一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

お気の毒

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 「ラジオ深夜便」も無事終った。夜なべ作業で、厚紙・段ボール・その他紙に分類して、それぞれ十字に紐掛けしてあった束を、所定の場所へと運ぶ。十字路のひと隅、緑の金網の前の道路標識の根かただ。どうやら今朝は私が一番乗りだ。私でなければ、いつもハラダベーカリーさんだ。
 五時十分に就寝。目覚し時計は十一時にセットする。目処は六時間睡眠。目覚し針を短針の真逆にすればいゝから便利で、いつもそうする。

 「お邪魔しまーす。ガスの検針でーす」
 ご婦人の声で眼が覚めた。シマッタ! 顔をめぐらせると、十時だった。間ニ合ワナカッタカ。
 ガスメーターは建屋の裏手にあるのだが、建屋と古びたブロック塀との間の、わずか二メートルほどの隙間を通らねばならない。そこの草取りがまだなのだ。梅雨の頃、一度さっぱりさせたのだったが、雨の多かったこの夏、ふたたび繁茂している。ドクダミの次世代はまだ取るに足りぬが、その隙を視計らったかのように、セイタカアワダチソウだの、蔓草類だの、どこにでものさばってくるヤブガラシだの、顔馴染の連中が心地良さそうにしている。
 「お邪魔いたしましたー」
 「ご苦労さまでしたー。すみませんでしたー」
 二階の窓から声を掛けたが、口に出してしまってから、スミマセンは不自然だったかなと、気になった。

 そろそろ検針日だからと、こゝ数日、思っていた。つい昨日も、思いはした。だがもう一日と、草むしりを後回しにしてしまった。
 気が差したのに、なぜ実行しなかったかというと、昨日は飯炊きおよび冷凍の日と心づもりしてしまい、水加減して炊飯器のスイッチを入れてしまっていたからだ。

 米は一回に、中くらいのメジャーカップでおよそ二杯炊く。ただしその場の気分で、山盛りだったり摺切りだったり、米びつの機嫌によっては上に少々余白があったり、じつにいゝ加減だ。
 俺は普段どれくらい炊いているのだろうと、今カップの目盛りをしげしげ眺めてみると、九分どおり満たした状態が三百とある。ざっとの計算で、どうやら三合五勺から四合弱を炊いているらしい。
 炊飯器は母の代からの五合炊きである。水加減の目盛りなんぞ、米の状態・品質によっても季節によっても異なるから、初めから頼りにしていない。右手中指の関節と勘が頼りだ。

 研ぎあげて水加減したら、猪口か小ぶりお玉一杯の酒を差し、細切り昆布をひと掴みの半分ほど投入。米が水に馴染み、昆布が戻るまで、小一時間といったところか。
 パッケージには、十分で戻る昆布などと書いてあるが、どうせ当てになりゃあしない。

 炊きあがり蒸しあがったら、小分けパック作業だ。冷凍保存の準備である。
 幾変遷あったが近年では、かつて茶碗蒸し用だった磁器椀を型として、小ぶりのお握りとし、これを冷凍している。もと五客揃っていたのが、東日本大震災の日に、四客割れた。一客だけ奇跡的に、椀も蓋も残った。器ひとつにも、来歴がある。
 コンビニお握り一個分にも満たない量だが、といっても型に七分目だったり、八分目だったり、気分と手都合次第だから、お握りの大きさはまちまちだ。しかしいずれも、ちょうど丼一杯の粥飯には伸びるから、たいした問題ではない。
 しばらく冷ましてから、スーパーで干物を買ったさいの発泡スチロールの船に納めて、冷凍庫行きとなる。

 一日二食生活。一食は粥飯と惣菜・小物多品目の満載バランス食。あと一食はご都合適当食としている。麺類でもパンでも、スープのみだってかまわない。
 つまり、冷凍お握りを、毎日一個ずつ消費してゆく勘定だ。一回の飯炊きで、お握りが十二個採れる日も、十四個の日もある。昨日は十二食と半分だった。

 およそ二週間に一度やってくる、私にとってはかなり重要な家事の予定を組んでしまったものだから、ついつい草むしりが後回しとなってしまった。
 四十恰好の、控えめで感じの好い人なんだが、あのガス検針のご婦人には、お気の毒なことをしてしまった。