野坂昭如さんには、鉄板ネタのツカミというか、ご自身お気に召しておられたらしい噺の枕があった。
――大学になんぞ通うつもりはなかったのが、急遽受験することに。文学部事務所の窓口を訪ねると、国文・英文・仏文があるという。外国語なんか勉強したことないから、では国文をと申込むと、国文も英文もすでに締切ったという。残るのは仏文科のみだと。じゃあそれで。
入試の面接担当は、入学してから判ったが、新庄嘉章先生。
「君は、フランス文学のうちでは、どんなものを読んだのかな?」
フランスの小説だの詩だの、まったく知らないから、
「えっ、えーと、フランス……」
「ほぅ、アナトール・フランス。それはまた、渋いところを読んでいるねぇ」
で、受かっちゃった。さぁ大変、あの先生にバレたらってんで、慌ててアナトール・フランス作品を借りて、読んでみた。なるほど渋いや。ちっとも面白くなかった。
さすがに野坂先生、これは創り過ぎでしょう。当時そう感じたし、今も思う。
たゞ、慌てて付け焼刃の斜め読みを企てるという対処は、私にも憶えがある。高校生時分に、理解もできぬままに読んだ新潮文庫のアンドレ・ジイドは、ずらり新庄嘉章訳一色だったから、その読みにくいお名前とともに知っていた。
江戸文学の暉峻康隆。これも読みにくいお名前だが、落語家さんと一緒にテレビに出ておられたから観たことがある。井原西鶴研究の偉い教授らしい。
雑誌「新劇」「テアトロ」で名前を視た演劇評論家の倉橋健。じつは英米演劇の教授だそうだ。そういえば、テネシー・ウィリアムズ戯曲の翻訳が出ていたな。
小説家の小沼丹って、第三の新人だろうが。イギリス小説の教授だってさ。
ヘーゲル哲学の樫山欣四郎って、女優の樫山文枝さんのお父さんだよね。野球部の部長やってんだってさ。
上代文学、記紀祝詞は山路平四郎。愛山息って、げっ、もしや北村透谷と論争したあの山路愛山の息子さんってこと?
野坂先輩よりほんのわずかながら、望んで入学していただけに、わくわくしたのは確かだ。そこで心を入れ換え、奮い立って学んでいれば、後年の仕儀とはならなかったのかもしれないが、私はむろん怠けた。
山路先生からは、「いま日本に、古事記と書紀の学徒はあるが、祝詞の研究者が一人もない。寝食を忘れるように五年、たった五年、真剣に勉強する気があるなら、かならず飯が食えるようにしてやる」とまでお言葉をいただいたのだが、私は尻込みした。
卒業したかどうかという頃、新宿の酒場で、新庄嘉章先生のお姿をお見かけした。
「センセ、お車が待ってますよ。ほら外套に腕を通して。お鞄持ったわね」
「セッチャン、お休みのベーゼ」
「またそんなことォ。お鞄は必ず左。降り口のがわに置くんですよ、いゝわね。運転手さんにもお願いしておきますからね」
微笑ましくもあったが、あゝこれがアンドレ・ジイドか、という気も、少しした。なんと小生意気な若造であったことか。
五十年を経て、今思う。自分はどんな鞄を携えて歩いてきたというのか。足元にも及ばない。恥かしくて、顔も挙げられぬ想いだ。