一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

親子その後

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菊池寛(1888-1948)

 『父帰る』は明治四十年頃の設定。道楽三昧とにわか事業の失敗から、妻と三人の子を置去りに、情婦と逐電した父が、尾羽打ち枯らした姿で二十年ぶりにひょっこり帰宅する噺だ。
 かつて父なき一家は極貧に喘ぎ、一家心中未遂にまで追込まれた。母は仕立物とマッチ箱のラベル貼りの内職。兄は十歳から県庁の給仕。わずかな給料をやり繰りして、弟妹を中学まで卒業させた。今二十八歳になる兄は地方公務員、二十五歳の弟は小学校教員、二十歳の妹は仕立物に精出しながら、持掛けられた縁談に迷っている。つましいながらも、ようやくの安定を得た一家だ。

 五十一歳になる母は、あれほど煮え湯を飲まされ、恥をかゝされ、二度と会う機会もあるまいと思っていた夫ではあるが、寄る年波の気の弱りから、恨みよりも懐かしさが先に立つ。弟妹にとっては記憶にない老人だが、母の気持を想えば、過去に受けた父なし子の屈辱数々をいったん脇へ置いて、迎え入れようとする。が、兄が許さない。

 一家の今日までの苦労のあらましを、恨み言として父にぶつける、兄の長台詞はいちいちごもっともと云うほかなく、母と妹はたゞ涙にくれ、弟は困惑に俯くばかり。しょげ返った父は、なおも強がった虚勢の捨て台詞を残して、出て行かざるをえない。
 三人による、兄への哀訴。長い長い無言の間。「呼び返して来い」弟へのひと言。
 外へ出た弟が戻って「見えん」。「見えんことがあるもんか」二人して飛出してゆく。母と妹が舞台に残って、幕。

 積年の恨みを超える肉親の情愛。血は水よりも濃し。呪うより許せ。といった人情劇と読まれる傾向があった。国語教科書に採られる場合も、その観点から指導されることが多かったに違いない。
 私は疑っている。

 父は武家の出だ。幼馴染とは槍の稽古仲間だったとあるし、美形少年だったことから殿様のお小姓役を務めたともある。奥女中から密かに付文されたとも。
 武門や行政実務ではなく、漢学か儒学の家だったろう。家の学問には精を出さなかったと、母の回想台詞にある。
 また母が娘の嫁ぎ先に期待する家は、格上だから難しかろうとも云っている。武士階級観の名残だろう。

 維新のさい、武士廃業の見返りに多額の一時金が下されたはずだ。公債と山林とで、数万円の資産があったという。今(明治40年頃)妹の縁談先が、一万も二万も持つたいそうな資産家と云っているところを視ると、父の家はことのほか裕福だったわけだ。
 大金に浮れた父は、世に云う武士の商法、中国へ薬を売り広めるなどと夢のような事業を起して失敗。加えてタガが外れたごとくの道楽三昧。人も羨む資産をまたたく間に蕩尽した。
 そして八歳五歳の息子と当歳の娘とを、妻に押付けたまま、情婦と逃げたのである。

 出奔後は香具師まがいのなりわいだったと見える。十数年も前、知人が旅先で偶然出会ったときには、獅子や虎を見せて歩く興行主で、えらく羽振りよさそうに金のかかった身なりだったという。移動動物園というか、見世物小屋の親方だったのだろう。
 五年ほど前、広島県の呉で小屋が家事で丸焼けとなり、財産一切を焼失。三十人ほどの手下も散りぢりになってしまった。以後は、何をやっても目が出なかったらしい。
 五十の声を聴いてより、体力気力とも衰えるにつけ、家が懐かしくなりまさる日々だったという。

 ずいぶん身勝手な奴とは思うが、それはそれで理解できぬ云い分ではない。が、問題は、悄然として家へ帰る、その帰りかただ。
 敷居が高いので、千か二千の金を手土産にと思ったものの、もがいてもあがいても思うようにならなかったと云っている。なにを云いだすのだろう、この男は。娘の婚礼支度に三百円あれば足りると、別の箇所の台詞にある。さらに別の箇所には、兄弟合せて、月に六十円も稼いでくるとある。千円二千円は、あだやおろそかでない大金だ。とんだ大口。この期に及んで、まだ見栄を張っている。

 兄(=つまり息子)から面罵されると、
 「わしやって無理に子供の厄介にならんでもええ。自分で養うて行く位の才覚はある」
 この期に及んで、まだ強がりを云う。そのくせ弟(=これも息子)から、
 「お金はあるのですか。行く処があるのですか」と労わられると、
 「のたれ死にするには家は入らんからのう」(表記ママです)
 弱音を吐くような、捨て鉢居直りのような、捨て台詞のような言葉を口にする。

 端的に申せば、この男は駄目である。「七つ下りの雨と、四十過ぎての道楽は、やまない」俗諺そのままに、料簡にはなんの進歩も見られない。
 兄弟が連れ戻して、家族同居したところで、当座は殊勝気にしてもいようが、ほどなく家族の足を引っぱる事態を、かならず惹き起こすだろう。

 兄は恐らく、それを視抜いている。が、母の行く末を想う。妹が嫁に行き、自分も数年のうちには所帯も持つだろう。弟は、一段上級の教員目指して、英語検定試験の準備を始めると云っている。県外へ出るかもしれない。残るは母である。
 筆舌に尽くせぬ辛酸を舐めさせられはしたが、一度は肌も息も合せて、三人もの子を生した間柄である。現に、懐かしさが先に立って、父を家に入れたがっている。
 また妹の行く末を想う。今進行中の資産家との縁談に、妹は二の足を踏んでいる。資産よりは人柄だと、母も云う。人柄申し分なき男の目星は付いているが、家柄は先方が上だ。しかし明治の御代、その点は何とかなるとしても、やはり両親揃っていたほうが好いに決っている。内情はさておき、形式だけでも、父がいたほうがよろしいのではあるまいか。

 兄はこの老人を許してなどいない。が、あれこれ熟慮の末、自分の気持を押し殺して、父を呼び戻せと、弟に命じたのだろう。三人から哀願されたあとの、長い長い間の意味である。
 ところで作者菊池寛は? むろん、父が改心・更生できるなどと、楽観してはいるまい。だがそれも含めて、人生だと云っている。人間ってやつは、いつまでたっても懲りない、どうしようもない代物だと、云っているのだ。
 『父帰る』を家族の情愛を謳いあげた人情劇だなどと、誰が云うのか。モーパッサンチェーホフに比肩しうる、ピリリと辛い人生模様の短篇傑作ではないか。