一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

食べごろ

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年に一度の贅沢。

 北海道出身の元村君は、札幌のホテルマンだった。あるとき一念発起、意を決して東京の大学に入学した。長年の夢だった写真の勉強がしたくてである。三十歳代後半となっていた。三月末まで勤め、四月一日の入学式にも出席したという。
 「おーい元気か? 月末のバタバタでさぁ、退職送別会もできなかったから、どうだい今夜あたり、親しい連中で一杯」
 四月上旬に、かつての職場仲間から電話。
 「俺、今東京にいるんだ。大学に入ったんだよ」
 「マジか、冗談よせよ。だって四五日前まで、働いてたじゃねえか」
 そんな具合だったという。

 おゝよその見当で、二年分の学費・生活費は貯金してあった。あと二年分は、四年間のアルバイトで追いつこうとの算段だった。大手パン製造工場での深夜勤務など、楽ではなかったが、実入りは悪くなかった。
 級友からはオジサン・オニイサンと称ばれて、一目置かれた。他学科へも積極的に顔を出した。映画学科では、珍しいものを観せてもらえた。文芸学科では、なんだか教師とも思えぬ、変な教師とも出逢った。

 サークル活動にも参加した。古本屋研究会という、何のことはない、毎週末に古書店を散策して歩くだけの、お気楽サークルだ。しかしこれが、思いのほか面白かった。神保町はもちろん、早稲田や本郷の古書店街。大森・蒲田界隈。中央線沿線各駅周辺。渋谷から井の頭線小田急線沿線。八王子から町田コース。横浜・関内まで足を伸ばしたこともある。大学祭では、古本屋を開店した。

 自分の足で、地道に歩くのは面白い。どの街にもそれぞれの表情と匂いがあって、そっくりな場所など一つとしてない。そう気が付くと、道行く人々の顔付きまでが異なっているように見えてくるから不思議だ。写真のネタなんか、いくらでも転がっている。
 古書店では、思いもよらなかったものにも出くわす。お目当ては見つからなくとも、それ以上の物を初めて知ることもある。効率は悪いかもしれないが、ネット検索ではけっして辿り着けない、活きた見聞だ。

 卒業後は、都内の病院に看護助手として勤務した。慢性的人手不足で、シフトはきつい。たゞ夜勤はホテルでもパン工場でも、経験豊富だ。
 ご母堂を呼寄せて同居した。もともと母一人息子一人だったのを、母を札幌に置いて上京していたのだった。その母も老いて、めっきり弱ってきた。心安くしてきた周囲のかたがたから切離すのは忍びないが、介護する者は他にない。
 浅草の画廊を借りて、写真展を催した。もとより商業写真として売れる作風ではないが、自分なりの手応えはあった。次はいつになるか、見当もつかない。
 職場では看護、自宅では介護の暮しが始まった。

 私は、写真学科から越境してきた元村君に、文学作品の読みかたも小説の書きかたも、伝授申しあげた憶えはない。たゞ文芸学科の教員らしく、古本屋の所在地をお示ししただけだ。
 今の現役学生諸君は、あんな爺さんに相談しても埒が明かないから、元村先輩に相談しよう、というのが相場となっている。元村君は古本屋研究会の師範代だ。

 たったそれだけのお付合いを多として、毎年この季節になると、それはそれは立派な夕張メロンを贈ってくださる。
 メロンは大好物だ。が、日常欠くべからざる食品かと問われゝば、そうではない。メロンよりジャガイモが先である。みずから贖う機会がもしあるとすれば、自分へのご褒美という気分になれた時だろうが、恥かしながら、十年来そんな機会はなかった。
 前回メロンを口にしたのは、去年元村君からいただいたおりである。前々回は、一昨年元村君から……。
 さて、同封されていた生産者からのお便りによれば、そろそろ食べごろである。