一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

きっとそう

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 幸いにして東京は、まだ暴風雨や洪水・崖崩れに見舞われていないが、油断してはならぬ雲行きだと、ラジオが云っている。そうだろうなと、私なりに思う。昨日今日、窓の隙間や換気口から、やたらにクモが室内に入って来るからだ。
 一日で上る雨ならば、彼らはこれほど入って来ない。草陰だろうが軒下だろうが、みずから仕掛けた巣の近辺に、身を隠す場所などいくらでもある。これは長期戦になると、彼らは踏んでいるのだ。獲物を屋外で待つよりは、ゴミも埃も多い屋内に移動して、小昆虫やダニを漁ったほうが得策と、判断したのだろう。彼らの予知能力を、私は信頼している。

 こんなことがあった。まだ職にあった頃の噺。午前中降り続けた雨が、正午頃に上った。屋外の喫煙所へ出たついでに、地上を観察すると、アリたちが一斉に巣穴から出て、活動を開始していた。
 「また降り出すんでしょうかねえ」
 楽屋では、お若い助手さんが、心配顔だ。
「なァに、このまゝ晴れますよ」
 云い置いて、私は午後の出番へと向った。九十分。その間に雲は切れ、薄日すら差してきた。楽屋へ戻る。
 「ほんとだ、すごーい。どうして判ったんですかあ?」
 「たいしたことじゃありません。アリが仕事を開始していましたから」
 助手さんからは、変な顔をされてしまった。口から出まかせを云っていると、またはからかっていると、思われてしまったのかもしれない。

 あるレベル以上の生命体にとっては、空気から驚くほど多くの情報を得ることなど、お茶の子さいさいだろう。人類がそのレベルに達していないだけだ。
 空気どころか、人間の視線や意識からも、電波か磁気か超音波か、あるいは人智がいまだ計測するにいたっていない何かが出ていて、彼らはそれを感知していると思える。
 以前も書いたが、それまでじっとしていたヤモリが、当方が気付いて視詰めると、慌てて逃げ出す。匂いを確かめながら壁際をゆっくり前進していたイエネズミが、人間の視線を浴びた途端に、猛然と走り出して身を隠す。
 クモやハエやアリともなれば、例など枚挙に暇がない。

 町内から出ない暮しが続いているため、書店に行く機会がない。ラジオで紹介していたが、児童向けの科学入門書で、大人が読んでも十分面白い新刊が出たそうだ。説明の例えが秀逸だという。
 地球が誕生してから今日までを、もし一年と置き換えたら、という工夫だ。
 元日は火の玉。大量の湯気を発し、やがて猛烈な雨の連日で、海が形成される。私の予想に反した速さだが、なんと二月中には生命が誕生するという。むろん植物とも動物とも称されぬ、原始単細胞生命体だ。これが恐ろしく長く、八月何日だかまでこの段階。

 秋になって、ようやく細胞分裂。多細胞生命体の可能性が拓ける。植物・動物の可能性が出現するわけだ。そこからの進化の道のりも長い。なんと、クリスマスになっても、霊長類など、影も形もない。紅白歌合戦が始まっても、まだ人類は・・・。

 直立二足歩行~前足の多目的使用~脳の発達。驚異的進化だが、いゝことづくめのはずがない。じつにじつに多くの能力、もしくは可能性を放棄することと引換えに、この進化を成し遂げてきたに相違あるまい。
 ということは、人間の脳をもってしか考えられぬ問題は、我が方が担当させていただくとして、さしあたっての空模様ごときは、クモやアリに訊いたほうがいゝのではあるまいか。
 きっとそうだ。