一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

手間

f:id:westgoing:20210912110548j:plain

1/2カットから12ピース取り。前回最後を含め13ピース。

 半世紀前の学友小西君から、南瓜をいただいた。
 彼は画に描いたような、スマートな都会派学生だった。いつまでも方針が決らずにぐずぐず留年していた私と違って、さっさと四年で卒業。服飾業界へ就職したかと思うと、男どもの注目の的だった女子下級生を嫁さんにして、いささかの淀みもなく社会人生活へと入っていった。
 まったく、学友としては、許しがたい奴である。
 退職後は、持病の養生をかねて、家庭菜園に打込んでいる。家庭菜園といっても、かなり多彩な農業だ。今年は人参が好いだの、長雨にたゝられて玉葱が全滅しただのという報告に添えて、四季折々、ご丹精の一部を贈ってくださる。

 ふだん八百屋では南瓜を、一人家族に重宝な1/2カット、巨きなものであれば1/3カットにされたものを買う。それが今回はまな板にドデンと丸ごとの南瓜。眺めているだけで、なにやら胸高鳴るものがあった。しばし夢膨らみはしたが、いやいや平常心の喪失はよろしくない。たまにしか厨房に足を踏入れぬ男の趣味料理ではないのだから。
 結局は1/2カットして、平常どおりの炊きかた二回分にした。いつか書いたこともあった、天龍寺管長より直伝の、超シンプル料理だ。
 元が美味いのだから、なるべく手をかけずにいただくという、禅寺厨房の思想だろうが、真似する私は、禅とは関係ない。効率的手抜きである。たゞ炊くときに生姜を使う点だけが、わずかに私の工夫。
 うまくできた。さすがのご丹精、味が濃かった。で、前半の残りが少なくなったところで、本日後半を炊いた次第だ。

 おりしも、小分け冷凍していた飯も底を突いたので炊飯。小分け冷凍。
 ブログを遡ると、前回炊飯から十八日経つ。たしか前回の釜からは、十四食採れたのだったから、この半月で四日ほどは、粥を炊かなかった計算になる。麺類で代行した日とコンビニ弁当を試した日が、それだけあったという勘定だ。

 じつは読み屋の仕事を、台所でしている。応募原稿の山や関連書類の入った段ボール箱に、辞書や筆記具も放り込んで、持込んだ。
 諸賢ご案内のごとく、炊飯や保存食の仕込みには、じつに多くの待ち時間がつきものだ。水に漬けておく、水で戻す、水切りする、出汁を冷ます、馴染ませる、下茹でする、粗熱をとる、煮える炊けるを待つ、蒸らす、冷ます、保存収納する、などなど。作業の中断のようでいて、じつは中断という作業にほかならない。これらの手間が、読み屋仕事には打ってつけだ。

 五十枚から百枚の中短篇小説。書出しから区切りまでを読む~(ひと手間)~山場から末尾を読み了える~(ひと手間)~評価を考え選評を創る~(ひと手間)~次の作品に取り掛る、といった具合である。
 ちょうど好都合な手間がないときには、このさい鍋の底を磨いたっていゝし、流しの水切りネットを交換したっていゝ。持ち柄がガタついてきた鍋の、弛んだビスをドライバーで締め直したっていゝ。気分転換に真向きな軽作業など、台所には果てしなくある。

 組合せの妙というか、凹と凸とでも申すべきか、退屈になりがちな賃仕事にも、やりようはあるものだ。不自由なことはと申せば、「ラジオ深夜便」が聴けぬことである。BGMなら大歓迎だが、仕事中に言葉が耳から入ってくるのは、厳禁である。