一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

サイドステップ

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 老人は、夜更けに買物、という噺。

 一昨日と一昨々日、二日続けてパスモを使った。久方ぶりだ。カード類で買物をせぬよう心掛けているし、タクシーを拾う機会もなくなった身には、パスモは鉄道運賃専用と申してよく、いっこうに残高が減らない。
 鉄道での外出といっても、池袋での買物がせいぜいだ。一昨年までなら自転車を使っていた。コロナ騒ぎ以来、日常的な運動不足の傾向顕著につき、次郎(自転車の名)は休ませっぱなしにしている。町内用足しはもちろん、大塚・高田馬場あたり、従来自転車コースだった界隈でも、徒歩と鉄道という方針に切替えたわけだ。

 ところが一昨日は、池袋から山手線に乗換えた。谷中霊園の廣津家墓所に詣でるべく、日暮里まで。行くたびに日暮里駅および周辺の景観が変る件については、もう口にする気もなくなった。
 墓参のあと、さてどうするか。ルノアールで一服して、谷中銀座を歩き、念願のアップルパイ屋へでも行こうか。そうなれば、そこからはつい眼と鼻の、かつてさんざんお世話になった「ペチコートレーン」さんにご挨拶できようし、帰りは地下鉄の千駄木駅からとなる。
 それとも別方向へ歩いて、指物屋と藍染屋を冷かしてから、藝大を抜けて上野公園へ出るか。しかし上野駅周辺は人出数多かもしれない。それならいっそ道灌山方向から、西日暮里へ向おうか。
 このあたりは、散歩ルートだらけである。だが結局は、天王寺の大仏様にお詣りしただけで日暮里駅へと戻り、なんの興趣もない、来た道戻りのルートを採った。これも老化現象だろう。

 往復の電車内で、お若い乗客から席を譲られたりしなかったので、助かった。
 かつて脳梗塞の後遺症時代と、股関節を傷めて腰痛に悩んだ時代と、都合二十年あまり、ステッキを手にして歩いていた。その時期は、席を譲っていただけてありがたかったこともある。
 現在はステッキを手にしていない。電車内では、よほど疲れてでもいないかぎり、立つように心掛けているし、興に乗って踵を浮かせていることすらある。べつにご利益もあるまいが、本人としては、運動不足対策の一助のつもりである。
 ご親切にしてくださったのに対して、ご辞退する申しわけなさは格別だ。老人の身で、席を譲られないようにする努力。お若いかたからは、ご理解いただけぬかもしれない。

 池袋駅地下の乗換え通路。周囲の人の流れと比べて、明らかに私の歩みはのろい。動線が確立している所はよろしいが、スクランブル状態の場所では、お急ぎのかたにとっては、さぞやご迷惑だろうと思う。
 学生時分や、また勤め人だったころ、ラッシュアワーともなれば、誰決めたともなく合理的な動線が形成されていた。いわば通勤のプロたちによる、おのずからの踏分け道である。大きなトランクを転がす観光客や、いかにもオノボリさんふうのかたが、ブラウン運動されると、「暇な時間に出て来てくんないかなぁ」と思ったものだ。
 そのようではならじと、混雑時間を避けて出て来てはいるものの、それでも周囲にはご迷惑をおかけしていることだろう。

 さて我が町へ戻った。買物を済ませて帰るかとも思ったが、後回しとする。奥さんがたが、しきりと買物をされる時間帯で、スーパーは大混雑している。私などは、空いている時間帯に、出直して来られる。
 スーパーでもコンビニでも、入口には当然ながら、手指殺菌用にアルコール・スプレーのボトルが設置されている。使う人そうでない人があるから、人の流れが一瞬不規則にならざるをえない。そのせいかどうかは定かでないが、このところ妙に気づかされることがある。

 電車の乗降にあっては、降りる人優先。小学校でさよう習ったし、大人になってから考えても合理的だ。内が少しでも空いてからのほうが、乗りやすい。その伝で出入口一般、銀行・郵便局だろうが食堂・喫茶店だろうが、内外で他人さまとかち合ったさいには、出る人を先にと考えて生きてきた。それで別段、不便も感じなかった。
 最近、この老人が今から出ようとしていても、一歩でも早ければ俺が優先とばかりに、ズカズカ入ってくる人と、よく正対する。若いかただからとか、外国人さんだからとかではない。老若男女ともである。
 私が、視るからにノロノロしているからだろうか。きっとそうだ。しかしこう見えても、半世紀前のバスケットボール選手であるぞよ。華麗なサイドステップで、身をかわして見せようぞ。
 だがそれよりなにより、買物は、夜更けてからにかぎる。