〇年代。その一押しは、カルメン・カース(カルマン・キャスの表記も)だ。とにかく知的である。クリスチャン・ディオールの香水のCMが有名だが、むろん本領はウォークにある。幾多の有名ブランドのショーを歩いているから、すべてを観るわけにはゆかぬが、たとえばヴェルサーチには、たしかにカルメンの時代という時期があったと思う。

 エストニア人。ランウェイ絶頂期を過ぎてからは、国政(EUエストニア代議員)選挙に立候補したり、チェスのプレイヤー兼協会理事を務めたりしながら、座敷が掛ればモデルもやるという。一流ファッションモデルの、その後の身の振りかたとしては、異色中の異色だ。
 アメリカのテレビインタビュー番組に出演したさいの顔は、ランウェイとはまるで別人だった。度の強そうな黒縁眼鏡に独特のハスキーヴォイスで、大学准教授か女性科学者といった雰囲気。冷静かつ分析的に、インタビューに応えていた。

 彼女がベストツーの一人。もう一人は、またの機会ということにして。