一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

カメラ目線

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平野謙(1907~1978)


 ペット愛玩動画を覗いていて、気にかかる瞬間がある。
 腹を空かせた子猫が、乳を欲しがっている。必死なその姿が可愛いと、哺乳瓶を遠ざけてみたりする。そっちじゃないと、わざわざカメラレンズの方に向き直らせて、やり直させたりする。
 怪我をして痛がっていたり、シャンプーのとき水を怖がっていたりした子猫を、早く手当てしてやればいゝものを、また早く拭うなり布に包むなりしてやればいゝものを、まず傷口を、怖がる顔を、カメラレンズに向けさせようとする。
 あゝ、またあれだな、と思う。

 交通事故現場や小火騒ぎの現場で、咄嗟に駈寄って介抱したり、消火しようとする人もあるが、周囲を取巻き、スマホをとり出して撮影し始める人もある。
 「バカヤロー、撮ってんじゃねえよ。110番と119番、すぐっ」
 あっ、と我に返って通報したりする。
 あゝ、またあれだな、と思う。

 人生が、なぁんて大仰な云いかたは鼻白むが、日々の暮しにあって、じかに暮すことと、暮していると自分に思い込ませることとの、均衡が崩れてきている。暮しなのか「暮し」という演技なのか、境目が曖昧になってきているのではないだろうか。
 多分、圧倒的大量の、自分に関係ないはずの情報を身に帯びて生活し続けるうちに、そうなってきたのだろう。

 先駆けとして、文学のほうではおよそ百年ちょっと前から、この問題が取沙汰され始めた。文士たちはこう考えた。人間の偽らざる素顔を、人生の真相を描き出さねばならない。それこそが江戸時代の遊興娯楽文学から脱皮した近代文学だ、と。
 作品に嘘があってはいけない。となると、もっともありのままを、もっとも切実に知っているのは、自分自身と身辺に実際に起きたことだ。それを書いて、文士(芸術家)となった。しかし他人(読者)を面白がらせるような材料が、身辺にそうそうあるもんじゃない。

 文士たちは、普通なら人前にさらけ出すのを憚るような私的嗜好や性癖にも、臆面もなく筆を染めた。社会通念・一般常識に反するような生き方も、実行して見せた。そして書いた。読者は面白がった。こんな奴も、世間にはあるのだと。
 文士のプライドは高かったが、家庭生活は崩壊した。崩壊もやむなし、それどころか、崩壊してようやく一人前とすら考えた。無意識のうちに、「文士」を演じていたのだ。世間からは「破滅型」と称ばれた。
 心の支えになっていたことのひとつは、お手本にした西洋の大文豪たち。バルザックスタンダールフローベール、揃いも揃って家庭的には不幸者か、さもなければ独身者だ。

 プライドは大切だが、個人の暮しを破壊する筋合いではないと、演技のカラクリに意識的たろうとした文士もあった。それはそれでジレンマを抱えた苦しい道のりだったが、かろうじて作風を維持し、やがて一道を拓いた。「調和型」だ。
 「破滅型」の伝統は、近松秋江から葛西善藏へ、やがて太宰治へと引継がれた。「調和型」の伝統は、志賀直哉から瀧井孝作へ、やがて尾崎一雄へと引継がれた。

 昭和時代に、この問題を理論的に整理したのは、伊藤整中村光夫平野謙といった文芸批評家たちだ。入門篇となれば、平野謙『芸術と実生活』に収録された評論「私小説の二律背反」だろうか。

 どちらの道も厳しい。となれば破滅型でも調和型でもなく、作品の真実味は私生活の真実とは別の、創られた真実だと、初めから自覚して文学する時代になった。芸術に没頭するあまり、暮しを崩壊させてしまうなど本末転倒。そう考えて、当事者であるよりは観察者・表現者たらんとした文学が、主流となって久しい。
 いつの間にか、人生とは愚直に生きるものではなく、生きたつもりになって観察しておけばよいものと早合点されるようになった。愚直なものは、観察の対象でしかなくなった。この風潮は、むろん文学のみに限られたものではなく、世の中全体の空気と足並みを揃えている。

 不運にして交通事故に遭った人などは、観察しておけばいゝ。まず写メだっ。
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