一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

風流

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『清貧に生きる』上司小剣昭和15年、千倉書房)

 風流人と自認するとある分限者(大金持ちですな)、大枚はたいて年月かけて、三種の神器とも申すべき珍品をついに入手。いわく、釈迦が用いた鉄鉢、孔子が艱難の旅に携えた杖、太公望渭水北岸に釣糸を垂れたさい尻に敷いていた蓆。全財産を蕩尽した御仁、その蓆を被って鉄鉢携え、杖を手に乞食して歩いたという。
 「有名な作り話」だそうですが、私は知りませんでした。上司小剣(かみつかさしょうけん)『清貧に生きる』に見えます。侘ぶることと、侘ぶるがごとく見せることの違いを、嗤ったものでしょう。茶道のかたがたが道具を鑑定して、「寂びたるはよし、寂ばしたるはあし」とおっしゃるのと、似た意でしょうか。

 また同書にはこんな噺も。とある粋人、自邸の庭の隅っこの、四つ目垣越しに往来から覗ける場所に、念入りに粗末を凝らせた茶室を建てて、自慢の道具で茶を立て、独り愉しんでいた。襤褸をまとった乞食が通りかかって歩を停め、興味深げに眺めいっている。
 「どうかね、一服?」
 尻込みして逃げ去るかと思いきや、その乞食、草むした往来にペタンと正座して、
 「ありがたく、相伴いたしましょう」
 作法通りに茶を立てた粋人、色合いあでやかな京焼の夏茶碗を垣根の下からツイッと差出した。老舗の羊羹まで、白紙に載せて出した。
 旨そうに喫んだ乞食は、羊羹を紙にくるんで懐に入れると、丁寧に礼を述べて立上った。二三歩去りかけたところで、そうだっ、というように振返り、
 「お礼に一服、差上げとう存じますが、よろしければ明日八つ半ごろ(午後三時過ぎ)、コレコレまでお越し願えませんか」
 面白がり屋の粋人、辞退するはずがない。

 翌日、指定された場所へ行ってみると、人影はなく、まばらな松林にかすかな風が渡るばかり。一本の根かたに真新しい蓆が敷いてある。真新しい焜炉に素焼きの土瓶が載っていて、湯がちょうど頃合いに沸いている。素焼きの茶碗が伏せてあって、杓も筅も袱紗まで、道具一式揃っている。ひとつの漏れもない。たった今、荒物屋の店先から運んだばかりというような、景色も味もない新品ばかり。しかも庶民暮しの普段使いに供する安物ばかりだ。
 かたわらの白い紙には小分け紙に包んだ干菓子。紙が風に飛ばぬように、隅に小石が載せてある。

 亭主がむさ苦しいなりを晒しては興醒めであろうから、どうぞご自分で。そう謎を解いた粋人は、あつらえどおりに蓆に座り、普段使いの粗末な道具類をもって素焼き茶碗に茶を立て、独り喫んだ。さきの松風、あとの松風。
 ほどなくして粋人は、苦労して買い集めた茶道具類を、ことごとく二束三文で売払ってしまい、素焼きの茶碗と台所の品々で茶を愉しむようになったという。

 さて上司小剣という作家。日本近代文学研究の分野で将来教授になろうとされる学者卵さんらにとって、①必読作家、②できれば一度は、ざっとでも知っておきたい作家、③視過しても落度にはならぬ作家、というふうに区分いたしますと、③です。
 論文に仕立てやすそうな対象を手際よく探して、せっせとポイントを貯めて、いち早く教授昇進を果したいと狙っておいででしたら、お奨めいたしません。

 宮司さんの家柄で、奈良に生れ、兵庫に育ちまして、幼き日より父親から、国典・漢籍を厳しく叩き込まれました。その父というのが、またそのぉ。母が早死にし、父親が迎えた後妻さんも亡くなり、三番目の妻と、という按配で。後年その経緯を、小剣は小説化することになります。
 父も亡くなり、神官職を継がずに新聞記者となりました。一時の腰掛け的な二束草鞋ではございませんで、二十数年勤め上げ、文芸部長だの社会部長だのを歴任いたしました。
 同じ時期に新聞記者でした正宗白鳥近松秋江らを、裏取りしつつ立体的に眺めようとなれば、小剣必須でございます。また小説は白鳥のほか、田山花袋の推輓を得たりもいたしました。
 さらに堺枯川との交友浅からず、社会主義無政府主義への関心も相当なものでしたので、「平民新聞」編集者として引抜きも掛ったようですが、これは実現いたしませんでした。
 新思想に敏感ではありましたが、自身の生立ちの教訓からか、家族の平穏ということをまことに重要視する人だったことも、関係しておりましょう。

 がさて、本日は小剣本職の小説ではなく、評論集『清貧に生きる』の噺。時局評論と読者への激励、それに少々の個人回想録や人物論を加えた一冊。雅号の印象とは異なる、穏健小剣の面目明瞭な一冊かと。
 時まさに昭和十五年、白米より七分搗き米が優秀である所以、女性たちの心構えがより重要な時局である所以、庶民の伝統的知恵を活かして質素倹約・賢明に暮す必要がある所以。要するに国策をやんわり肯定しつつ、読者よ皆で頑張ろうと激励する評論群です。敗戦後の杓子定規な過激論客からは、無理矢理な戦争責任を問われかねぬ説とすら申せましょう。
 しかしですよ。踵を地に着けて、家族とともに責任もって生きようとした大人の知識人に、これ以上のことが、おいそれと云えるもんでもないと、思うんですな。

 倹約・窮屈・貧乏が不自由だと感じては暮しが苦しくなるばかり。倹約は楽しい、貧乏だからこそ面白い点がある、そう考える工夫を重ねれば、いくらかでも暮しやすい。
 そのとおりではないでしょうか。軍国政権批判など見当りません。世界情勢分析も見当りません。生ぬるい現状追随を前提とした、ひと口知識集です。若者読者には、物足りないかもしれません。けれども、賞味期限は存外長うございます。
 早い噺が、ただ今現在、無職状態で洞穴生活している私が読みますと、思い当ることばかりですもの。