一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

カレーうどん

f:id:westgoing:20210831172142j:plain



 毎年この時期は、眠い。猛暑も山を越え、おやっ少し楽かな、と感じるころ、この症状がやってくる。夏のあいだ暑さに焙られた躰に、疲労が蓄積している感じだ。六時間睡眠では少々足りぬ体調となる。何時間眠ったところで、どなたにご迷惑をお掛けするでもない身の上だが、今日はご来訪者の予定がある。
 だというのに、寝過してしまった。通常の食事支度するには、いささか時間不足。カレーうどんで済まそうかと、ふと思い立った。

 カレーうどんを食すようになったのは、せいぜいこの十五年ほど前からだ。それまでは敬遠していた。蕎麦屋カレーうどんの先入観があったものだから、和風出し汁にカレー粉を溶くのは、コツを掴むまで案外たいへんかも知れぬと、腰が引けていたのだ。
 先入観から解放されるきっかけとなったのは、「南天」さんのカレーうどんだった。

 駅前に、立食い蕎麦うどんの名店「南天」がある。間口八尺奥行二間の小店ながら、長年繁盛している。
 私鉄沿線の駅前だから、ロッテリアなか卯、牛丼松屋、餃子王将、海鮮居酒屋、ラーメン店、百均ショップ。それに金剛院さまの山門前でもあるから花屋に果物屋。徒歩二分圏内に寿司屋、とんかつ屋、パチンコ屋、薬局、コンビニ、不動産屋と、ひと通りの店は揃っている。事業の常として、長続きせずに代替りや商売替えも、ちょくちょくある。
 だが、富士そばチェーンを始めとする名うての蕎麦・うどんの立食い店は出たことがない。専門家が立地調査をしてみれば、「南天」に太刀打ちするのは無理と、当然判断されたにちがいない。
 店は小さいが、それは厨房が小さいだけのこと。往来へ突き出された二脚の長テーブルに客が途切れる間は、ほとんどない。駅舎前の植込みの土留はコンクリート製の縁だが、「南天」御用達のベンチとして、住民には活用されている。

 最近引越して来られたかたや、たまたまお仕事でこの駅を降りられたかたに、ぜひとも申しあげたい。まず「南天」で肉うどんなり天ぷら蕎麦なりをご注文なさって、駅舎前の植込みの縁に腰掛けてごらんなさい。丼を傾けながら道行く人をご覧なさい。こゝがどんな町か、少しお解りいただけましょう。

 むろんこの小さな立食い屋が一朝一夕で、これほど地元民に愛されるようになったわけではない。シフト明けの店長が左手にゴミ袋、右手に炭挟みの姿で、駅前一帯のポイ捨てゴミや吸殻を拾って歩く姿を、地元民なら知っている。美味い、安い、早い。それ以上だと、知られているのだ。

 そのころ私は、冬は天ぷら蕎麦、夏は冷し若布蕎麦と、決めていた。品書きのすべてを試して、そこに落着いていたのだった。
 「今度カレーうどん、始めますよ。冬場だけね」
 「でも店長、あれは出汁の好みなんかあって、けっこう難しいんじゃないの?」
 「難しいことはしません。飯にかけてみて美味いカレーを作って、それをうどんにかけるだけ。簡単ですが、それが素朴で、一番美味いって結論です」
 いざお披露目の季節。たしかに美味かった。私は天ぷら蕎麦から転向した。

 で、私のカレーうどんは、レトルト・カレーに熱を通して、茹で上げたうどんにジャーッとかけるだけの、超手抜き食事。他人様にふるまうわけじゃない。時間がないときに、手早くエネルギーを補給するだけの食事だが、これが結構気に入っている。
 やってみて、特色豊かで高価なブランド・レトルト食品ほどよろしいというものではないと、判ってきた。白飯にかける場合との違いも、判ってきた。
 しょせんは老人の、健康バランス重視の食事であるから、擦り胡麻やおろし生姜や、梅や青海苔やで、うどんのほうにイタズラする工夫も重ねてきた。が、いまだ発展途上の試行錯誤中で、とてもとても定見に達したとは申しがたく、こゝには書けない。