たかがメロンを切るだけのことなのだが、いずれの包丁を使うか。果物専用ナイフなど持合わせぬ身としては、少々思案のしどころだ。
重要案件に対しては、まぁ命までは盗られまいと、ほどほどかつ気軽に決断してしまう気性だが、些細な、どうでもよい案件については、一度じっくり考え込んでみるのが好きである。
メロンを視て、思い出す小説がある。原田宗典さん『メロンを買いに』。「すばる新人賞」でデビューされてからほどなくの、初期短篇のひとつだ。
つましく暮す、若い同棲カップルの噺。世に云う神田川世界。まさに私の学生時代の典型的青春風景だが、私より十歳お若い原田さんの時代にも、こうした風景はあったのだろうか。
彼女が体調すぐれず、横になっている。メロンが食べたいと云う。よしっ、一大決心した主人公は、ポケットからバッグから引出しから、有り金を搔き集めて、メロンを買いに出かける。
アパートの近所の八百屋にあったメロンは、黄色いすべすべのやつ。マクワウリの親戚だ。探し物はこれではない。メロンと云えば、アミアミの入った、丁字形のヘタが付いたやつ。桐箱に入っていなくてもいゝけど、せめてあの独特な佳い香りするやつだ。
数件当ってみたが、見当らない。このさい電車賃も節約、新宿まで歩こう。(これも定番。舞台はどうやら高田馬場である。)
デパートや高級フルーツ店を観て回り、ついに手持ちでなんとかなるメロンを一個、買うことができた。
彼女が無邪気に喜ぶ顔が眼に浮ぶ。帰り道は、来るときの半分の距離にしか感じられない。
「買ってきたよ、メロン、ほらっ」
「遅~い、メロン一個、どこまで買いに行ったのよぉ。あんまり遅いから、自分で買って食べちゃったわよぉ」
卓袱台には、黄色いすべすべメロンの残骸が出ていた。
原田さんが登場なさったとき、涙が出るほど才能のあるやつだな、と思った。
人は誰も、勉強と修養を兼ねて、自分より上の世代の作者のものは注意深く読んでも、下の世代の作品にはあまり注目しないものだ。だが私より十歳お若い、同齢のお三人、原田宗典、佐伯一麦、山田詠美と登場されたときには、胸躍った。我ら団塊世代は、将来この連中に追い抜かれるかもしれないと、予感した。
なるほど、文学史というものは、こういうふうに推移・変転してゆくものかとも、思った。
硯友社の文人たちの眼に、自然主義文学はどう見えていたのだろうか。芥川龍之介の眼に、横光・川端はどう見えていたのだろうか。野間宏の眼に、吉行淳之介はどう見えていたのだろうか。
面白いものだと思った。
なぁに、今になって思やあ、こっちが七十ジジイとなり、向うが六十ジジイババアになっただけのことなのだが。
さて我が軍の前線精鋭部隊が顔を揃えたからには、ついでに――