一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

手付かず

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 梅雨時分に一度したきり、草むしりを怠っていた。猛暑とその直後の長雨もあって。玄関周りの狭い空間は草ぼうぼう。建屋とブロック塀の間あいだのわずかな通路も草ぼうぼう。ガスメーター検針のご婦人にも、お気の毒してしまった。などと書いたのが、二週間前。その後もさらに、さぼっていた。

 今日がゴミ出しの朝なので、昨日おっとり刀さながらに、十五分草むしり、のつもりが事態は予想以上に深刻で、三十分草むしりに格上げ。ついでに、たった一本のネズミモチ徒長枝も剪定した。
 モチの木仲間のうちでも、ネズミモチは実を付けるので、鳥が食うから、どこかから種が運ばれてくる。拙宅にも、実生の訪問樹がいく株も生えた。気が付くたびに、幼木のうちに始末してきた。

 ただ二本だけ黙認した。一本は塀ぎわの一株で、隣家との目隠しに好都合かと放置していたのだが、これが元気よく伸長し過ぎ、二十年もするうちに、並の剪定では始末のつかぬ厄介者となり、先年ついに処分した、これが案に相違して大ごとで、こんなに根深く根強いものかと、手を焼いた。
 仕方なく、掘り起しを断念し、伐り倒した。今も切株は残り、薬を使ってはいるが、それでもヒコバエが生えてくる。
 もう一本は玄関脇で、ま、門番みたいで悪くないかと黙認した。こちらは日常眼に付きやすい場所なので、まめな剪定を欠かすことなく、現在に至っている。

 こういうしぶとい奴だから、街路樹には向かない。野放図な繁殖力で、ご近所迷惑になる。公園や並木にあるモチの木は、カナメモチなど、実を付けぬ、行儀の好い連中である。

 さて昨日、抜いた草々、剪った枝は、すぐ袋詰めせずに、一日積んでおく。少しでも水分を飛ばして、シナシナさせるためだ。新鮮パキパキの状態ではかさばるばかりで、おまけに力も強いから、根っこや枝が、内側からゴミ袋を突破ったりする。

 で、今朝は袋詰め。青臭いというのか生臭いというのか、植物が死にゆく独特の匂い。たった一日寝かせただけだから、虫類はいない。日程の都合で、四五日も寝かせようものなら、植物死骸地の顔役ダンゴムシをはじめとする、さまざまな虫たちが、最良の環境を見つけたとばかりに、集ってしまう。虫たちもろともゴミ袋に詰めてしまうのは、気が進まないから、余計な気遣いをする破目になる。
 今日はその気遣いは無用だ。さっさと詰める。

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 で、ゴミ回収時刻には、間に合った。生ゴミと生活ゴミは、四十五リットル袋の五分の一に過ぎない。五分の四と、三十リットル三袋は、植物廃棄物である。一人家族なんぞというものはこんなものだと、改めて思う。
 ただし一段落したのは、玄関周りのみ。ガス検針のご婦人に気兼ねなく歩いていただくための、塀ぎわの通路は、まだ手付かずだ。