一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

素足

f:id:westgoing:20210909113516j:plain


 とある文学賞の選考作業を分担中で、応募作品を毎日読んで過している。不正・情実を避けるべく、作者の個人情報など一切伏せられたものを、読んでいる。中年の書き手と思しき作品も混じるが、ほとんどが若い作者らしく、学生作品も多そうだ。
 今春、定年退職したばかりで、それまで二十三年ほど、文学青年・芸術青年の話し相手という仕事に従事してきたから、お若い作者の作品に対しては、ある種の勘が働く。傾向の推移も、ほんの少々は承知している。

 たぶん十年は経っていない、こゝ七八年の傾向として、広い意味での同性愛ものがめっきり増えた。男性作者も女性作者も、同様である。当初は、文字どおりカミングアウトの悩みや、同性同士の恋愛や同棲生活や、失恋や破局など、単純率直なものが多かった。漫画やライトノヴェルの世界で、ボーイズラブが人気を博す傾向と連動していたろう。またメディアで、性的少数者の人権問題や、社会制度の改変要求が取沙汰される機会が増えたこととも、関連していよう。

 しかしもはやそう単純では作品を形成できぬようになってきている。先天的両性具有や両性愛者。恋愛感情はあっても性関係を結べない無性欲症候群。身だしなみや衣服のみ異性嗜好で本人の心持は並みの場合。性転換手術後の難問。まだまだある。そこへ被虐嗜好・暴力嗜好の問題がからみ、さらに幼少期の体験による心の傷問題がからむ。まことに多彩化していて、書き手としては手付かずの領域が豊富と見えることだろう。

 ご多分に漏れず、場面設定のみ身勝手に拝借して作品の彩りとしようというような、審美的興味本位のものも当初は目立った。しかし現在では、小手先の嘘やご都合主義は通用しないし、だいいち深刻に悩む人たちに失礼だ、という局面になってきてはいる。
 新語や隠語もどんどん産み出されるし、従来語の意味変容も眼につく。

 世代格差だろうが、私の耳に刺さるのは、「オカマ」である。本来は、肛門性交をする人、という意味だ。そこから男娼を指した。現今の炊飯器ではなく、鉄釜を火に掛けて飯を炊いていた時代、洗い終った釜は土間や陽当りに伏せて置かれた。そこから、尻を上に向ける奴ら、という連想でできた隠語である。
 女装者であれ、ダンサー・歌手であれ、接客業者であれ、素人の同性愛者であれ、混同されれば、
 「失礼ねっ、オカマと一緒にしないでよ!」
 と、烈火のごとく怒って当然の言葉だった。

 それまで公然と口にするのを憚る気分が働く言葉だった「オカマ」を、逆用してメディアに登場したのは、おすぎとピーコのご両人だったと思う。
 「あたしらどうせ、オカマだからさぁ」と、ご両人が笑いを取るのはご自由。
 だからといって、「あなたたちはオカマでしょう?」と、他人が云うのは失礼この上ない。これが私の世代の言語感覚だ。
 ご両人より先輩のカルーセル麻紀さんだと、内心不快ながら、時流を逆手にとって、いわばカギカッコ付きで「オカマ」と口にされていることだろう。

 ではそれ以前は、どう称されたか。風俗研究家や歴史家の資質皆無ゆえ調べたこともないが、子どものころ、「シスターボーイ」とは耳にした。美輪明宏さんらはお若いころ、そう称ばれたのではないだろうか。(間違っていたらご免なさい。)「オトコオンナ」「オンナオトコ」同様、やゝ蔑みもしくは揶揄のニュアンスを帯びていたと思う。
 「ブルーボーイ」という語もあったそうだが、これは旧いゲイボーイさんから教わったことで、私自身は耳にしていない。

 私の時代は「ゲイボーイ」さんである。英単語のGayだろうが、「芸」への連想が働くので、ショウビジネスや接客業界での語というニュアンスがあった。「ニューハーフ」という語が登場したのは、だいぶ後になってからだ。
 ただ今の「男の娘」「女装っ子」などは、牧歌的で逆に可愛い。

 昭和末の不良としては、ゲイボーイさんたちとは、ずいぶん親しくさせていただいた。サムネの彼女は、現在のお仕事・お立場もあろうから、名も源氏名も伏せるが、山口県の旅館の末っ子。お兄ちゃんたちから「変な弟」といじめられて家出。名古屋で水商売に足を踏みこんだ。
 ――ボロアパートの鍵を買う金もなくてさぁ、拾った針金をドアノブにぐるぐる巻きして出るんだよね。盗られるモンなんてなーんにもないのにさぁ。へべれけで帰ってくると、この針金がほどけないんだわぁ。指痛くってさぁ。なんでこんなに、ぐるぐる巻きしちゃったんだろうって、悔むのよ。不思議だねえ。翌日はまた、ぐるぐる巻きして出るのよ。盗られるモンなんて……。
 ――お父ちゃんお母ちゃんの、ドデカイお墓を建てたのよ。お兄ちゃんたちが誰一人、できゃしなかった立派なお墓なんだから。

 彼女とは六本木で出逢ったが、都内ゲイクラブのダンサー・ホステスの人気ランキングなど、猫の目のように変る。極端に云えば、月ごとに変った。
 瞬間最大風速というか、とある時期、彼女はたしかに、東京でナンバーワンのゲイボーイだった。みずからお気に入りだった写真パネルが一枚、私の手元に残った。
 そんな彼女なら、一度会ってみたいって?
 お引止めはいたしませんが、素足・洗い髪で、身長一八〇センチですぜ。