一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

旧盆

f:id:westgoing:20210811192633j:plain

商品持帰り用の紙袋から二枚取り。表と裏。

 久しぶりにパスモを使った。池袋西武百貨店へ。一階の名店街。春秋のお彼岸は両口屋是清。もう二十五年このかた不動だ。年末は正月食品としても邪魔にならぬようなものということで、こゝ何年かは浅草今半。両店の売り子さんの何人かとは顔見知りだが、ごめん、この季節はお宅じゃないんだ。施餓鬼には水羊羹。さて盆には……。ここが一番の考えどころだ。

 だいぶ以前は、春夏秋冬とも茶席菓子を選んでいた。何年か前、栃木市(旧い家並みが残る風情ある街とのことだが、行ったことがない)在住の若い友人が、お寺さんの娘で、彼女云うには、
 「盆暮れやお彼岸には、家中和菓子だらけで、子どもの頃はおなかこわすまで甘いものを食べました」
 ごもっとも。で私は、社会通念にこだわらぬことにした。佃煮や漬物など、保存のきく重宝な品であればなんでもよし、とした。精進にもこだわらず、魚や肉が混じってもかまわぬことにした。仏様は好き嫌いをなさらぬものと、勝手に決めたのである。
 母はよく、季節のフルーツを選んだりもしていたが、私にはフルーツの良し悪しを見分ける眼がない。値段で決めていゝというような安易なことでもないだろうから、私は遠慮している。

 東京では七月に盂蘭盆会となるが、拙宅は田舎者の新参者につき、勝手に旧盆としていて、菩提寺さまにもさようお断りしてある。
 菩提寺さまでは七月上旬にお施餓鬼。ほゞ一週間で盂蘭盆会となってしまう。母はまめな気性だったが、父はどちらかと申せばずぼらなほうだ。間をおかずにたびたびの往ったり来たりは面倒臭いにちがいない。旧盆でちょうどいゝ。

 で名店街。たまの外出。めったにない進物選び。華やかな品々に目移りも愉しい。旧盆といえば、まだ暑さきびしく、今後台風シーズン到来の怖れはあるにしても、季節は秋である。
 栗にした。栗だけの色違い甘納豆である。

 寄道せずにまっすぐパスモ。駅前ロッテリアにて休息。紐掛けしてもらった品物に、仏前袋をふたつ挟む。ひとつは盂蘭盆会、もうひとつは我が菩提寺さま開創五百年のお供えである。先月ご連絡いただきながら、伺えなかった分の後出しである。
 用意整い花長さんへ。我が家族がこの町へ流れついた昭和二十九年には、すでにあった花屋さん。老ご夫妻お揃いだった。親爺さんは、子ども心に記憶するご先代に生き写しとなられた。ひとしきり昔話。わずかばかり得したところで、あの世への道が明るくなるわけではないという話題。
 母はリンドウ色から藤色まで、濃淡問わず紫が好きだった。父は和花洋花の区別も知らず、つまりカーネーションだろうがボケだろうがパンジーだろうが、とにかく真っ赤でありさえすればご機嫌だった。花長の女将さんは先刻ご承知で、按配してくださる。

 さて金剛院さまへ。まず庫裡へご挨拶。お施餓鬼の塔婆のお礼を申し上げ、開創五百年のお祝いと引出物のお礼を申し上げ、引出物中にあった金剛院史の書物についてあれこれ。線香をいただいて辞す。
 あとは墓参り。ご近所の存じよりのかたのご墓所参り。ご本尊参り。大師堂参り。大師銅像とミニ巡礼参り、などなどで境内を隈なく一巡。
 山門を出て、お不動さまと道祖神を兼ねたお地蔵さまに参って、いつもながらの一人法事は終了。
 私の夏は終った。